「バブル崩壊を『株が割高に買われすぎたからだ』で片づけては、日本社会は将来同じ間違いを犯しかねません」と語る近藤駿介氏

1990年1月、日本経済を突如襲った「バブル崩壊」。株式市場はわずか数年で崩壊し、それまで空前の好景気に沸いていた日本経済は一転、奈落の底に突き落とされた。

バブル崩壊前夜、日本の金融市場の舞台裏では何が起きていたのか、そして平成バブル崩壊の「本当の理由」はいったいなんだったのか。

当時、その渦中にいた野村投信の元ファンドマネージャーで金融・経済・資産運用評論家の近藤駿介氏が、著書『1989年12月29日、日経平均3万8915円』(河出書房新社)で「バブル崩壊の真実」を明らかにするとともに、そこから今学ぶべき教訓を説く。

* * *

──バブル崩壊から間もなく30年です。「もう、そんなにたつのか」という複雑な思いと同時に、本書のタイトルでもある「日経平均3万8915円(1989年12月29日に記録された最高値)」という株価に驚かされます。 

近藤 そうですね。当時は野村投信の社内でも、「日経平均が3年後には10万円になる」という楽観的な見通しが支配的で、私も含めた運用部門のほとんどが「日経平均は上がり続ける」と信じていました。

ですから、誰もバブル崩壊が近づいていることに気づいていませんでした。そもそも自分たちが「バブル」の真っただ中にいるという自覚すらなかったのですから。

──当時、日本株と先物のトレーダーとしてバブル崩壊を体験した近藤さんが、今あらためて「バブル崩壊の真実」を世に問おうと思われたのはなぜですか。 

近藤 あれから30年近い時間が経過しているにもかかわらず、「なぜ、あの時期にバブルが醸成され、崩壊したのか?」という謎に対して、納得のいく説明が示されていないからです。

それは言い換えれば、「あの失敗から何も学べていない」ということです。このままバブル崩壊を「株が割高に買われすぎたからだ」で片づけては、日本社会は将来同じ間違いを犯しかねません。

──近藤さんが考える「バブル崩壊のメカニズム」とは?

近藤 私もバブル崩壊が起きた当時は「その本質」を考える余裕などありませんでした。株式市場が崩壊してゆくなか、目の前で起きる問題の対処に追われていたからです。

しかし、91年に野村総合研究所に出向させられ現場から強制的に引き離されたことで、現場ではわからなかったバブル崩壊の全体像を見ることができるようになりました。

バブル崩壊の原因として、最も有力なのは「株価割高論」です。これは日銀の金融緩和などによる株高への期待が株価を説明不能な水準まで押し上げ、そのバブルを抑えようとした政府と日銀が金融引き締めや不動産総量規制に転じたことで株価が暴落したというものです。

しかし、この「株価割高論」では、なぜ89年末に向けてバブルが醸成され、90年1月からバブルの崩壊が始まったのかという「時期的な理由」がまったく説明できません。

──確かに「根拠なき熱狂」が原因では分析も難しいですね。

近藤 私がバブル崩壊の客観的検証をしているなかで気づいたのは、この時期に銀行が投資行動を大きく変えていたことでした。そして90年3月からの銀行会計に新たなルールが導入されたことに気がつきました。

80年代後半になると、株高を背景に「財テク」ブームが起き、銀行も「特定金銭信託」(特金)や「ファンド・トラスト」(ファントラ)という財テク商品で多額の収益を得るようになっていました。

ところが、先ほどの銀行会計ルールの修正により、特金やファントラからの収益は「経常利益」に反映できても、本業の儲けを表す「業務純益」には含められなくなりました。

こうした会計ルールの変更に対応して銀行は89年後半から「業務純益」に反映できる投信に傾斜していきました。その対象となったのが追加型投資信託である「インデックス投信」です。銀行から「インデックス投信」のオーダーを受けた投信会社は株価指数先物を大量に購入しました。

そして投信会社のこの動きを受けて、外資系裁定取引業者が「割高な株価指数先物を売り建て、現物株を買う」という裁定取引に動き、現物株価も上昇基調を強めました。

その株価上昇が銀行のさらなる「インデックス投信」購入意欲を高め、それが投信会社の株価指数先物買いを増やし、裁定業者の現物株買いを誘発しました。こうした連鎖反応が89年末に向けての株価上昇の原動力となり「バブル」を急激に膨らませたのです。

──それが、なぜ崩壊したのでしょう?

近藤 90年になり、3月末の決算に向けて、銀行が「業務純益」に反映できない特金・ファントラの「利益確定」に動きだしたからです。ただ特金・ファントラは89年末時点で42兆円にまで膨らんでおり、単純に売却すれば株価の大幅下落を招くリスクがありました。

銀行は株価急落リスクを避けるために、先物を売り建てる「売りヘッジ」をかけたのです。しかし銀行の先物売りは、これまで裁定取引によって多額の現物株を保有していた裁定業者の「裁定解消売り」を誘発し、現物株の下落を招く結果になってしまいました。

つまり、「バブル醸成」メカニズムが一気に「逆回転」を始めたのです。それが90年1月からのバブル崩壊を招いたと考えています。

──バブル崩壊から私たちが学ぶべき教訓とは?

近藤 90年のバブル崩壊は、80年代に進んだ資本自由化に伴う金融市場への悪影響を抑え込もうとした政府の場当たり的な対策の積み重ねが化学反応を起こしたものだといえます。

翻(ひるがえ)ってここ数年、政府と日銀は円安・株高維持のために、さまざまな形で市場に介入しています。

そしてくしくも、国民から集めた年金資金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の保有する国内株式は43兆円と、89年末の特金・ファントラとほぼ同規模になっています。

2035年ともいわれる「GPIFの資産取り崩し」に向けて、この巨額な資金が株式市場にどう影響するのか? 日本経済はすでに多くの将来的な課題に直面しているのです。

●近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)
1957年生まれ、東京都出身。早稲田大学理工学部土木工学科卒業。大手総合建設会社勤務を経て、31歳で野村投信(現野村アセットマネジメント)に入社。ファンドマネージャーとして25年以上にわたり、株式、債券、デリバティブ、ベンチャー投資、不動産関連投資など、さまざまな運用を経験。90年代中頃には合計約8000億円の日本最大規模の資産を運用していた。現在は金融・経済・資産運用評論家、コンサルタントとして活動

■『1989年12月29日、日経平均3万8915円 元野村投信のファンドマネージャーが明かすバブル崩壊の真実』
(河出書房新社 1800円+税)
日経平均株価が3万8915円87銭という史上最高値を記録した1989年12月。野村投資信託の年内最後の運用会議は高揚感に包まれ「日経平均は3年後には10万円になります」などと、威勢のいい言葉で締めくくられた。株価は84年から89年の5年間で3.4倍になり、それも不思議ではなかったのだ。ところが年明けから株価は急落。わずか2、3年の間に株式市場は崩壊した。なぜ「平成バブル崩壊」は起こったのか? 当時、金融マーケットの最前線にいた元ファンドマネージャーがその舞台裏を明かし、今まさにその本質を知ることの必要性を説く

★『“本”人襲撃!』は毎週火曜日更新!★