鳶の専門会社、セリエ・コーポレーションの技能実習生の面々。工事中のビルの前に立つ、左からダナンさん、岡本社長、サデウオさん、アグスさん

低賃金、長時間労働、パワハラ......。日本で働く外国人技能実習生の"ブラックな実態"が社会問題化している。

しかし、決して彼らを使い捨ての労働力などと扱うことなく、逆にウィンウィンな関係を築いた企業はちゃんとある。2020年代日本の突破口がここに!

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深刻な人手不足に悩む日本。対応策のひとつとして、外国人労働者の受け入れ拡大を目指す「改正出入国管理法」が、昨年12月8日に可決・成立した。政府は、今後5年間で最大約34万人の外国人労働者を受け入れる方針だ。

改正法が定めた在留資格は、通算5年滞在できる「特定技能1号」(介護、外食、宿泊、建設など14業種)と、このうち5業種(建設、造船、自動車整備、航空、宿泊)の熟練者を対象に、家族を呼び寄せての永住が可能な「特定技能2号」の2種類ある。

だが、改正法の審議で野党は大反対。現在、約28万人の外国人技能実習生が日本で働くが、「身につけた技術を母国で生かす」という本来の目的と実態が乖離(かいり)していると指摘。

また、実習生に単純労働を押しつけ、月160時間の残業をさせたり、時給は最低賃金以下の350円しか払わないといった搾取があるとした。つまり、これらの問題を残したまま、新たな外国人労働者を受け入れるのは許されないということだ。

そんななか、筆者は「ならば企業への罰則を定めるべき」と話す経営者と会った。

「日本はすでに移民の時代。居酒屋も建設現場も外国人だらけ。国会審議で残念なのは、実習生を大切にする企業もあるのに、それを見本にしての外国人労働のあるべき姿が議論されなかったことです」

なるほど。そこで調べると、確かに実習生に本気で技術を教え、彼らの帰国後の面倒まで見る会社があった。今回は4社の「移民ウェルカム優良企業」を取材。そこから、今後われわれが外国人労働者とどう付き合っていくべきかの指針が見えてくる。

■ジャカルタに支社を立ち上げ社長に抜擢!

(1)セリエ・コーポレーション(神奈川県横須賀市)

建設現場での鳶(とび)の専門会社、セリエ・コーポレーションは、少年院や刑務所からの出所者を積極採用し、その更生に努めている会社だ。

だが、親の暴力を受けた少年の場合は概してコミュニケーション能力が低く、「どうせ自分なんか」と自己肯定できず、社会に心を開かないまま離職する事例も多い。

どうすればいい。岡本昌宏社長(43歳)が思いついたのが「外国人を入れて新しい雰囲気をつくる」ことだった。

セリエは2014年と17年に3人ずつのインドネシア人実習生を採用。岡本社長が驚いたのは、彼らは「とにかくまじめ」ということだった。

「現場によっては、夜明け前の早起きもある。日本人の新人は寝坊しがちでも、インドネシア人は全員が無遅刻・無欠勤。今では日本人に仕事を教えることもあります」

昨年12月上旬、作業中の実習1期生のダナンさん(26歳)とサデウオさん(24歳)、2期生のアグスさん(23歳)を訪ねた。まず聞いたのは来日動機だ。彼らは「日本の技術を学びたい」「一度来日したかった」などと話すが、共通していたのは「儲けたい」。これは多くの実習生の本音だ。

インドネシアでの平均月給は約5万円。セリエで稼ぐ、実習生としては好待遇の約30万円は大きい。だが岡本社長が感心するのは、彼らが毎月10万円を家族に送ることだ。つまり家族の期待もでかい(ちなみに筆者が出会った実習生は例外なく月10万円前後を家族に送っている)。

だが「儲ける」だけではない。アグスさんは実習歴1年半なので「まだ体がキツイです」と笑うが、「もっと技術を覚えたい」と意欲を高めている。ほかのふたりも同様だ。

そう彼らが力強く語るきっかけは17年10月のこと。岡本社長は、第3期実習生はダナンさんに選んでほしいと一緒にインドネシアに飛んだ。3人を採用するが、そこで世間話的に話した「インドネシアにセリエがあれば、ダナンが社長だな」との言葉にダナンさんが飛びついたのだ。

「社長、それいいです。私やります。やりましょう!」

この勢いに岡本社長も「よし、やるか!」と即決した。

「実に簡単に決まっちゃって......(笑)。私はその後、現地の日系ゼネコンを訪ね仕事をくれるよう地固めしました。ダナンとサデウオはあと1年半で帰国し、社長と副社長として20年にセリエ・ジャカルタが始動します」(岡本社長)

ジャカルタはかつてない建設ラッシュ。その波に乗ればセリエ・ジャカルタは200人規模になると岡本社長は予想。本社の実に7倍の規模だ。

数年遅れてアグスさんも参入予定だが、岡本社長にはもうひとつの夢がある。仕事単位で元非行少年をインドネシアに派遣することだ。

「新しい環境で、仕事でも私生活でも自分を肯定してもらえる経験をしてほしいんです」

■2、3年後にベトナム支社を設立!

