「ムーミン列車」「伊勢海老特急」などさまざまなアイデアで経営危機のいすみ鉄道(大原~上総中野、営業キロは26.8km)を救った鉄オタ社長、鳥塚亮氏が6月12日をもって退任!
9年間の任期でやってきたこと、そしてこれからのことを語ってもらった。
■ローカル線は地域が儲かる
―なぜこのタイミングで社長を退任したんですか?
鳥塚 9年間やって、次のステップに進むなら今だろうなと。あとは結局、最後までいすみ鉄道に対して、赤字だ黒字だという尺度で測りたがる人がいて。鉄道会社として赤字かもしれないけど、地域にどれだけ利益をもたらすかを理解していない。
その説明にこれ以上労力をかけてもしょうがないし、今のいすみ鉄道がひとつの完成形としていいんじゃないかと思いました。赤字だ黒字だというなら、そもそも地方財政は全部赤字ですよ。自主財源率30数%ですから。
―鉄道会社の数字だけを厳しく見られてもと。
鳥塚 地方は都会のお金をもっと持ってくるべきなんです。地方の人が車や電化製品を買って、ファミレスへ行って、ほとんど都会に持っていかれる。そして地方はかつての石炭や林業のような基幹産業がない。社会システムでお金を生み出せないなら、都会からお金を持ってくるしかないんです。
でも普通に地方を応援してくださいと言っても、都会人は見向きもしない。そこでローカル線はわかりやすいんです。行ってみよう、応援しようとなるんです。
―そういったことは社長になる前から考えていたのですか。
鳥塚 東京育ちですがローカル線が好きで、廃止は寂しいなと思ってました。でもローカル線は地域の人に任せたらダメになるんです。そもそも誰も乗らないから。けど都会人が集まれば支えられるんじゃないかって考えはありました。新しい使い方をしないとダメだろうなと。
―新しい使い方とは?
鳥塚 例えばイギリスの保存鉄道は寄付金で運行しています。乗りに行けないけど、走っていてほしいという人がいる。その思いをどうつなげるか。鉄道事業だから運賃収入という考え方だけじゃないんです。いすみ鉄道にも年間5000円のサポーター制度があります。
―地元民が乗らなくてもやっていける方法があると。
鳥塚 最初は地域の人から怒られました。税金を使って何やってんだ、地域の人間に利用してもらう努力をおまえは一切してないと。でもそのやり方でローカル線は持たなかったんですね。
―だから違うやり方をやっているんだと。
鳥塚 鉄道ってインフラなんですよ。それによっていかに地域を利するか。私鉄は何もない所に線路を敷いて、宅地開発して、スーパーを造って、バス、タクシーとやるんです。鉄道では赤字でもトータルで儲ける。私たちは三セク(第三セクター)でほかの事業はできないけど、地域全体が潤う仕組みはできると考えたんですね。そうすることによって、地域の人が乗らないけど鉄道は必要と思ってもらえるようになりました。
―いすみの名前も全国区になりましたもんね。
鳥塚 いすみ鉄道の社長になったとき、いすみ市長に「私はいすみ鉄道を全国区にします。そうすればいすみ市も全国区になる。そういう使い方はどうですか」とコミットメントしたんです。
市長からは「それだったら鉄道を残せるね」と。先日、市からいすみ鉄道の広告宣伝効果が3年で10億円以上あると言われました。うれしかったですね。
―鳥塚さんが社長になったとき、ビジネスマンというより、鉄道マニアが社長になったと紹介されてましたが。
鳥塚 だから最初は鉄道ファン向けのことをやらなかったんです。自分の苦手なところからやっていくべきだろうと。それで女性向けにムーミン列車を走らせました(09年)。
当時ローカル線と女性は結びつかなかったんです。でも女性は行動力があるし、認めてくれればムーブメントが起きるだろうと。結果、テレビや雑誌に取り上げられ、地元の人からのいすみ鉄道を見る目が変わりました。
―若いお客さんがたくさん来ましたもんね。
鳥塚 でもそれって社会の変化もあると思います。ムーミン列車といっても、ここにムーミンがいるわけじゃない。けれども日本人はそういうものを楽しめるようになった。
バブル時代は現物主義、うまいもんを食って、いいホテルに泊まるのが旅行だった。でも今はお金をかけずにいろんなことを楽しんでる。例えば私がブログに国吉駅の周りに四つ葉のクローバーがあったと書くと、女の人がわざわざ来るんですよ。
―そういう空気はいつから変わったんでしょうか?
