1990年代後半、美容室業界はカリスマブームに沸いていた。都内を中心に10店を構える美容室チェーン『ロンド』の共同代表6人が中学生の頃である。
99年には有名サロンの美容師たちがカットデザインを競い合う対決番組『シザーズリーグ』の放映も始まり、翌年には美容師を演じるキムタク主演のドラマが視聴率40%超を獲得すると、満員御礼の日本武道館でヘアショーが開催されるまでになり、高校生の『なりたい職業ランキング』では美容師が1位になった。
有名サロンは続々メディアに取り上げられ、ヘア専門誌やファッション誌に「1ページ載れば何百人と指名客が取れた」時代。当時は雑誌に取り上げてもらうことが「集客の決め手だった」とロンドの共同代表のひとり、石田吉信さん(32歳)は言う。
ブームを追い風に当時、スタイリストだった美容師の多くは独立し、多店舗展開。その恩恵を最も受けた世代が「今の50代」を中心に多いが、ブームの終焉とともに経営は行き詰まっていく。
人気サロンのチェーン店で閉店が相次ぎ、昨年4月には多数の“カリスマ美容師”を輩出してブームの先駆けとなった『ヘアーディメンション』の運営会社が倒産。同年の理美容業の倒産件数は151件と過去最多を更新している。
美容室不況の原因は複合的だ。第一に、美容室数がコンビニの約4倍の20万軒とオーバーストアの状況にあること。第二に、“1000円カット”に象徴される低価格競争がし烈になったこと。第三に、『ホットペッパー』などの集客サイトが台頭して紙媒体が衰退、かつての“雑誌依存”“知名度頼み”の集客が成り立たなくなったこと。そして第四に、「ブーム期の経営から脱却できていないこと」(石田さん)などが挙げられる。
そんな業界低迷期にあった5年前、美容学校時代の同級生6人で27~28歳の時に設立したのが『ロンド』だ。都内の専門学校を卒業した彼らはそれぞれ表参道や南青山にあるトップサロンに就職。学生時代から「みんなで店を出そう!」と約束していた。
だが、就職先の労働環境は過酷だった。
石田さんの場合、下積み時代は朝早くから夜遅くまで働き、月6日の休日も朝から終電時刻まで駅前でモデルハント。これは「キャッチしたモデルの撮影現場にアシスタントとして同行する」ための自発的な仕事という側面もあったそうだが、毎週のようにほぼ休みナシで働き、シャンプーの薬剤で荒れた手が「グローブみたいに腫れ上がった」ことも…。それでも皮膚科に通院しながらの仕事を強いられ、休むこともできない。
「これで月給は手取り12~13万円ほど。おカネがないから、食事は一日一食にしていて、毎晩170円のぺヤングばかり食べていました(苦笑)」
そんなある日、会社に就業規則があるらしいことを知り、オーナーにその存在を確認すると「そういうのを気にしているようならウチでは働けないよね」と言われたという。
「当時はまだカリスマブームで盛り上がっていた時期。薄給激務に耐えかね辞めると言い出す美容師がいても『次の人が来るから勝手にどうぞ』というスタンスで、会社のホームページに給与額すら載せない…そんな強気の経営がまかり通っていました」
転職した業務委託サロンでの衝撃とは…
言ってしまえば“ブラック”なのだが、石田さんは「確かに辛かったですが、『6人で美容室を立ち上げる』という目標がありましたので、きつい職場や不条理な上下関係も僕らにとっては“経営の勉強”と前向きに捉えていた」と振り返る。
就職後も時間を見つけては近くのコンビニで頻繁(ひんぱん)に会い、「駐車場でコーラを飲みながら未来について語り合っていた」そうだが、「誰ひとり、職場のグチをこぼすヤツはいなかった」というのも、“みんなで店を出す”という考えにブレがなかったからだ。6人が6人、全員が同じ熱量で夢を追い、夢を共有していた。
その後、起業する1年ほど前から彼らは勤め先の会社をバラバラと辞め、同じ会社にフリー(個人事業主)のスタイリストとして転職することにした。「勤め先の都合もあり、6人が同時に退職するのは難しかった」ため、美容師を正規雇用するサロンに比べれば労務環境がゆるい“業務委託型”のサロンで起業の準備を進めることにしたのだ。
その業務委託サロンで、彼らは別の衝撃を受ける。
「個人事業主だから、営業中も自分の担当のお客様が終われば自由に外出できるし、極端にいえば他のスタッフの仕事を手伝わなくてもいい、給料も完全歩合制で自分の頑張りが反映される…。それまで暇な時間帯でもコンビニすら行けないガチガチの職場で働いていた僕たちからすれば、“こんな自由な世界があるんだ!”と。
