仕組みはスプーンと同様だが、原理上、お椀の底部に手を当てて飲む必要がある。飲みながら手を離すと急に味が変わって面白かった 仕組みはスプーンと同様だが、原理上、お椀の底部に手を当てて飲む必要がある。飲みながら手を離すと急に味が変わって面白かった

昨年9月、キリンが「塩味をより強く感じる食器」を発表した。って、そんなことが可能なの!? 味覚について調べてみると、「ビールをよりおいしくする音楽」などなど、味覚をハックする最新のテクノロジーを大量に発見! 読めばきっと、自分の味覚が信じられなくなる!?

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■減塩の味噌汁なのに味が超濃い!

電気の力で食べ物がおいしくなる!? そんな夢のようなガジェット「エレキソルト」を、キリンが発表した。見た目はなんの変哲もないお椀(わん)とスプーンだが、これらを使って食べると、塩味や旨味をより濃厚に感じるという。

明治大学の宮下芳明(みやした・ほうめい)教授と共にエレキソルトを開発した、キリンホールディングスヘルスサイエンス事業部の佐藤 愛さんに、開発の経緯を伺った。

「弊社の研究所には、働く時間の10~20%を自発的な研究に使えるシステムがあるんです。社内では『アイディア検証制度』と呼ばれているこの時間を使い、2017年よりエレキソルトの構想を温め始めました」

開発のきっかけは、佐藤さんが「高血圧患者などへの、減塩による食事療法が難しい」と耳にしたことだった。その後、電気刺激によって食事の味を変化させる研究をしている宮下教授の存在を知り、19年に共同研究がスタートした。

限られた時間を使い、しかもキリンサイドではたったひとりで研究を続けた佐藤さんだが、昨年4月に試作品のプレスリリースにまでこぎ着けた。

ステンレスのスプーンを透明なプラスチック層で包む形状になっている。柄にあるスイッチで強度(4段階)を選択すれば、先端から微弱な電流が流れて味わいが変わる ステンレスのスプーンを透明なプラスチック層で包む形状になっている。柄にあるスイッチで強度(4段階)を選択すれば、先端から微弱な電流が流れて味わいが変わる

せっかくなので、試作品のエレキソルトを試させてもらった。器に減塩タイプの味噌汁を注ぎ、まずはスプーンのスイッチをオフにした状態で飲んでみる。......当然だが、薄い。ひと口ならともかく、この味気なさが毎日続くのは確かにツラそうだ。

次に、柄のボタンを長押しして電源オン。4段階ある強度を最も弱い1にしてもうひと口飲んでみると、びっくり! 一瞬の金属風味の後に、塩味と旨味がガツンと襲ってくるではないか。

「1段階目でも全然違いますよね。3、4段階目は調子に乗って作った面もあって(笑)、多くの方は1、2段階でも十分だと思います」

どういう仕組みなのか。

「味噌汁に微弱な電流を流すことで、塩味のもととなるナトリウムイオンの動きをコントロールするんです。食品に含まれるナトリウムイオンのうち、塩味として知覚できるのはごく一部。それを電流で誘導し、まとめて舌に押しつけるイメージですね」

つまり、疑似的に塩味を作り出しているのではなく、もともとある塩味を強く感じられるようにコントロールしているわけだ。

「なお、250年以上前にはすでに、(主に舌にあり味覚を感じる器官の)味蕾(みらい)に電気刺激を与えると酸味や金属的な味が生じることは知られていました。そのため、食事の味を変化させるカトラリーの開発は世界中で行なわれていたのですが、一般向けに商用化する体制を整えたのは世界的にも類を見ないと思います」

価格や販売形態は未定だが、23年中には一般販売される予定だという。

「減塩食でもおいしく食べられるので、生活習慣の改善に貢献できるでしょう。また、同様の原理を使えば、近い将来は酸味もコントロールできるようになるはずなので、例えば安いワインでもおいしく感じられる、といったことが可能になるかもしれません」

〈エレキソルトの仕組み〉 食品に含まれるナトリウムイオン(Na+)は、塩味のもととなる。独自の波形の電流を流すことで、ナトリウムイオンが舌により集まるようになり、塩味を強く感じられる 〈エレキソルトの仕組み〉 食品に含まれるナトリウムイオン(Na+)は、塩味のもととなる。独自の波形の電流を流すことで、ナトリウムイオンが舌により集まるようになり、塩味を強く感じられる

■しけったポテチをウマくする方法

面白いことに、テクノロジーで味覚をハックするアプローチは、電気刺激を用いたもの以外にもたくさんある。バーチャルリアリティ(VR)技術を味覚に応用する研究をしている東京大学の鳴海拓志准教授に、味覚研究の最前線について聞いてみた。

「キーワードは『クロスモーダル』です。これは視覚+聴覚、嗅覚+味覚など、異なる感覚が互いに影響を及ぼし合う現象のこと。象徴的なのが、08年にイグ・ノーベル賞を受賞した、チャールズ・スペンス氏の研究です。