鳥塚 東日本大震災以降ですかね。田舎へ来て地域の人と話がしたいとか。都会にいても孤独なのかなと。時代がどんどん変わっていくのをこの9年間で実感しました。
―時代とうまくマッチしたのかもしれないですね。
鳥塚 ローカル線って素材ビジネスなんです。やってることは安全正確にA地点からB地点に行くだけ。それをお客さんが「味がある」とか、「いいね」とか自由に味わう。
■前代未聞の自腹運転士
―この9年間、いろいろなプロジェクトをやったなかで印象深いものはありますか?
鳥塚 やっぱり自社養成運転士でしょうね。JRから出向していた運転士がいなくなる時期で、養成に2年かかるし、その間に給料も払ってなんてできない。医者や弁護士が自分の時間と労力を使って資格を取るんだから、運転士もそうやっていいんじゃないかと。
―自腹で訓練費を700万円払って運転士になるという話でしたよね。監督官庁からよくOKが出たなと思います。
鳥塚 国土交通省の運輸局はルールを守らせるのが仕事ですから大変でした。でも本省の鉄道局に聞いたら、いいじゃないか、面白そうだと。
―新しいことに理解ある人もいるんですね。
鳥塚 募集をしたら運転士になりたかった人たちがたくさん集まりました。やりたかった仕事だから50代になっても「出発進行!」とか、基本動作をきちんとやってます。当時は賛否の否のほうが多かったけど、やってよかったと思いますね。
―2011年にはJRで廃車となったキハ52を復活させ鉄道ファンが増えました。
鳥塚 私はSL世代なのでキハ52の価値がわからなかったんです。でも下の世代にしたらすごいことで、大糸線や岩泉線でキハ52を追いかけていた人がいすみ鉄道へ来るようになりました。
―さらに2013年にはキハ28が復活。それをレストラン列車にして話題になりましたね。
鳥塚 キハ52の1両だとお客さんをさばききれず、キハ28を買ったんです。でもピーク以外は1両で十分。どう使おうか悩んでいたら、ちょうど肥薩(ひさつ)おれんじ鉄道が食堂車をやるというので見に行って、これならウチもやれるなと「レストラン・キハ」を始めたんです。
―それが今やいすみ鉄道の看板列車ですもんね。そして国吉駅にあるキハ30はどうするんですか?
鳥塚 取締役会の方針では車籍の復活はしないとなりました。でも本線上は走れないけど、クラウドファンディングで整備して、運転体験をやれたら面白いかなと。
―いすみ鉄道でやり残したことはありますか?
鳥塚 キハ28の新車購入かな。いつ壊れるかわからないし、キハ20の新車とつなげて、きちんとしたレストラン列車をやりたかったですね。
―この先にやりたいことはありますか?
鳥塚 どこかで寝台列車を走らせたいです。昔の急行みたいに食堂車と寝台とグリーン車があるような編成で。例えば北海道でやるならB寝台の簡易個室をカラオケボックスにする。昼間はのんびり札幌から釧路まで7時間ぐらいかけて走って、1部屋1万円ぐらいで販売。帰りは寝台にして帰ってくる。これなら車両を無駄なく使えますよ。
―鉄道ファンとしてぜひ復活させてほしいです!
鳥塚 それと今、鉄道・運輸機構が北海道の列車はどうあるべきか話し合っているんですが、乗ってる人だけじゃなくて、その列車が走ることによって沿線に人が来ることも経済効果として見込むべきと言い始めてるんです。それっていすみ鉄道がやってきたことなんですよ。
―ローカル線が地域へ利益をもたらすという考え方を国も持つようになったということですね。そして航空会社、鉄道会社ときて、次はどんな仕事をしますか?
鳥塚 ローカル線を束ねる仕事がしたいですね。いろんなローカル線が同じ原因で壁にぶち当たってる。本社機能をまとめて、各地のローカル線を支店にすれば、事務費用のコスト削減ができます。そしていすみ鉄道のようなやり方で、ほかのローカル線もいい方向に持っていけると思うんです。
●鳥塚亮(とりづか・あきら)
1960年生まれ。ブリティッシュ・エアウェイズを経て、2009年に48歳でいすみ鉄道の公募社長に就任。鉄道愛にあふれ、時には世相をズバッと切る社長ブログが人気。現在はNPO法人「おいしいローカル線をつくる会」代表を務める