また、それぞれが勤めていた表参道、青山の美容室はカット&カラーで1万円~1万5千円が相場で、ひとりのお客様に2時間半を費やすのが当たり前でしたが、その店ではたった4千円で作業時間は90分程度。“一体どうやってんの!?”と驚きの連続でしたね」
正規雇用のトップサロンと、業務委託の低価格サロン。その両極端の職場で得た経験は『ロンド』の店作りに存分に生かされることになる。
13年4月、株式会社ロンドを設立。その4ヵ月後に銀座に1号店をオープンした。『従業員の物心両面の幸福を追求すること』を経営理念に掲げ、「美容師が辞めない会社を作る」を徹底。実際、スタイリストの平均月収60万円を実現する『給与体系』と、産休や育休を取得しやすい『福利厚生』、新人にも早期にハサミを持たせる『従業員育成』を形にし、起業から現在まで“離職率ゼロ”をキープしていることを前回記事では伝えた。
同社の給与体系は完全歩合40%。指名客で月100万円を売り上げれば月給40万円となり、成果が低くても月24万円の最低保証給がつく。美容室向けにヘアケア製品を製造・販売するメーカーの営業社員は「この業界では破格の待遇」という。
カットやカラーなど平均客単価は8千円程度。これで平均月給60万円を得るには、単純計算でスタイリストひとりあたり月間190人程度の指名客、1日あたり(月22日稼働の場合)だと8~9人の指名客を担当する必要がある。
これを毎月、安定的にクリアできる環境がロンドにはあり、年収1千万円を超すスタイリストもいる。中途採用で入社した30代のスタイリストはこう話す。
「以前勤めていたサロンでは、指名客ゼロという月も多く、店全体の集客が落ち込む中、フリーのお客さんも振ってもらえず、やることがないから先輩のお手伝いばかり。スタイリストなのにアシスタント同然の仕事ばかりで、たまにカットできるのは自分で捕まえてきた友達の友達くらいなもの。給与は毎月最低賃金でやりがいはなかった。でも、ここでは毎日『もう大丈夫です』ってくらいにお客さんが入り、給与はほぼ倍になりました」
プライドを持ってプライドを捨てた戦略
石田さんは「『お客様は自分で引っ張ってこい』というサロンも少なくないでしょうが、僕らはそうではなくて『集客も経営者の仕事』」だと考えている。その結果として、同社は全国約3万6千店からネット予約上位のサロンを表彰する『ホットペッパービューティーアワード』で16年と17年に2年連続全国1位を獲得した。
その抜群の集客を支えるのは、まず価格帯だ。カット、カラー、トリートメントで8千円程度というのはロンドが4店舗を構える銀座エリアでは中価格帯に位置する。
「1号店のオープン準備をしていた頃、銀座の地図を買って全美容室をマッピングし、100店舗以上の価格帯をリストアップしたところ、中価格帯のサロンは6%しかありませんでした。周囲の人には相場1万5千円の銀座の客層に『中価格帯はマッチしない』と言われましたが、これは僕たちなりにお客様に喜んでいただけるであろう“適正価格”を吟味した結果。6人の総意で『この価格でいこう』と決断すると、結果的にはオープン初月から400人以上の新規のお客様に来店していただけました」
彼らは皆、表参道や南青山のトップサロンでカット技術を磨いたスタイリスト。当時の店では1万5千円程度とっていたという高品質なサービスを半額程度で提供するーーこれはオシャレ感度の高い銀座女子のハートを打つ店の強みにもなった。
「僕らが以前、就職していた高価格帯のサロンに来ていたお客様は料金の高さに満足していたわけではありませんでした。1万5千~2万円だと女性はオシャレをしたい気持ちを抑えて、通うのをガマンしなければいけません。女子会にネイル、まつエク…とお金をかける先が多様化する中、10年も20年も前の“美容バブル”と言われた頃の価格設定では時代にマッチしません。
だから、趣味も遊びもオシャレも全部お手頃価格でやりたいというちょっと“欲張りな女性”の願いを叶える店でありたいと。有名店で育ったからこそ、“プライドを持ってプライドを捨て”、あえて価格を下げることにしたんです」
そのコスパへの気配りは店の各所に散りばめられている。起業資金は約1千万円だったが、資金提供の後ろ盾はなく「6人でなんとか集めた」もの…これを費やす先としてとりわけこだわったのが店の内装で、1号店のテーマは『シアター』。中世パリの劇場のチケット売り場のような受付にイタリアから取り寄せたというパウダールームの水回りなど「膨れ上がった総工費に担当の会計士さんの顔は青ざめた」ほどだった。