(2)アップライジング(栃木県宇都宮市)

アップライジングは、中古タイヤ販売やアルミホイールの修理・販売を扱う会社。

齋藤幸一社長(43歳)は長年、タイヤ1本を売るごとに20円を途上国の教育活動に寄付してきたが、あるとき気づいた。

「途上国の人に技術を伝え、自らの力で食えるようにするのが本質的な支援だ」

で、ベトナム人技能実習生を受け入れるため、齋藤社長はベトナムに赴き、面接で「学んだ技術を帰国後に生かす」に同意した人を採用した。現在、1期と2期を合わせて6人が在籍する。

そのひとり、実習3年目のバンさん(24歳)はそのまじめさから、齋藤社長の期待の星だ。バンさんの来日動機はやはり「稼ぎたかった」。ベトナムでは一生懸命働いても月収は3万円。来日は夢だった。

そんなバンさんは1年目、先輩社員に叱られた。

「仕事への積極性が感じられず、見かねて叱りました。なんのための仕事かと。お客さまのため、自分の成長のためではないかと」(先輩社員)

真剣に叱ってくれる先輩がいるのは幸いだ。ひと皮むけたバンさんは今では修理に加え、接客も積極的にこなし、商売のなんたるかを肌で学んでいる。

中古タイヤの販売やアルミホイールの修理・販売を扱うアップライジング。ベトナム人技能実習生と齋藤社長(右端。写真提供/アップライジング)

タィンタンさん(26歳)は実習歴1年半だが、「学ぼうという気持ちがすごい」と社長の評価は高い。というのは、「溶接も調色も磨きももっとうまくなりたいです」と決してさぼることなく仕事に励みながら、来日わずか半年で日本語検定2級を取得したからだ(通常は数年かかる)。

それでも、車の仕事で一人前になるには5年はかかる。技能実習生の期限は3年間。ただし2年延長できるので、今年2月、齋藤社長はベトナムのバンさんの実家を訪ね、「息子さんをもう2年預けてください」とお願いしてくるそうだ。そこには齋藤社長のもうひとつの夢がある。2、3年後にベトナム支社を設立するのだ。

「ベトナムにはアルミホイール修理がほとんどない。つまり技術を覚えた彼らの就職先もない。じゃあ、僕たちがつくろうと思った」(齋藤社長)

この社長の本気にバンさんもタィンタンさんも使命感を覚えた。

「私が社長になったら、簿記や会計だって覚えます。アルミホイールの修理はベトナムのリサイクルにも貢献すると思います」(バンさん)

■日本語教育も研修も自前で実施するパン屋

(3)パン・アキモト(栃木県那須塩原市)

パン・アキモトは2015年にベトナムに支店の「ゴチパン」をオープン

パン・アキモトは地元では知られた有名パン屋だ。今は、3名のベトナム人実習生を雇っている。そのきっかけは、終戦直後に創業した故・秋元健二氏の「日本は戦争でアジアに迷惑をかけた。何か貢献したい」との遺志を継ぐためだった。

アキモトが、技能実習生の採用で他社と違うのは、現地で直接採用することだ。多くの会社は、現地の「送り出し機関」を介して採用する。

送り出し機関とは、来日前の事前研修として日本語教育や文化理解の研修、ビザ手配などを担う機関で、ここに任せれば企業の労力は省ける。だが、実習生はそれらの機関に数十万円から100万円の借金をして来日する(彼らの月10万円の送金にはその返済も含まれている)。

これは負担だ。アキモトは今、日本語教育などの研修費用を負担する。その一環で、15年、ダナン市にベトナム支店というべきパン屋「ゴチパン」をオープンした。

惣菜パンや菓子パンがないベトナムではここのパンが大人気で、アキモトの知名度を高めることにつながった。技能実習生は来日前の半年間、ここで研修を積む。そして本人が望むなら、帰国後の就職先にしてもいいという。

パン・アキモトでパン作りを学ぶクウァンさん、ティンさん(左から)

