コロナで新幹線をはじめ、鉄道の利用が激減。そんな「駅弁が売れない時代」に、飛沫拡散防止シールド付きの弁当や、貨物列車のコンテナをかたどったユニークな商品などを続々リリース。異例の売り上げを記録する神戸の老舗駅弁メーカー・淡路屋のキーマン、柳本雄基副社長に駅弁にかける熱い思いを聞いた。
■チャレンジ精神を持った社風
兵庫県神戸市東灘(ひがしなだ)区。阪神電車の魚崎(うおざき)駅から歩いて10分ほどの場所に本社と工場を構えるのが、今年で創業119年を迎えた駅弁メーカーの淡路屋だ。
山陽新幹線の新神戸駅や西明石駅、東海道・山陽本線の神戸駅のほか、京阪神エリアのデパ地下、さらには全国の駅弁大会や東京駅などの駅弁セレクトショップに至るまで、幅広く駅弁を販売している。会社名より、タコツボをイメージした容器を使った駅弁「ひっぱりだこ飯」を作っている店と聞いたほうがピンとくる人も多いかもしれない。
そんなメーカーがコロナ以降、ユニークな駅弁を続々リリースして話題となっている。
なかでも今人気なのが、今年1月に発売された駅弁「JR貨物コンテナ弁当 神戸のすきやき編」だ。弁当箱として使用されているのは貨物列車のコンテナをかたどった容器。その容器の生産が追いつかず、3月には一時販売を休止するほど大ヒット。
昨年末、会社のツイッターで告知したところ、2万件以上のいいねと1万件以上もリツイートされ、1月に販売が始まるや連日完売。コロナで駅弁が売れない時代に異例の売り上げを記録した。
その仕掛け人が、40歳の若き副社長、柳本雄基(ゆうき)氏だ。
「新幹線や特急列車など『人を乗せる列車』をモチーフにした駅弁はありますが、貨物列車にスポットを当てた商品はなかった。思いついたのはコロナ前でしたが『これはヒットするのではないか』という予感はありました」
39歳で代表取締役副社長となった柳本氏の経歴は異色だ。
「2004年、22歳のときに入社しました。大学を卒業して数ヵ月ブラブラしてたんですが、『そろそろちゃんと仕事を探さないと』ってことで、ハローワークに行って見つけたのが淡路屋の求人でした」
入社した頃の社内はアナログからデジタルへの過渡期。学生時代からPCに慣れ親しんでいた柳本氏は、社内でも知られた存在となっていく。
「入社後、最初に始めたのは営業の仕事。当時はみんなが不慣れで困っている課題をPCで解決する仕事をしたり、営業先にウチの強さをアピールするために会社の歴史を勉強していました。そのうちに『この会社、100年以上続く老舗なのに、今まで新しいことにどんどんチャレンジしているな』と感じたんです」
実は淡路屋はもともと、明治初期に大阪で料亭を営んでいた。だが、関西に鉄道網が広がると、長時間乗車する乗客をターゲットにした弁当販売という新しい事業に魅力を感じた創業者が、明治36(1903)年に駅弁事業に乗り出す。
「昭和20(1945)年、太平洋戦争の影響で神戸の駅弁を販売していた業者がいなくなったことに商機を見て、大阪から神戸への移転を決断します。さらに山陽新幹線の新神戸駅ができたことを機に、新幹線の駅や車内での販売をスタート。
昭和62(1987)年にはヒモを引っ張るとお弁当が温められる加熱式弁当の販売を開始。現在、仙台駅などで販売されている牛たん弁当をはじめとする『弁当を温めるシステム』を日本で初めて作りました」
駅弁という新しい事業、神戸という新しい販売場所への移転、「駅弁」=「冷たいもの」という概念を覆す新たな弁当容器の発明。常に新しいことを始めようというスピリッツが、長い歴史の中で社内に根づいていたのだ。
「平成に入ってからも、医薬品メーカーと共同で抗菌・防カビシート『ワサオーロ』を開発。このシートは現在も弊社の駅弁のほか、スーパーのお弁当などにも使用されています。
そして1998年の明石海峡大橋(兵庫県)の開通を前に『明石の名産・タコにちなんで、タコツボを弁当の容器にしたら面白いのでは?』というアイデアから作られた、現在の主力商品『ひっぱりだこ飯』。歴史を調べるほど、新しいことや面白そうなことにチャレンジするのが好きな会社だなと思いました」
そんな社風が柳本氏の仕事のスタイルと合致。入社以降、営業の仕事をしながら新たな駅弁商品の開発に関わることになっていく。