他にも細かなところでは、施術中に紙コップではなくティーカップでドリンクを提供するなどのもてなしで高価格サロンと同等のクオリティにこだわった。価格や内装、客へのもてなし…これらはすべて『素晴らしい技術、素晴らしいサービス、素晴らしい空間を、しかも驚きの価格で』との店のコンセプトを形にしたものだ。
その一方でカットやカラー、トリートメントなどの施術面では、業務委託サロン勤務時代に学んだ“時短の技術”を存分に取り入れた。
「私が所属していた業務委託サロンでは、お客様が来店した後、シャンプーを省いていきなり切り始めることもありました。ロンドでもこの“ドライカットスタート”を一部で導入しています。またシャンプーからスチーム、トリートメントまでを移動ナシに寝たまま完了できる特殊なシャンプー台を使うなど時短の手法を随所に取り入れ、施術時間を最短の場合で90分程度に押さえることに繋げています」
こうして客の回転率を上げると同時に「実は、うちではフロアに並ぶお客様のイスの間隔が微妙に狭い」と石田さんが明かす。店の収容客数を増やすための設計で、これも業務委託サロンで学んだこと。高価格の人気サロンと安価な業務委託サロンを「ちょうど2で割ったような」柔軟な店舗運営で全国トップクラスの集客を実現させたというわけだ。
ホワイトな経営がなぜ“美容室の墓場”?
その安定した集客力が土台にあるからこそ、スタイリストの平均給与60万円、社会保険完備、離職率ゼロといった“ホワイト”な経営が成り立っている。30代のスタイリスト(前出)のこの言葉がロンドで働く魅力を凝縮していた。
「これまで複数の美容室で勤めてきましたが、働く環境としてはロンドが一番。だから、ここを辞める時はハサミを置く時…ロンドは“美容師の墓場”みたいなものです(笑)」
最後に、同社のCSR(企業の社会的責任)の活動についても紹介したい。
「創業当初からCSRに取り組む風土を育んでいこうと思っていました。実践しているのが銀座や表参道など店舗がある町での清掃活動。月1回、営業前の午前中に1時間程度のものですが、『自分たちが働いている町に感謝しよう』という気持ちで1年ほど継続し、今では3社の美容室も参画してくれています。いつか、一般の方々に『日曜の朝って美容師さんがゴミ拾いしてるね』って認知され、それが常識になれば、美容師の社会的地位向上にも繋がる。そうなるようにこの活動の輪を広げていきたいと思っています」
もうひとつのCSR活動がヘアドネーション。病気が原因で髪の毛を失い、ウィッグを必要としている子どもたちに小児用ウィッグの原料(毛髪)をNPO団体に寄付する活動だ。
「原料にするためには一度に切る髪の長さが31cm以上は必要で、寄付していただけるお客様10人分で1コのウィッグができます。やはり、それだけ長い髪をバッサリと切るお客様は少ないのですが、これまで30人分の毛髪を送らせていただきました。
病気による脱毛は登校拒否やいじめの原因にもなるので、インスタやHPなどでロンドの活動状況を発信しているのですが、『毛髪を寄付したいのですが、どうすれば?』という他のサロンからの問い合わせも増え始めています。少しずつではありますが、横の繋がりができてきているのが嬉しく思います」
共同代表6人の中でCSR活動の担当は石田さんだ。他の代表、長岡宏晃さんは人事・教育、甲斐紀行さんは人材育成、斉藤信太郎さんは財務、吉田牧人さんはプロモーション、小林瑞歩さんは海外戦略をそれぞれ担う。
インドネシア・ジャカルタ店を運営する小林さんを除く5人は毎週月曜13時に集まり、各店舗の課題や今後の戦略について日が暮れるまで話し合うのだという。
「学生時代から変わらず、僕らの関係はフラット。上下関係はありません。何か新しいことを始めたい時には会議の場でプレゼンし、5人を納得させる必要があります。共同経営ってケンカにならない?ってよく聞かれますが、誰かと誰かがぶつかったら、残りの4人が仲裁してくれて、第3のアイデアを出してくれたりもする。“6人6色”のアイデアがあるからこそ経営の幅も広がり、誰かが暴走してもブレーキが掛かる。僕たちの絆がロンドの生命線であり、最大の強みだと思っています」
コンビニの駐車場で起業の夢を語り合った下積み時代と変わらぬまま、彼らは美容師が辞めない会社を維持しながら“年商、業界No.1”という次なる夢に向かっている。
(取材・文/興山英雄)