「PayPay」による100億円キャンペーンなどで、日本にも拡大しつつあるスマホを使ったモバイル決済。しかし日本のはるか先を行くのが、お隣の中国だ。
商店やレストランはもちろん、道端の屋台まで、あらゆる場面でQRコード決済が利用でき、「現金を持ち歩かなくても何不自由なく生活ができる」までに定着。モバイル決済は、もはや人々の生活に欠かせないインフラになっているという。
急速に普及した背景には何があるのか。中国の対外経済貿易大学で教授を務め、北京在住18年の経験をもとに中国のモバイル決済の現状を『キャッシュレス国家』(文春新書)でつまびらかにした西村友作氏に話を聞いた。
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──西村さんと中国との関わりについて教えてください。
西村 1995年、大学生だった私は交流プログラムを利用して深圳(しんせん)を訪れ、大きな衝撃を受けました。そこで私が見たのは、貧富の差が小さく、均質化した日本とは大きく異なる世界でした。高層ビルが並び、道には高級車が連なって走る一方で、路上にはホームレスがいる。
しかし街は熱気にあふれていました。バブル崩壊後の混迷から抜け出せない日本社会にはない、成長を確信させる何かがあったのです。中国に魅せられた私は、その後の短期留学を経て、2002年に国費留学生として対外経済貿易大学に入学、現地の学生と競争の末、大学教師のポジションを得ました。
──それからの約20年、中国は大きく経済発展してきました。
西村 成長への確信はありましたが、ここまで急速に発展するとは思っていなかったというのが正直なところです(笑)。
──著書では、その経済成長のなかでも「モバイル決済」と「信用」にフォーカスしています。なぜ中国ではここまでモバイル決済が浸透したのでしょう?
西村 日本では、「中国には偽札があふれているからモバイル決済が普及した」という論調がよく見られますが、それは間違っていると思います。何より「便利だったから」です。
──詳しく教えてください。
西村 かつて中国では硬貨の流通が少なく、お札も汚れたものが当たり前のように使われていました。それに中国では大規模なお店やチェーン店だけでなく、道端の露店商や屋台が市民の生活を支えています。そうしたところでのクレジットカード決済は、電源や決済端末の導入コストなどがあり、現実的ではありませんでした。
ここに商機を見いだしたのが、オンラインモール「タオバオ」を運営するアリババです。アリババは、販売者と購入者の間での支払いや配送など取引の安全性を担保する「アリペイ」でモールの信頼性を高め、大きなシェアを獲得していました。
そのアリババは、店頭でのQRコードを使ったモバイル決済にも進出したのです。そして本格的な普及を後押ししたのは、中国人の多くがインストールしているテンセントの「ウィーチャット」です。テンセントはウィーチャットに決済機能を組み込んだ「ウィーチャットペイ」を2013年に発表しました。
両者が競い合うことで、サービスの質は向上し、利用者も拡大。12年に2.3兆元(36.8兆円)だったモバイル決済額は、17年には約88倍の202.9兆元(3246.4兆円)に達しています。
このQRコードを使ったモバイル決済は、コンビニやスーパーなどの店舗だけでなく、露天商や屋台にも普及していて、使えないお店は皆無といっていいでしょう。店側が専用スキャナーを用意する必要はなく、決済用のQRコードをプリントして貼りつけて、それを購入者がスキャンすれば支払い完了です。コストもかかりません。
それにキャッシュレスの利便性は、サービスや個人間のお金のやりとりにも広く活用されるようになっています。
──どんなことに使われているのでしょう?
西村 シェア自転車は、備えつけられたQRコードを読み取れば解錠でき、利用することができます。また、QRコード決済を使った、無人フィットネスクラブや無人カラオケボックスも登場しています。
個人間でいえば、レストランの会計が非常に便利です。何人かでレストランに食事に行ったとします。私の場合は、まずアリペイでお店にまとめて支払い、次にウィーチャットペイの割り勘機能でほかの人に請求、それぞれが承認すれば精算は完了です。
──小銭を数える手間もなくなり、便利そうですね。
西村 また、こうした決済機能がほぼ手数料なしで使えることも、普及を後押ししています。個人間のやりとりでは手数料は無料です。アプリにたまったお金を銀行に送金する手数料は、送金額のわずか0.1%です。
──運営企業は、どうやって利益を出しているのでしょう?
西村 ひとつは、個人データの収集です。運営企業はユーザーの決済に関する情報などを基に「信用スコア」を算出し、スコアの高いユーザーは金融商品で優遇が受けられるなど、さまざまなサービスへの囲い込みに活用しています。
──モバイル決済の普及で、中国では課題も出てきている?
西村 先ほど紹介したシェア自転車や無人フィットネスにしても、乗り捨てられた自転車を元に戻したり、メンテナンスには人手が必要です。かつては安い労働力に支えられて成立していたビジネスも、人件費の上昇を受け、今は転換期を迎えています。
また、現金でのやりとりを拒否する事業者も現れ、2018年には中国人民銀行が現金受け取り拒否を禁止する公告を出しました。さらに、「デジタル難民」の問題もあります。
スマホを使いこなす人が自身の信用スコアを高め、便利なサービスをお得に利用できる一方で、高齢者など使いこなせない層は取り残されてしまっているのです。
──日本のキャッシュレス、モバイル決済はこれからどう進展していくのでしょうか。
西村 日本はまだ事業者が多すぎる状況です。その事業者が、利用者にどのようなメリットを提供していけるかを競い、場合によってはアライアンスを組みながら、お店と消費者の双方に利便性を提供していくことが必要でしょう。
お店側の導入コスト、手数料を極力抑え、消費者が「無料で全国どこでも使える」を実現できるかがモバイル決済普及のカギになると思います。「キャッシュレス元年」といわれる今年に期待したいですね。
●西村友作(にしむら・ゆうさく)
1974年生まれ、熊本県出身。対外経済貿易大学 国際経済研究院 教授。専門は中国経済・金融。2002年より北京在住。10年に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士号を取得し、同大学で日本人初の専任講師として採用される。同大副教授を経て18年より現職。日本銀行北京事務所の客員研究員も務める
■『キャッシュレス国家 「中国新経済」の光と影』
(文春新書 850円+税)
QRコードを使ったキャッシュレス決済が急速に進む中国。コンビニやレストランはもちろん、道端の露店や屋台にまで浸透し、現金を持つ必要がない生活スタイルがごく一般的になっているという。中国で急速にキャッシュレス化が進んだ背景には何があるのか? 北京在住18年で、中国の経済金融系大学で教鞭を執る日本人教授が、自らの経験をもとに「中国新経済」の実態とそこから見えてきた課題を明らかにする