フリースタイルの青野社長 フリースタイルの青野社長
名古屋市にあるIT会社「フリースタイル」はひきこもりや非行少年ら、社会になじめない若者の就労を支えてきた会社として知られている。

「行き場がなく苦しんでいる人たちのために」と青野豪淑(たけよし)社長(41歳)が尽くせるのも、会社設立前に自身が"どん底"を味わっていたからかもしれない。

積もりに積もった借金は4000万円に達し、自宅に1年間ひきこもり、「もう死のう」と団地の屋上からぶら下がったこともある。だが、自殺寸前で自身の半生を見つめ直し、「これからは人のために生きよう」と心に決めるのだった。(※前編記事参照

その後、青野さんは名古屋市のIT会社に就職。営業職として働きながらも、名古屋で出会ったヤンキーや引きこもりなど、就職が困難な状況にある若者のために「フリースタイル」の設立を決意した。

その設立に必要な資金を稼ぐ一方で、フリースタイルで働きたいという若者たちには徹底して世間の常識を教えた。というのも、履歴書ひとつとってもプリクラで撮影した写真が貼られているなんてことはザラ。「社会常識からかけ離れている子が多く、まず、常識が何たるかを教える必要があった」。そう話す青野さんは自分の仕事が終わると、時間をかけてビジネスマナーと、プログラミングなどのITスキルを教えた。

コミュニケーション能力に長けたヤンキーは概して営業職を望んだが、「ありがとうございます」や「ごめんなさい」などの基本的な事すら言えない子が多かった。自分の母親ですら「お前」と呼び捨て、召使いのように接している子もいた。

青野さんは、その社員を母親の前に連れて行き、「お前呼ばわりすることは俺が許さん!」と叱ったこともある。すると覚悟を決めたのか、小さな声で「お母さん、ごめん」と彼は謝罪した。突っぱねることしかできなかった息子が非を認めた瞬間、母親はうれしさで涙を流していた。当時のことを青野さんはこう振り返る。

「僕はあの頃、ヤンキーたちを統率するよう努めていました。まだまだヤンキー同士でもいじめがあったし、その仲裁に入るのもしばしばでした」

会社設立を決めてから9カ月間の準備を経て、フリースタイルは2006年9月15日に創業を迎えた。

ヤンキーでも雇ってくれる会社がある。この情報が流れると、他社の面接で落ちた若者たちがフリースタイルにやってきた。会社設立当時の採用条件は「やる気」だけ。面接でそれが認められれば即採用。

業務は他社からの下請け仕事が多かったが、集まった社員はある種の熱を帯びたように一所懸命に働いた。そのうち、青野さんは彼らにある共通性を見出した。

「みんな、『ありがとう』と言われたことがなく育ってきたんです。でも、荒れていた彼らだって、助けられるより誰かを助けたいと思っている。だから僕は彼らに伝えました。『どうせだったら、ありがとうと言われる人になろう』って。

そして実際に働いてスキルがつくと、人から頼られるようになる。そこで僕が『頑張ってるな』『いつもありがとうな』と言ったら、これまた泣くんです。これは僕にも彼らにも快感です。そうなると、あとは僕の叱咤抜きでも一人で考え成長していきます」

フリースタイルは株式会社であるが、青野社長は「儲けを追求してはいけない」との信念をもっている。目指す会社は、自殺を試みたあの日に誓った「世のため、人のため」に働くという利他主義を貫くこと。儲けはその結果としてついてくるものに過ぎない。果たして、どんな下請け業務も一所懸命にこなすフリースタイルは売り上げを伸ばし、青野社長自身も、26歳のときに背負った数千万円の借金を32歳で完済した。
 
●お前ならできる!

創業から12年を経た今ではヤンキーからの求職はほぼなくなったが、地元・名古屋の大学や専門学校の新卒学生から注目されるほどに魅力的な会社に育った。だが社員が誰であろうと社是である「人のために生きろ」は変わらない。

入社7年目の飯田友弥さん(受託部長)にとってフリースタイルは衝撃の場所だった。

飯田さんはコンプレックスを抱えながら生きてきた。3人兄弟の末っ子。小さいときは勉強は普通の出来だったが、優秀だった長兄や次兄に引け目を感じていた。それを親戚の集まりで冗談半分でいじられると「オレはこういう人間なんだ!」と強がった。

高校時代は野球部に入った。だが、ケガをして気持ちが弱り、練習でもエラーが重なって悪口を言われ、心が折れた。最後は「お前、へたくそだな」のひと言で退部。努力をしても勝てないヤツがいることを思い知らされ、「自分に自信をもてないどころか、やりたいことをもつこと自体が怖くなった」と飯田さんはいう。

高卒後はIT系の専門学校に進学。最終学年の時、インターンシップの求人を見て何気にフリースタイルに半年間在籍することになる。初めに驚いたのが、社長が堂々と「愛」を口にしていたことだった。