実習生のクウァンさん(34歳)は、ベトナムで溶接や電気工事の仕事を転々としていたが、職人になり自分の道を開きたいと来日した。アキモトで働いてよかったのは「毎日、みんなが励ましてくれる」ことだ。その温かさが特に身に染みた出来事があった。

17年末、ベトナムで待つ妻が体調を崩し入院した。だが見舞いに行こうにも、年末に倍以上に高騰する航空券を買う余裕はない。困った。すると、事情を知った社員有志がカンパを始めたのだ。クウァンさんは年末から2週間の帰省を果たすことができた。

「社員の皆さんには感謝しかありません」

クウァンさんは19年2月で実習3年を終えるが、「自分の技術をより高めたい」と、あと2年の延長を決めた。

ただ実習終了後、クウァンさんがゴチパンに就職するかは未定だ。ゴチパンのあるダナン市が実家から遠いからだ。秋元信彦部長はこう語る。

「確かに、帰国後のパン作りを条件に採用しました。でも、僕らはその約束で彼らを縛りたくない。人は成長するなかでいろいろな展望を描き、人生を決めるからです」

そしてこう続けた。

「もしクウァンが近くの街でパン屋をやりたいなら、そのサポートはやりますよ」

クウァンさんが小さく頷(うなず)いたのが印象的だった。

■帰国後何をするのかを徹底的に話し合った

(4)有限会社田中(鳥取県米子市)

有限会社田中のタイ・バンコク支店「MBK JAPAN」

有限会社田中は全国展開する「カーコンビニ倶楽部」のフランチャイズ店として、車のタイヤ販売や板金、修理など手がける。ここには今、タイ人とミャンマー人の実習生がふたりずついる。

実習生の来日動機に「儲けたい」があるのは事実だが、受け入れ企業にも「人手不足解消」の思惑がある。

田中修二社長(47歳)は、「今は本当に厳しい。日本人は、整備工はたまに来るが、板金は応募がほぼゼロです」との理由で実習生を採用した。

面白いのは、技術を真剣に教える日本人と無遅刻・無欠勤で働く実習生が仕事をしていくうちに互いの意識が変わっていくことだ。

板金を教える入江伸彦さんは「彼らはとにかく熱心に学びます。その姿勢に子供を育てるような愛情が湧いてくる」と語れば、佐田欣也店長も「今回の法改正で特定技能2号は家族で永住できるんでしょ。本当にそう願います」と実習生といつまでも働きたいとの思いを吐露した。

日系企業が相手の仕事も多いため、日本式経営も必要だが、それも元技能実習生が担っている。日本で働くふたりの実習生と田中社長(中央)

田中社長はタイ人第1期生のモンコンさん(39歳)との出会いが大きかったと語る。

「実習の2年目から彼とは『帰国後、何をするのか』を徹底的に話し合いました」

そして導き出した結論は、学んだ技術を生かすために「田中」がタイに工場を出し、モンコンさんが社長に就任することだった。

苦労の末、田中社長は16年、タイ・バンコクで修理工場「MBK JAPAN」を設立。在タイ日本企業にすれば日本ブランドの工場は信頼できるので需要は十分にある。

特筆すべきは、田中社長がタイでも日本並みに近い給与を払っていることだ。

「それだけ高い技術を実習生は身につけていますから」

実際、タイ人のエイカパンさん(33歳)は間もなく実習終了だが、「タイヤ関連なら全部できます!」と自信を見せ、MBKで就職予定。もうひとりのネックさん(25歳)は、1年前までうまくできなかった板金ができるようになった今、前向きにMBK就職を考えている。

となると気になるのは、ミャンマー人実習生だ。

ソーさん(30歳)は「板金をマスターしたい」と希望しつつ「帰国したらできないかも」と語り、ケインさん(30歳)も自他共に認めるほど「板金が好き」だからこそ帰国後の道がまだ見えない。

だが、田中社長は「ちゃんと考えています!」と力強い。

「田中」では今、同じように実習生を雇う国内の車関連の数社と、ミャンマーに車修理のトレーニングセンターをつくろうとの話を進めているのだ。

「その実現に向けて動きます」(田中社長)

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筆者は今回の取材で心温まる思いを覚えたが、紹介した4社に共通するのは、実習生を時に叱りながらも、大切に育てていることだ。法定賃金を支払い、個室寮を用意し、残業も少ない。またどの実習生も「ミスをしても非難されるのではなく、逆に励まされた」ことを高く評価していた。

調整弁ではなく、国境を越えて人を育てる。日本社会に一条の光を見る思いがした。