これぞ地方創生のお手本か? シリーズ「日本の農業はオレたちが元気にする!!」最終回は、農業復活のカギを握る「6次産業」を成功させた佐賀県のプロジェクトに注目!
酒造りの原材料から地元産にこだわった酒蔵とコメ農家の思いが結実。新たな名産品誕生とコメブランド向上の舞台裏に迫る!
■地元・佐賀のコメで悲願の酒造り再開
これからの農業を語る上で欠かせないキーワードがある。それが「6次産業」だ。
一般的に産業は、第1次から第3次に分類される。1次は自然と直接関わる農業や漁業などで、2次は加工業や製造業など、3次は販売、運輸、通信、サービス業などだ。
6次産業とは、これらすべてに農業関係者が関わる経営形態のこと。1次から3次までの数字を足して(1+2+3=6)、そう呼ばれるようになった(近年は足し算ではなく掛け算だとする新たな提唱もある)。
6次産業の狙いは、地域の資源を活用して新たな価値を創造することで、全国各地でさまざまな取り組みが行なわれている。なかでも筆者が注目したのが、酒どころ佐賀県の「佐賀ん酒・佐賀ん米」プロジェクトだ。これは県内有数の酒蔵密集地域、鹿島市の「肥前浜宿(びぜんはましゅく)」で進められている取り組みだ。
「肥前浜宿といっても、酒好きはともかく、全国的にはそこまでの知名度はなかったですもんね」
そう語るのは、同市にある「観光酒蔵 肥前屋」を経営する大正3年創業、峰松酒造場の4代目蔵元・峰松一清(かずきよ)社長だ。この6次産業プロジェクトは、峰松酒造場が事業体となって推進している。
今回筆者が、肥前浜宿地区に足を運んでみたところ、その観光地としてのポテンシャルの高さに驚嘆した。最寄り駅のJR長崎本線・肥前浜駅から徒歩数分の通称「酒蔵通り」は圧巻の光景で、江戸から昭和にかけて建てられた歴史的建造物が軒を連ねている。
その数百mの通り沿いには3つの酒蔵があり、世界的なコンクールで1位の栄冠に輝いた日本酒「鍋島」の富久千代酒造もここにある。
実は、峰松酒造場は2007年に先代が亡くなり、それから数年間、酒造りをやめていた。
「酒造りの再開は悲願でした。そして、復活するなら佐賀県産のコメでやりたい。そうやって地域を活性化することで、酒造りを続けていくこともできると思ったのです」(峰松社長)
そんなとき、地元の佐賀銀行を介して県内でコメを生産する農業生産法人イケマコと出会った。15年のことである。
そこから、コメの生産者と酒蔵の強力なタッグが始まる。峰松酒造場は「肥前浜宿」ブランドを立ち上げ、同じ酒蔵通りにある光武酒造場の協力を得て酒造りを再開。それと同時に、峰松酒造場は建物をリニューアルし、観光客を受け入れやすくするため、酒造りの疑似体験もできる観光酒蔵としての機能を拡充した。
また、イケマコと協力して、米菓など、さまざまな商品開発を手がけて販売するようになった。そうして迎えた16年、峰松酒造場は酒蔵で初めて農林水産省総合化事業計画認定を受けた。生産、加工、販売までを一貫して行なう6次産業の事業体として、国からお墨付きを得たのである。
しかし、それで攻めの手を緩めることはなかった。
「肥前屋という販売拠点をつくり、肥前浜宿ブランドの酒、お菓子、酒の肴(さかな)になるような加工食品などを販売し、内外のお客さまから好評を得ました。でも、どんな商売もそうですが現状維持だけでは続きません。
せっかく6次産業として認められ、原料づくりから農家と一緒にやれる状況がある。ならば次は、ここにしかない特別な酒を造るべきだと思ったのです。それが『龍の瞳』でした」(峰松社長)
「龍の瞳」は特別なコメだ。品種名は「いのちの壱」というが、その中で飛び抜けて品質の高いものが「龍の瞳」に選定される。その幻のコメは、粒の大きさが一般の食用米の1.5倍ほどあり、吸水性が非常に高く、特性が酒米の王様「山田錦」にも似ている。それまで佐賀県では栽培されていなかった。
そのコメを使って、一度は蔵を畳んだ名酒蔵が新しい酒を醸す。そんな地元愛にあふれる取り組みは、周囲の期待も集め、クラウドファンディングでも資金を募るや、目標額をはるかに上回った。そして18年、「肥前浜宿 龍の瞳」は限定販売にこぎ着けた。