「だってITの会社ですよ。機械とかソフトとかの話じゃなく、月に一度の定例会で社長が1時間半もかけて『人のために生きろ』とか『人には愛が大切だ』と力説するなんて衝撃でした。普段から考えていないと、あれだけの時間は話せない。ああ、ちゃんと社員のことを考えてくれている......そう思ったら、社長を好きになってしまったんです」

飯田さんはインターンが終わってもそのまま会社に正社員として残った。

筆者もかつてIT系企業に1年半勤務していたことがある。その職場で先輩社員からよく言われたのが「分からないことがあったら何でも尋ねて」との言葉だったが、実際はそう簡単に尋ねられない。仕事に集中している姿を見れば声をかけそびれるし、「邪魔するな」オーラを出す先輩もいるし、そもそも、新人では、何をどう質問していいのかも分からない。挙げ句、幾度と「なんで質問しないんだ!」と叱責されたものだった。このことを飯田さんに伝えると......。

「普通はそうですよね。でもフリースタイルは、そもそも学力や技術のない人たちで立ち上げた会社だから新人の気持ちを汲み取る企業文化がある。仕事上で疑問や悩みがあっても、僕が声を出すより先に、ここでは必ず誰かが『何かあったのか? 力になろうか?』と話しかけてくれるんです。技術的な悩みなら、『大丈夫、できるよ』と、わざわざ僕が理解しやすい本をもってきてくれたものです。先輩は常に新人を見守っているんです」

そう話す飯田さんにはこんな目標がある。

「フリースタイルには5つの理念があります。『愛すること=人を思いやること』、『伝えること=その姿を見せること』、『それを続けること』、『周りの人の夢を叶えてあげること』、そして『中庸=偏らないこと』。美辞麗句ではなく、社員がそれを実行しているのがすごい。

だから高校時代を振り返れば、野球部をやめるとき、僕は誰かに『夢は叶う』、『お前ならできるよ!』という言葉を言ってほしかったんですね。そういう人たちにやっとここで会えた。今度は僕がそういう人間になりたいんです」

困っていそうな社員は見て分かりますか?と尋ねると、飯田さんはこう答えた。

「分かります。毎日見守るような気持ちです」

現在、管理職を務める飯田さんには夢もあった。今年4月に社内で提案した「週休3日制」を実現することだ。というのは、仕事ができる人間にはどうしても仕事が集中するが、サラリーは一緒。そうであるなら、週5日で終わる仕事を4日で終わらせる実力を有した社員には週休3日を与えてもいいと考えているからだ。

「やろうと思えば、来週からでも施行はできますが、売り上げをわざわざ落とすこともないので...(笑)。実現には、技術職にはその技術力が、営業職には売り上げが高まることが求められますが、近い将来、まずは技術職の一部の社員から導入したいと思っています」

この夢を青野社長が応援しているのはもちろんのことだ。

●障がい者支援

フリースタイルでは、昨年から「育てる」対象を社外にも広げた。

昨年に発売した自社開発のスマホゲーム『アロット・オブ・ストーリーズ』は、配信前の予約だけで65万件を超すヒット作となったが、商品に不具合が起きないかどうかをチェックするなどの一部の業務を障がい者就労事業所「こころの樹 穂高」(長野・安曇野市)に発注している。

フリースタイルでは毎年、内定者研修を長野県で行なっているが、青野さんはそこで出会った「穂高」の担当者から、働く場所の少ない障がい者の存在を知った。

「そこで考えたんです。フリースタイルでは設立時に、人と出会うのが苦手な引きこもりの人たちのために、人と会わなくてもいい技術職のスキルを教えたけど、精神障がい者にだって同じことができるはずだって」

青野さんが驚いたのが、障がい者が作業所などで受け取る賃金の安さだ。委託業務のことを話し合っているときに、先方からは「お金をいただけますか?」との控えめな要請があった。仕事を受けてもらう以上、当然の要請だ。青野さんは尋ねた。

「いくら必要ですか?」
「一人、月5000円で」
「えっ!」

これは、障がい者雇用の現場のひとつである作業所に共通する問題だが、毎月の賃金はとにかく安い。だが、青野さんは「働いてもらう以上は人として生活が出来る給料を支払う」と、額は非公表だが相応の賃金を支給している。さらに現在は週に一度、精神障がい者にプログラミングを教え、2年間で技術者に育てる方針だ。

「それはもうゆくゆくは僕らの仕事を受注してくれるのだから、タダで教えています。人と会うのが苦痛な彼らには、人と会わなくてもいい仕事を提供すればいい。そして、まともな賃金を払うことで、資金不足に苦しむ障がい者団体の経営にも貢献したい。そして、夢は、そういう取り組みをする企業をもっと増やすことです」

青野さんの夢は、業績を伸ばし、会社を大きくすることではない。それは『人の成長』とは何の関係もないからだ。「愛」という言葉を前面に押し出す以上は、社員、そして今の日本社会に確実に貢献することをやる。この取り組みはここしばらくは注目したいところだ。

※青野豪淑さんの著書、『ヤンキーやひきこもりと創ったIT企業が年商7億円』(朝日新聞出版)が11月20日に発売予定