同氏は、しけったポテトチップスも、かじるときに生じるサクサク音を増幅させてヘッドホンから聞かせるとおいしく感じられることを発見しました。この実験は聴覚が味覚に影響した例です。

似た例で、私は博報堂との共同研究で『ビールをよりおいしくする音楽』を作りました。低音を聞くと苦味をより強く感じやすくなりますし、高い音や丸みのある音を聞くと甘味を感じやすくなる、といった具合です」

聴覚以外にも、例えば視覚の例もある。

「VRヘッドセットをつけながら食事をすると、味が大きく変わることが知られています。例えば、私たちが開発した『メタクッキー』。これはチョコレートクッキーの香りと映像を提示しながら普通のクッキーを食べさせると、チョコレートクッキーの風味を感じるという研究です」

これらは大がかりな事例だが、味覚に対してほかの感覚が影響を及ぼす事例は、身近にもあふれているという。

「プラスチックの軽いスプーンでヨーグルトを食べると、重いスプーンで食べるよりも濃厚に感じます。これは触覚と味覚のクロスモーダルですね。

また、フレンチが小さいお皿で出てくるのは、料理を小さく見せかけて満腹感を得にくくし、おいしくたくさん食べてもらうため。科学的には、味覚以外によって作られる『おいしさ』はいっぱいあるんです」

しかし脳はなぜ、こんな簡単にだまされてしまうのだろうか?

「それは、脳が聴覚、視覚、嗅覚......と、いくつもの知覚を信頼度に基づいてまとめ、ひとつの感覚を作り上げているからです。経験的に信頼できる知覚ほど重みをつけ、逆に不確かな知覚はあまり重視しないんですね。

平たく言えば、脳は時に乱暴な推論をするということで、『色や見た目がそれっぽいからチョコなんだろうな』と判断して、甘味をチョコ味に補正して感じることもありえるわけです」

ちなみに、脳が一番信頼しているのは視覚で、「冷めたシチューにぐつぐつとしたエフェクトを投影する」など見た目を加工すると、味覚は簡単にだまされるようだ。

「そもそも、純粋な味覚なんて存在しない、と言ったほうがいいかもしれません。というのも、例えばワインを味わうにしても、必ず香りやグラスの感触、レストランの照明などほかの知覚が伴いますよね。味覚は本質的にクロスモーダルなのです」

■青い牛乳パックが多いわけ

昼に食べるラーメンにしろ、家で飲むビールにしろ、あらゆる味はほかの感覚に大きく左右されていたのだ。

では、プロの料理人はこうした現象をどうとらえているのだろうか? 作家・料理家で、科学的知見への造詣も深い樋口直哉さんに聞いてみた。

「料理や食品の世界では、おいしさに味覚以外の感覚が影響することはよく知られています。食品メーカーの例を挙げてみましょう。牛乳パックは青いデザインが多いですよね? あれは、目に青色が残ると白い牛乳が濃く見える『心理補色』によっておいしそうに感じられるからです。

最近だと、コンビニのスイーツに四角いものが増えている印象がありますが、同じお菓子でも、四角だと丸いものよりも甘さが控えめに感じられることがわかっています。

これは臆測の域を出ませんが、メーカーは大量の脂肪や砂糖を使いながらも、あっさりと感じられる形状にすることで、人がやみつきになる味を作ろうとしているのでは?」

感度の高いレストランも、おいしさを演出することに躍起になっている。

「お店の照明やレイアウト、室温などは言わずもがな、独特の食体験を提供するレストランが増えています。

おいしさを科学的に追求する『分子ガストロノミー』の第一人者であるヘストン・ブルメンタールは、自身のレストランで世界中の海からサンプリングした波の音を聞かせながらカキを提供したりもしています。こうすると、魚介類がよりおいしく感じられるようです」

では最後に、こうした知見を普段の食生活に応用できないだろうか?

「もちろん可能です。一番手軽なのは盛りつけで、これだけでも味に大きな影響を与えます。基本的には料理7:余白3の割合で盛りつけると、目に美しく映るといわれています。和食だと料理6:余白4がセオリーですね。

また、飲み物も器で印象が変わります。コーヒーは白いカップに入れると濃く感じますし、ビールを飲むときは、厚みがあるジョッキだと甘味が増すと言われていますから、器から取り入れてみるのもいいでしょう」(樋口氏)

また、前出の鳴海氏もこう言う。

「ウソみたいな話ですが、ベーコンエッグを食べるときにベーコンの焼ける音を聞くとベーコンの味を、鶏の鳴き声を聞くと卵の味を強く感じることも確かめられています。先に挙げた『ビールをおいしくする音楽』もそうですが、食事中の音も工夫してみると面白いかもしれません」

毎日の食事をもっと楽しむコツは、盛りつけや器、音楽などを工夫して自分自身を〝だます〟ことなのかも?