1990年代初頭に起きた「バブル崩壊」以降、先進国の中で唯一、事実上のゼロ成長が続く日本経済。この「失われた30年」を招いた要因を「日本人や日本社会が持つ意地悪で不寛容なマインド」だと指摘するのが、経済評論家・加谷珪一(かや・けいいち)氏の新刊『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』だ。
日本経済の足を引っ張る「国民の底意地の悪さ」とはなんなのか、著者の加谷氏に聞いた。
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――消費増税や緊縮財政など「失われた30年」の要因については、いろいろな説がありましたが「国民の底意地の悪さ」というのは初めて聞きました。そもそも、日本人ってそんなに意地悪な国民でしたっけ?
加谷 日本人には「優しさ」や「思いやり」、「和」や「絆」を大切にする国民という自己イメージがあるかもしれませんが、一方で、普段から日本の社会に漠然とした「息苦しさ」のようなものを感じている人も多いのではないでしょうか?
実際、日本では何か新しいことを始めようとすると、すぐに足の引っ張り合いが起きたりする。また常軌を逸した誹謗(ひぼう)中傷、メディアによる過剰なバッシングなど、不寛容で抑圧的な「空気」が存在しています。
――つまり、そういう空気が「国民の底意地の悪さ」だと。
加谷 本書では、さまざまな国際比較調査を参照しながら、日本人の生活や仕事に対する自己評価の低さ、それに「個人の自由」に対する意識の低さ、また自殺率の高さなど、日本人のネガティブなマインドの例を具体的に紹介しているのですが、そうした日本社会の負の側面が最も顕著に表れたのが「コロナ禍」だったと思います。
感染症のパンデミックで自分たちの命や生活が脅(おびや)かされるという危機に直面するなか、政権幹部は国民の安全そっちのけで利権の確保に走り、一方の国民の間には極端な自己責任論が広がって、コロナに感染した人たちへの誹謗中傷が見られた。
私はそれらの根底にあるのが、今もなお日本社会に根強く残る「ムラ社会」的な意識だと考えていて、それをこの本では「国民の底意地の悪さ」という言葉で表現しています。
――それはどんな形で経済に悪影響を与えているのでしょう?
加谷 経済への影響が深刻化したのは、バブル崩壊後です。戦後の日本は製造業を中心に輸出に依存する形で驚異的な高度経済成長を実現し、80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるほどの国際的な地位を手にしました。
しかし、90年代に入ると新興国の出現や、ITに代表されるテクノロジーの進化によって、日本もアメリカなどほかの先進国と同様に、従来の「製造業+外需依存型」から、国内消費を中心とした「内需拡大型」の経済・産業構造への転換を迫られることになります。ここで日本経済の足を大きく引っ張ったのが、日本社会に根深く残る「ムラ社会」的な空気です。
本来なら消費経済を成長させるために知恵を絞り、新しい付加価値を生み出していく必要があるのに、皆、自分たちの既得権益を守ろうと「変化」を遠ざけ、お互いの足の引っ張り合いを繰り広げてしまった。
――確かに日本社会は「変化」を嫌うところがありますね。
加谷 しかも、日本は過去の成功の上に慢心して謙虚さを失っているので、今も「技術大国」だと信じている人が少なくない。しかし、現実には半導体や液晶パネルなど、かつて日本の強みだった製造業も衰退して、気がつけば主要な先進国の中で、最もIT化が遅れた「IT後進国」になってしまった。
そうやって消費経済への転換に必要な変化を嫌い、新しい挑戦を支える「自由でおおらかな雰囲気」を抑圧し続けた結果、日本は90年代以降のパラダイムシフトに乗り遅れ、成長のチャンスを逃してしまった。私はこれが「失われた30年」の正体なのだと思います。
――日本はなぜ「失われた10年」ぐらいで、その問題に気づけなかったのでしょう?
加谷 80年代に誰も気づいていなかったのかというと、まったくそんなことはなくて、むしろ日本全体の総意として「変わらなきゃいけない」っていう意見のほうが多かったと思います。
86年に中曽根康弘内閣の諮問機関が内需拡大や市場開放などの必要性を訴えた「前川レポート」が有名ですが、当時の日本政府も「ビジネスモデルを大胆に転換しなきゃいけない」と、明確に表明していたんです。
ところが、いざ内需拡大型に転換しようとなれば、産業構造や労働力のパラダイムシフトが起きるわけで、そこで「俺は損するんじゃないか」「俺はこれはやりたくない」などと変化を嫌う感覚が邪魔をして、結局、何も変えられずに30年が過ぎてしまったのだと思います。
――「失われた30年」の元凶が単なる政策の誤りではなく、「国民の気質」や「社会の雰囲気」だとすると、かえって問題の根は深そうですね......。
加谷 そうですね。私は日本社会の「ムラ社会」的な雰囲気を、「前近代性」と言い換えることができると思います。経済に限らず今の社会を支える民主主義や資本主義の仕組みは、西欧的な「近代」のあり方の上につくられています。人々の自由と権利を尊重しながら、契約や法といったルールに基づき、倫理観と合理性をもって社会を営む、というのが「近代」です。
ところが、明治維新後の日本は形の上では急激な近代化の道を歩んできた一方で、社会の中には「ムラ社会的」な性格が色濃く残り続けてきたので、同調圧力が強く、時に合理性が軽んじられたり、不寛容で自由を抑圧したりすることがある。
こうした日本社会の前近代性は、福澤諭吉、夏目漱石、渋沢栄一など、明治時代から多くの著名人が指摘していますが、日本人がその問題を自覚し正面から向き合わない限り、社会や人々の意識を変えるのは難しい。
経済が停滞するなか、格差と不寛容な空気が広がり続ける今の日本は、慢心から現実を見誤り、悲惨な結果を招いてしまった戦前の日本と同じ道をたどっているように見えます。
しかし、日本人が「失われた30年」という"敗戦"を直視し、そこから謙虚な姿勢で学ぶなら、本当の意味での近代化と日本経済の復活は十分に可能です。そして私は謙虚に外国のいいところを取り入れ、それを生かす力こそが「日本文化の本来の良さ」だと信じています。
●加谷珪一(かや・けいいち)
経済評論家。仙台市生まれ。1993年、東北大学工学部卒、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は、『ニューズウィーク日本版』や『現代ビジネス』など多くの媒体で連載を持つほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターを務める。主な著書に『中国経済の属国ニッポン マスコミが言わない隣国の支配戦略』(幻冬舎新書)、『150人のお金持ちから聞いた 一生困らないお金の習慣』(CCCメディアハウス)、『脱日本入門』(文藝春秋)などがある
■『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』
幻冬舎新書 990円(税込)
この30年間、実質賃金はまったくといっていいほど上がらず、先進国の中で日本だけが消費主導による成長ができない理由はどこに? 著者はその最大の要因を、他人に対する誹謗中傷やバッシングに代表される日本特有の社会風潮だと指摘する。日本人の行動様式は、経済にどのような影響を与えているのか。国際比較調査、社会学、バブル崩壊後の日本経済の構造の変化などを通じて、その理由を明らかにし、日本経済の潜在力を100%発揮する道筋までを考察する