1月26日、トヨタ自動車は4月1日に豊田章男社長(66)が会長に就任し、佐藤恒治執行役員(53)が社長に昇格する人事を電撃発表! 内山田竹志会長(76)は会長職を退き、代表取締役に就く。社長交代は14年ぶりだという。トヨタを長く深く取材する、自動車研究家の山本シンヤ氏がこの交代劇を徹底解説する。
山本 トヨタは豊田章男社長が4月1日付けで代表権のある会長に就任すると発表しました。後任の社長には佐藤恒治執行役員が就任。社長交代は14年ぶりとなります。
――まさに電撃発表でしたが、山本さんはいつ知った?
山本 皆さんと同じで、15時30分に発表されたプレスリリースで知りました。実は別件で私はトヨタにいたのですが......まさに寝耳に水でしたね。
――社長交代を知った際の率直な感想は?
山本 単純にこの交代劇がよく外部に漏れなかったなと。ちなみにトヨタの社内でもこのタイミングで社長交代を知る人ばかりでしたね。とにかく情報管理が徹底されていた印象です。
――なるほど。まず豊田社長の経歴から振り返っていただけますか?
山本 はい。豊田社長は、トヨタの前身である「トヨタ自動車工業」を創業した豊田喜一郎氏の孫にあたります。トヨタ自動車に入社したのは1984年ですが、特別扱いは一切ありませんでした。
――そうなんですか?
山本 実際、係長から平社員への降格も経験したそうです。ちなみにトヨタが運営するクルマ情報サイト「GAZOO.com」の立ち上げ、NUMUI(GMとの合併企業)の副社長、IMV(イノベーティブインターナショナル・マルチパーパス・ビークル)プロジェクトの統括などを歴任し、2009年6月から創業家出身の社長として陣頭指揮を執ってきました。
――豊田社長は現在66歳です。今回の社長退任は体力面を指摘する声も出ていますが?
山本 体力的には問題ないと思いますよ。豊田社長はモリゾウとしてレースに参戦していますが、冗談抜きにその走りはプロドライバーと変わらないレベル。あれだけの走りをこなすには、徹底した肉体強化というか鍛錬を行なわないと無理です。本人に聞くと、「体力的にはむしろ14年前よりもいい状態だと思いますよ」と語っていましたよ。
――とはいえ、大企業トヨタで14年間トップに立ち、陣頭指揮を執るのは相当なプレッシャーがあったと思いますが?
山本 社長就任はリーマンショックにより世界経済が大混乱する真っ只中でした。当時のトヨタには「創業家生まれのボンボンに火中の栗を拾わせればいい。失敗すればその責任を負わせて追い出そう」という空気が漂っていました。
加えてアメリカではトヨタの大規模なリコール問題がありましたが、豊田社長は逃げも隠れもせず、米下院公聴会で証言をしましたよね。
――そんな厳しい経営環境で、豊田社長はどう舵取りをしたのですか?
山本 「もっといいクルマをつくろう」と言うブレない軸を定め、これまで「商品を軸とした経営」を進めてきました。その実現のためにあらゆる決断を行なってきました。
口の悪い人たちは「まるで独裁政権だ」と揶揄していましたが、勘違いも甚だしい。そもそも社長就任時はマイナスからのスタートですよ。というのも、当時のトヨタは責任を負うことを恐れて誰も動かない企業になっていた。要はリスクを恐れて硬直化していたわけです。
――その状況をどう打破した?
山本 健全な状態に戻すためには大胆な改革が必要です。そこで、豊田社長は「自分が責任を取る」と言い、自ら積極的に動き、社員にも行動を促してきた。
だから、今のトヨタは自信を持ってやれる環境になっている。豊田社長は常日頃からトヨタの社員に対して「できないからやる、それが挑戦」、「失敗を恐れるな」と語ってきました。
それはリップサービスではなく本音です。繰り返しになりますが、豊田社長はトヨタを変えるため、自ら行動で示してきた。独裁でも何でもありません。
――その結果は?
山本 半導体の問題による長納期は解消していませんが、販売面では3年連続世界トップで、2022年3月期に過去最高の営業利益を記録しています。
――豊田社長の改革で、トヨタの商品は具体的にどう変わった?
山本 正直、これまでトヨタはクルマ好きから完全にソッポを向かれている状態でした。しかし今は、クルマ好きが飛びつくようなクルマを次々に開発している。当然、ファンも増えています。
豊富なスポーツカーラインアップを誇り、さまざまなカテゴリーのモータースポーツにも参戦。十数年前のトヨタでは考えられない攻めの姿勢を取っていますね。
――豊田社長は国内の自動車業界の窮地にも手を差し伸べましたね?
山本 ええ。「仲間作り」という言葉を掲げ、2017年にマツダ、2019年にスズキと相次いで資本提携を結びました。また、資本提携していたSUBARUへの出資比率を引き上げて関係を一段と深めました。
そしてトヨタのトップ、日本自動車工業会の会長、さらにはモリゾウとしてレースや開発で自らハンドルを握ってきました。豊田社長にはいろんな肩書と顔がありますが、社長業だけでも大変なのにそれらの大役を引き受ける根底には、「自分以外の誰かのため」、そして「ジャパンLOVE」の気持ちがあるからです。
――なぜ豊田社長は代表権のある会長になる?