「かつて蔵を畳んだとき、いつか復活したいと願っていましたが、それがついに佐賀県でしか造れない酒にまでたどり着いた。それもこれも6次産業のおかげです」
と峰松社長は笑う。もちろん、峰松酒造場の取り組みはまだまだ終わらない。例えば龍の瞳の酒粕(さけかす)を使った焼酎のプロジェクトを開始し、これも好評を博した。
■地域のコメ全体のブランド力をアップ
さて、「肥前浜宿シリーズ」の原材料である、コメのすべての生産を担うのが農業生産法人イケマコだ。会社と肥前浜宿の鹿島市とは、電車で1時間ほどの距離がある。
「佐賀県は地域ごとに個性が強いし、どうやってタッグを組むのかと思ったものです」
と当時を笑顔で振り返るのは、同法人の池田大志代表取締役だ。07年に設立し、地域の生産者とのコミュニケーションを重視し、農地を借りるなどして法人の規模を拡大してきた。ドローンを使った最新のスマート農業にも積極的に取り組む。そんな池田さんにとって、コメの消費減少は大きな課題だった。
「消費者の食の嗜好(しこう)が変化するのは当たり前のことです。でも、やみくもに規模を大きくすることで価格競争をするのは違うと思ったんですよ。
生産者の意識は、何より『旨(うま)いコメをつくる』といった農産物そのものに向けられるべきなのに、単純な価格競争をしていては、その余裕はどんどんなくなってしまう。そういう夢のない現場には、働き手もやって来ないですよ」
池田さんが続ける。
「そんなとき6次産業の話がきた。これはちょっとした奇跡でした。実はかねてから、佐賀のコメの消費を増やすには、ブランド力の強化が不可欠だと思っていたんです。
それにはきっと、酒造りに関わるのがいいと思っていました。しかし実際には、佐賀は酒どころゆえ、誰にお声をかけたらいいのかわからないじゃないですか。手探りの状態のなか、巡り会えたのが峰松酒造場さんだったわけです」
なぜ酒造りがコメのブランド力アップにつながるのか。池田さんは説明する。
「世界の醸造酒造り、特にワインは醸造家と原料の生産者が一緒ということがほとんどです。いいワイナリーのある土地では『ワインの葡萄(ぶどう)の産地』という事実が、そこで生産されるほかの農産物や畜産物にも付加価値を生んでいます。
佐賀なら、そうした付加価値の創造を酒とコメで実現できる。日本酒造りは基本的に分業体制が取られてきました。だからこそ6次産業化で、原料から酒造りまで、農家と蔵元が一緒に行なう意味がある。
そうすることで『あの酒のコメをつくっている地域』という価値を生み出し、それが地域のコメ全体のブランド力アップにもつながります。旨い酒を造っている旨いコメの産地として、佐賀のコメのイメージが定着することは消費拡大に不可欠なのです」
■リスクを恐れていたら農業の未来はない
実際、池田さんが作業する田んぼに峰松社長が訪れるなど、両者の協力体制は緊密だという。顔を合わせる頻度は、一般の契約農家と蔵元の関係(農家と蔵元の距離は物理的に離れていることが多く頻繁に会うことはない)をはるかに超えている、6次産業ならではの現象だ。
また、イケマコではさらなるブランド力強化の計画も進行させている。
「実は、酒類販売免許を取得し、この夏からコメとセットでイケマコが関わった日本酒を売ります。旨いコメとそのコメを使った旨い酒。一緒に提供することで説得力がぐっと増します」(池田さん)
今、全国に6次産業の波が押し寄せているが、イケマコの池田さんは冷静だ。
「6次産業は決して簡単ではありません。プロ同士が互いの経験と知識を出し合い、それをちゃんと聞き入れながらひとつのものをつくるのはなかなか難しいことですよ。出来上がった製品が消費者に受け入れられなかったらどうにもならず、プロジェクトが失敗したらその損失を埋めるのは並大抵のことではない。
でも、そのリスクを恐れていたら、この先の日本の農業の未来はない気がします。肥前浜宿ブランドでの『佐賀のコメ』の成功はまだまだ足がかりにすぎないと思いますが、その手応えは大きかった。生産者の目が最終的な製品にまで届く6次産業の考え方は、今後の農業の推進力になっていくと思います」
これからもさまざまな問題と向き合わなければいけない日本の農業にとって、6次産業化はその解決の大きな柱になりそうだ。これからどんなオモシロイ6次産業が現れるか、期待したい!