多くの日本人から見れば「こんな価格、誰が払えるんだ」と思える施設が増えてきた。
東京・新宿に4月に開業した東急歌舞伎町タワーには、ふたつのラグジュアリーホテルが入居している。低層の方が一泊3万円台から、高層階のホテルは一泊10万円からというのが基本的な料金設定だ。にもかかわらず、関係者にヒアリングをしてみると、高層階のホテルに10連泊しながらTOKYOを楽しむ外国人観光客でなかなかの盛況ぶりだという。
今年3月には首都圏の新築マンション価格が1億円を超えたことが話題になった。平均販売価格が4億円を超えた「三田ガーデンヒルズ」という最高級レジデンスが全体の平均を引き上げた形だが、その影響を除いても23区のマンション平均価格は過去最高値の水準だ。その三田ガーデンヒルズは販売好調だ。
世の中にはラグジュアリー市場というものがある。ケタ外れの金持ちを対象にしたマーケットのことだ。コンサル大手のベインアンドカンパニーの分析では、世界全体で約200兆円の市場規模になる。しかもこの市場規模、不動産市場を除いた数字だというから、それも含めたラグジュアリー市場規模は天文学的な数字になるはずだ。
そこで最初の話に戻るのだが、「こんな価格、誰が払えるんだ」と思うような商品やサービスを平気で買う人は日本人にも増えてはいるが、数でいえば外国人の方が多い。外国人がビリオネアという場合、手持ちの資産は10億円ではなく10億ドル、つまり約1450億円ほどに上るのだが、そのビリオネアが世界には結構いらっしゃるのである。ビリオネアに手が届かなくても、金融資産が100億円といった人ならアメリカにも中国にもシンガポールにももっとたくさんいる。
■一般人には理解困難な超富裕層のマインド
そんな人たちの消費行動は正直、私たちのマインドとは全く異なるものになる。
50歳の富裕層が残り30年の人生で100億円を使い切るためには、毎年3億円規模で一日100万円ずつ使わないと使い切れない。だから、最高級ホテルで一泊10万円は当然の価格であり、ミシュランの星が付くレストランでワイン1本が10万円でも気にならない。気になるのはそのワインが本当においしいかどうか、そしてその夜が本当に素晴らしい夜になるかどうかだけに関心があるのだ。
日本でもラグジュアリー市場の拡大に向けて、そちら方面に力をいれていこうという戦略を選ぶ企業も多い。そのときに問題になるのが社員の育成だ。たとえば読者のあなた自身が資産100億円の大金持ちに何かを売る側の仕事だったとしたら、それは結構大変な仕事になることが想像できるだろう。
実例を挙げてみよう。大手旅行会社の社員が、私の知っている超富裕層を怒らせた現場に居合わせたことがある。彼の推定年収は2億円超。時間にうるさいエリートビジネスパーソンだ。その彼が夏にインドネシアへの旅行を計画していた。15年ほど前の話で、今のようにスマホで簡単に現地予約ができる時代ではなかったので、当時の日本人は今よりもずっと旅行会社に頼っていたのだ。
彼はアジアで最高級のラグジュアリーホテルであるアマングループのリゾートの宿を取って欲しかったのだが、それがあまりうまく行かなかったのだ。それはこんな話だ。
私が居合わせたときにたまたま旅行会社からコールバックの電話がかかってきた。話を横で聞いていると旅行会社が確保した部屋が一泊58000円だと聞いて、嫌な予感がして確認をした様子だった。彼のイメージするアマンのリゾートは一泊15万円はするはずなのだが、なぜか安い。要するに安い部屋を押さえたのではと言うわけだ。
起きていたことは彼が恐れていた通りで、その旅行会社ではハネムーンのカップルが滞在する売れ筋の部屋しか仕入れていなかった。もっと高い部屋にどんなのタイプがあるのかを辛抱強く訊ねた彼を怒らせた一言が、
「そんな部屋はうちでも安くならないです」
だった。たぶん旅行会社の社員は心から顧客のためになる対応をしているつもりだったのだろう。しかしそれを聞いた彼は、
「安く予約したいからおたくに頼んでいるんじゃない。それがわからないのか」
と言うと「もういい」と言ってアメックスで予約を取り直した。
私には、この社員の気持ちの方が理解できる。ある程度富裕層の気持ちがわかる私でも、正直一泊3万円までで、それ以上の部屋は無駄だと感じている。そして無駄だとか売れないとか思っている人間に、高くていいものを売らせるのは難しい。でもそう考えない人口が増えているからこそ、全世界でラグジュアリー市場は拡大しているのだ。
■超高級品市場の存在理由と問題点
ちなみに、驚くほど高い商品には2通りの理由がある。ひとつはヴェブレン効果といって「価格の高いものほどいい」と考える消費行動があることだ。エルメスのバーキンなどはそのわかりやすい例かもしれない。そしてもうひとつは「作り手の数が足りず希少な商品」だ。フェラーリがそのイメージだといえばこれもわかりやすいだろう。
日本人にとって問題があるとしたら、最近のラグジュアリー市場は世界レベルの富裕層が価格を引き上げているという点だ。当然ながら資産5億円程度の並の日本人の金持ちにとって、ラグジュアリーな製品やサービスは年々手に入りづらい価格へと変わりつつある。
「スキー場も温泉も寿司屋も、最高ランクの場所は外国人専用になりつつある」という声も聞かれるが、そこまで偏った経済社会になってしまうと、この先の問題は社員の育成ではすまなくなるかもしれない。
「そういう価格を選ぶ富裕層がいる。そしてその富裕層はこのようなサービスを求める」
これを頭で理解できる範囲であれば、接客というものは成立する。ところがそうではなく、どう考えても日本人にはその価格がわからない水準のラグジュアリー商品やサービスばかりになり、それが日本で売られているにもかかわらず外国人だけが買っていくようになると経済はおかしくなる。
どうおかしくなるかというと、ラグジュアリー市場にフォーカスしたほうが儲かるようになるため、愚直に普通のお客様に向き合うビジネスがつまらないものに見えてくるということだ。外貨を稼ぐ経済の柱は、自分たちが買えない商品やサービスばかりになり、仕事をしていてもなんでこんなものが売れるのか理解ができない。
それでも外国人がそれを買い漁ることで国が維持できるような経済になってしまう。そのような経済を世の中では「後進国の経済」と呼ぶのである。
●鈴木貴博
経営戦略コンサルタント、百年コンサルティング株式会社代表。東京大学工学部物理工学科卒。ボストンコンサルティンググループなどを経て2003年に独立。未来予測を専門とするフューチャリストとしても活動。近著に『日本経済 復活の書 ―2040年、世界一になる未来を予言する』 (PHPビジネス新書)