山本 今回の人事に関して豊田社長はトヨタイムズで、「トリガーとなったのは内山田会長が退任されること」と語っていました。豊田社長が大きな決断をする際、内山田会長からいろいろサポートがあったとも語っていました。
時には厳しい意見もあったそうですが、そんな内山田会長が退任するにあたり、豊田社長は「トヨタの変革をさらに進めるためには私が会長となり、新社長をサポートする形が一番良い」と考えたのでしょう。
――山本さんは豊田社長の「14年間」についてどう見ています?
山本 任期が長かった、という声もありますが、私は長い時間を費やして経営をマイナスからゼロに戻すため、尽力してきた姿を取材してきました。なので、それほど長いとは感じません。
むしろ、個人的には「まだまだやれるのになぁ」と思う部分もありますが、トヨタは次世代に向けて強靭な土台が出来上がったと判断し、佐藤新社長に託したのでしょう。
豊田社長は「私はもうちょっと古い人間だと思う。未来のモビリティーとはどうあるべきかという新しい章に入るためには、私自身が1歩引くことが今必要だと思う。若さを武器に私ができなかったモビリティーカンパニーへの変革を推進してほしい」とも語っていましたしね。
――新社長はどんな人ですか?
山本 トヨタの高級ブランド「レクサス」と「GR(トヨタガズーレーシング)」のトップを務める佐藤恒治氏(53歳)です。佐藤氏は早稲田大学理工学部卒で1992年にトヨタに入社。20年に執行役員に就任しました。
――社長就任の打診は昨年12月、タイで開催されたレース中だったそうです。これって山本さんが週プレNEWSで豊田社長を独占インタビューしたときですよね?
山本 そうです。タイでふたりに何度も会って話をしていましたんですが、そんな素振りはまったく見せず(笑)。
――なぜサーキットでの打診だった?
山本 そこは豊田社長ならではの気配りでしょうね。社内で佐藤氏を社長室に呼んで打診したら、ウワサや憶測が飛び交ってしまう。トヨタで社長を狙う人はたくさんいるわけですから。
しかし、サーキットだったら爆音で話も漏れませんし、佐藤氏とふたりで話をしていても誰も不思議に思わない。なにしろ佐藤氏は豊田社長に水素エンジンを提案した人物ですからね。
――山本さんは佐藤氏も古くから取材されているそうですね?
山本 豊田社長がクルマを運転するのが好きなカーガイだとすると、佐藤氏はクルマをつくるのが大好きなカーガイですね。愛車は4代目スープラ(A80)で最近程度極上のAE86(カローラ・レビン)を勢いで購入し、修理状況を嬉しそうにSNSにあげています。
――なるほど。佐藤氏はレクサスでどんなクルマを担当してきた?
山本 2011年に発表されたGSでチーフエンジニアをサポートする立場でした。そのお披露目の懇談中にアメリカのジャーナリストから「レクサスはつまらない」と言われた。で、翌年レクサスはデトロイトモーターショーにそのうっぷんを晴らすべく、コンセプトカー「LF-LC」を出展しました。
――その評価は?
山本 私も現地で取材していましたが、絶賛の嵐でしたね。もともとLF-LCは純粋なデザインコンセプトモデルだったのですが、反響の高さから市販化を決定しました。その大役を豊田社長から受けたのが佐藤氏で、開発責任者として携わりました。
――レクサスLCは、2017年にほぼコンセプトモデルと同じデザインで市販され、大きな話題を呼びました。開発はどう進んだ?
山本 佐藤氏は即レイアウトの検討を行なうも、当時のトヨタの技術・リソースでは市販化は絶対不可能でした。佐藤氏はすぐ、「LCの市販化は無理です」と豊田社長に伝えた。すると、豊田社長は「今のトヨタではできないのはわかっている。それをできるようにするためにはどうすればいいのか? 変えるしかないでしょ」と答えたそうです。
――その後、佐藤氏が率いる開発チームは、プラットフォームをはじめとする全てを刷新して市販化したということ?
山本 そのとおりです。LCの登場でレクサスのブランドイメージは大きく変わりました。すでに登場から6年が経過し、走りはもう少し改善が必要ですが、デザインは色あせていないどころか、今も輝いていますよね。
――佐藤氏の人柄は?
山本 新社長になったら変わってしまうかもしれませんが(笑)、私の知る佐藤氏は、誰に対しても気軽に、ざっくばらんに、そして親身に接してくれる人間です。私もこれまで辛辣な質問を何度となくぶつけてきましたが、シッカリと受け止めて丁寧に答えてくれましたよ。
――トヨタイムズでは緊張した面持ちでしたが、今、佐藤氏はどんな気持ちなんでしょうかね?
山本 実は電撃発表の後にやり取りをしたのですが、「一番驚いたのは、たぶん私です。大役すぎてクラクラしています。豊田社長の真似はできませんが、自分らしくクルマに向き合いながら頑張りたい」と語ってくれました。
――ズバリ、今後のトヨタはどうなる?
山本 佐藤氏は久しぶりのエンジニア出身の社長で、クルマへの愛は豊田社長並みに深い。豊田新会長はマスタードライバーとして、佐藤新社長の率いる〝シン・トヨタ〟を支えるのではないでしょうか。
●山本シンヤ
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営