長引く新型コロナの流行で大きな打撃を受けている日本経済。ここにきて国内でもワクチン接種が進み始めたが、この先、感染が収束に向かってもコロナがもたらした経済へのダメージは簡単に癒えそうもない。
コロナ後を見据え、経済立て直しのために何をすべきか? その方策を、国民への大胆な「現金のバラまき」に見いだすのが、『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)を上梓した駒澤大学経済学部准教授・井上智洋氏だ。
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――昨年4月に1回目の緊急事態宣言が出され、政府は「特別定額給付金」として国民ひとりにつき10万円の給付を行ないました。井上さんは、これを「実質的なベーシックインカムだった」と指摘しています。
井上 ベーシックインカムは、生活に必要な最低限のお金を政府が国民に給付する制度です。その意味で、コロナ禍の緊急的な措置として実施された1回限りの10万円給付は、「一時的なベーシックインカム」と呼んでもいいかもしれません。
それまで政府や国民の多くは、生活保護のように「社会で特に困っている人に対してだけお金を配ればいい」という考えだったのではないでしょうか。
それが、コロナ危機以降、幅広い業界、職種の人たちが雇用や生活の先行きに不安を抱えるなかで、「とりあえず国民全員に政府がお金を配る」というベーシックインカム的な発想が広く受け入れられたことは大きな意味があると思います。「困っている人」だけをピンポイントで支援することの難しさが理解されるようになったのかもしれません。
――「国民全員」だと、お金持ちにも10万円を配ることになるので、所得制限を設けたほうがいいという声もありました。
井上 しかし、所得制限は思わぬ不公平を生みます。
例えば、現金給付を受けられる人に年収100万円以下という所得制限を設けた場合、年収が1円違うだけで「給付を受けられる人」と「受けられない人」に分かれます。そこに再分配額の「崖」が生まれ、大きな不公平感につながります。
また、緊急事態宣言などのコロナの感染対策が人々の雇用や生活を脅かし、すぐに支援が必要な人たちがいるのに「所得制限」という条件を設ければ、必然的に受給資格の審査や事務手続きが膨大になるため、スピード感を持った給付を行なうことが難しくなります。
だったら、とりあえず国民全員に現金を配って、お金持ちからは後で税金で回収すればいいというベーシックインカム的発想はとても合理的です。
――コロナの危機だけでなく、長引くデフレに苦しむ日本経済の立て直しにも、「政府による現金給付」の政策を行なうべきだと主張されていますね。
井上 コロナ禍で10万円を給付した第一の目的は「生活の安定」だと思いますが、需要喚起の効果も期待できます。
30年続く日本経済の停滞は、この「需要」の落ち込みが大きな要因になっているので、経済の立て直しにはまず人々の生活の不安を取り除き、停滞している需要を喚起することが必要です。
私が「反緊縮論」の立場から積極的な財政政策の重要性を訴え、ベーシックインカム的な政府による現金給付が有効だと主張しているのもそのためです。
――なぜ「政府による直接現金給付」なのでしょう?
井上 景気を良くするためのマクロ経済政策は「ケインズ主義」と呼ばれ、日本では伝統的に公共事業がその手段として使われてきたのですが、その後に出てきたのが「ニューケインジアン」(新ケインズ主義)といって主に金融政策で景気を良くしようという考えです。
アベノミクス第一の矢である金融政策は、日銀の黒田総裁の下で、「異次元の金融緩和」という形で実施されましたが、民間銀行が日銀に預けているお金が膨大になったほか、株式市場にお金がバラまかれただけで、一般の人たちの賃金はさして上がらず、消費増税もあって、消費需要はそれほど増大していません。
――いわゆる「トリクルダウン」で、庶民までお金が落ちてくるなんてことは起きなかったと。
井上 それは「異次元の金融緩和」で日銀が資金をジャブジャブに供給しても、肝心の需要が停滞しているので、民間銀行から企業への貸し出しが増えず、企業も賃金を上げないという「ふたつの目詰まり」が原因です。
だったら、「政府が国民に直接お金を配ればいいじゃん」というのが私の言う「第三のケインズ主義」で、ヘリコプターで空からお金をバラまくようなイメージなので「ヘリマネ派」とか「現ナマ派」と呼んでいます。
――そして、具体的に「現ナマ」をバラまく方法が......。
井上 ベーシックインカムという形です。このパンデミックが収まっても、デフレ不況は長期化する可能性がありますし、AI(人工知能)技術の発展によって、近い将来、失われる雇用が数多くあると予想されるなか、人々の暮らしと経済を底支えするベーシックインカムの導入は不可欠になってくる。
そこで私が提唱しているのが、一定額の固定ベーシックインカムと、景気対策としての変動ベーシックインカムを組み合わせた「2階建てのベーシックインカム」の導入です。
固定ベーシックインカムは基本的に税を財源とし、毎月一定額を国民に支給します。一方の変動ベーシックインカムは日銀が主体となり、政府が発行した国債を日銀が買い取って、そのお金をすべて直接国民に給付する。後者は、そのときの経済の状況に応じて行なう、一種の景気対策だと考えていただければいいと思います。
――ベーシックインカムが導入されると、代わりにさまざまな社会保障制度が廃止されるのでは、と心配する人もいます。
井上 ひと言でベーシックインカムと言っても、ベーシックインカムを導入して社会保障はすべて廃止するべきだという「代替型」や、今の社会保障制度の役割の一部をベーシックインカムが担う「中間型」、そして今の社会保障制度はそのままにしながら月に7万円とか10万円のベーシックインカムを行なう「追加型」があり、私はまず追加型から始めて、徐々に中間型を目指す形がいいのではないかと思っています。コロナ禍をきっかけに、そうしたベーシックインカムへの理解が広まってくれることを期待しています。
●井上智洋(いのうえ・ともひろ)
駒澤大学経済学部准教授、経済学者。慶應義塾大学環境情報学部卒業。IT企業勤務を経て、早稲田大学大学院経済学研究科に入学。同大学院にて博士(経済学)を取得。2017年から現職。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。著書に『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』(日本経済新聞出版社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)などがある
■『「現金給付」の経済学 反緊縮で日本はよみがえる』
(NHK出版新書 968円)
長引くデフレ不況はコロナ後も続くのか。近い将来、AIの進歩で、雇用がいくつも失われ格差が拡大するといわれるなか、日本経済を復活させるために最も効果的なのが需要の喚起だ。「アベノミクス」で一般の人たちの賃金は大して上がらず、需要も回復しない今、注目の経済学者が「追加型ベーシックインカム」の必要性を徹底解説する