「当たり前の話ですが、ある会社から『こんな駅弁を作っていただけませんか?』と依頼された場合、開発過程で面白いことを思いついても、希望にそぐわなければそのアイデアはボツになります。
逆に『こんな駅弁を作りたいので、ご協力いただけますか?』と営業をかける場合は、自分のアイデアが存分に生かせる。新しい駅弁を作るなら、自分が面白いと思うことを詰め込んだものを作ったほうが楽しい。
そんな私の考え方と社風が合いまして、『リラックマだららん釜めし』や『トワイライトエクスプレス弁当』といった企画を各社に持っていき、これまでにいろんな駅弁を作ってきました」
■コロナの影響で創業以来最大の窮地に
そんなアイデア弁当を数多く世に送り出した淡路屋の前に立ちはだかった大きな壁が、新型コロナウイルスの感染拡大だ。
「『移動を控えましょう』『人が集まるのを避けましょう』という緊急事態宣言やまん延防止措置は正直参りました。駅弁というのは、人が集まる所、動く所に向けて販売するものですから。実際、コロナ前の2019年は工場で一日平均1万食を作っていましたが、緊急事態宣言で一日300食にまで落ち込む日もありました」
いつ収束するかわからない事態に対して柳本氏が取った行動は、ピンチをチャンスに変えるべく、とにかく攻めまくってひたすら動くこと。
「やれることはなんでもやろうということで、オンラインで冷凍弁当の通販を始めたり、過去に名刺交換したメディアの方に片っ端から連絡して『コロナで駅弁屋が大変です。そんなことを取り上げていただけませんか?』とアピールしたり、工場の近くにある灘の酒蔵さんをお借りして、ドライブスルーで駅弁を販売する企画を行なったり」
コロナ禍でも、なんとかしようともがき続けた結果、ある商品が誕生する。
「会社の受け付け業務をしている社員から『弁当の箱に飛沫(ひまつ)を拡散させないシールドをつけたらどうでしょう?』と提案がありました。もちろん採用です。
箱には疫病を封じるとされる日本の妖怪・アマビエのイラストをプリント。シールドに当たる部分に『飛沫感染予防シールド』という文字を入れて、2020年の8月から販売する駅弁の一部をこの箱に切り替えました。ありがたいことに多くのメディアで取り上げられて話題となりました」
さらに、使えるものはなんでも使う。ピンチを救ったのは、主力駅弁の派生商品だった。
「2018年に販売した、ひっぱりだこ飯に使うタコツボに持ち手をつけた『ひっぱりだこの珈琲カップ』を再販したところ完売。追加生産が決定しました。
再販モノが売れるぞということで、以前好評だった『トワイライトエクスプレス弁当』『新幹線:エヴァンゲリオンプロジェクト弁当』『リラックマだららん釜めし』を"崖っぷちの駅弁屋再販シリーズ"と銘打って再販。なかなかの売れ行きでした。3月には『300系新幹線弁当』も再販しました」
一方で、今後のことを考えた新たな動きも抜かりない。
「今年、関西のデパ地下に3つの売店をオープンさせました。コロナ前の売り上げの主力は、新幹線を平日利用するビジネスの方。リモート会議の普及と各社の経費削減で、コロナが収束してもビジネスで移動される方が減ると思われるので、デパ地下にも販売拠点を増やして、駅弁のファンを獲得していきたいと考えています」
最後に、今後の展望について聞いてみた。
「展望なんてありません。コロナでシャレにならないほどダメージを受けて、今は目の前のことをやるので精いっぱい。
ただ、戦争も乗り越えたわけですし、阪神・淡路大震災でガスや水道が止まったときも、ガス台をプロパンガスが使えるものに切り替えて周囲からガスを集め、ビール工場から水を分けてもらい、地震の2日後から避難所に向けた弁当の配達を開始したそうです。
ピンチでも柔軟な考え方で乗り切ってきた会社ですから、今は将来がどうなるか見えませんが、なんとかなるんじゃないですかね。副社長がこんないいかげんなこと言っちゃいけないんでしょうけどね(笑)」
今年は日本に鉄道が誕生してから150周年。JR各社では記念グッズを販売するなど盛り上がりを見せているが、淡路屋もきっと、アッと驚くようなインパクトある駅弁を作ってくれるに違いない。