“究極のゆとり世代”は、コスパ重視にもかかわらず正義感が強く、自分を甘やかさない? *写真はイメージです

この春、新社会人になる「1995年生まれ」が、“究極のゆとり世代”といわれているのをご存じだろうか?

だが、ゆとりのイメージに引っ張られ、なめてかかるのはNG。彼らとうまく接するためのツボをしっかり押さえよう!

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1995年世代は、「学習内容の3割削減」(小中学校)、「授業時数の縮減」「完全週5日制」「絶対評価」など、改訂された学習指導要領が施行された2002年4月に小学校に入学。

「ゆとり教育」は2013年3月まで続き、「脱ゆとり教育」へ移行したのは彼らのひとつ下の96年世代から。つまり、95年世代は小中高を通じて「ゆとり教育」を受け続けた、唯一にして“究極のゆとり世代”なのだ。

また、彼らは人生の節目、節目で大きな社会的事象に接してきた世代でもある。生まれた年には阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件があり、中学入学の年にはリーマン・ショック、卒業時には東日本大震災、そして大学に入学したまさにそのタイミングで消費税増税を経験しているのだ。

巷(ちまた)では彼らのことを「呪われた世代」なんて呼ぶ声もあるようだが、そもそもほかの世代と比較して、この世代に特徴的なことはあるのか? 世代・トレンド評論家の牛窪恵(うしくぼ・めぐみ)氏が解説する。

「Windows 98や子供向け携帯など、生まれた直後から電子機器に囲まれて育ってきた世代です。学生時代からパソコンに触れていることもあり、新入社員でもプレゼンが驚くほどうまいことも多い。

また、デジタル世代というと『白黒はっきりつけたがる』『効率至上主義』などのイメージで見られがちですが、実際は『ムダを省く』という、よい意味での効率主義。『これをやったらどういう結果が出るか』を常に考えるコスパ世代といえるでしょう。

また、協調性を重視するあまり競争を嫌うと思われがちですが、バブル世代でイケイケな親に育てられているので、メリハリがあって、やるときはやるし、お金も使うときは使います」

一方、牛窪氏は95年世代とバブル世代の違いも指摘する。

「バブル世代がいかに汗水流して評価されるかに命をかけてきたのに対し、今の若者は正攻法で結果を出して自分の努力を認めてほしいと考えている。そんな実直さ、素直さを持っているからこそ、汚いことが大嫌い。

例えば、バブル世代にとっては会社の経費で飲み食いしたり、タクシーチケットを使ったりするのは当然のことでしたが、彼らはそれをアンフェアだと考える。また、ゆとりというと勉強してこなかった印象を持たれがちですが、受験世代の親の下で育てられているので、何も勉強をゆるゆるやってきたわけではないんです」

コスパ重視にもかかわらず正義感が強く、自分を甘やかさない。このような話を聞けば、会社の経費をわが物顔で使うクソ上司よりは、よっぽどまともにも思えてくる。

★95年世代は就活インターンは当たり前? 大人を信用していない? この記事の全文は『週刊プレイボーイ』16号(4月2日発売)にてお読みいただけます!

(取材・文/テクモトテク)