「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」は昨年11月29日、公正取引委員会と内閣官房の連名で出された 「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」は昨年11月29日、公正取引委員会と内閣官房の連名で出された
あらゆるメディアから日々、洪水のように流れてくる経済関連ニュース。その背景にはどんな狙い、どんな事情があるのか? 『週刊プレイボーイ』で連載中の「経済ニュースのバックヤード」では、調達・購買コンサルタントの坂口孝則氏が解説。得意のデータ収集・分析をもとに経済の今を解き明かす。今回は「中小企業の賃上げ」について。

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2023年は「動いたけど、カネは使わなかった年」だったといえる。新型コロナウイルスが5類感染症に移行した。日本中で移動が活発化し、イベントも元に戻った。しかし、各種の消費動向を見ても横ばいか、冴(さ)えない。理由は明確で、賃金が物価上昇ほど伸びておらずカネがない。

私が有名なマッチングアプリのPRをしていた5類移行前の時期、若者は意中の人をデートに誘う"言い訳"がなかったという。恋愛において5類移行はいい口実になった。

しかし、経済活性化にはもうひと押しが必要だった。よし、それなら強引な手段でも......と岸田文雄内閣が思ったかは知らない。ただ事実として現在、日本人の7割強が働く中小企業の賃上げを狙って、公正取引委員会が激震を引き起こしている。

公取委はこの2年ほど、中小企業が大企業に対して原材料やエネルギーコストの価格転嫁を進められる素地づくりに熱心だった。その根拠は伝家の宝刀、独占禁止法における「優越的地位の濫用(らんよう)」だ。

つまり、中小企業が大企業に値上げを申請して、それを大企業が拒絶すれば、優越的な地位を利用して不利益を押し付けている可能性があるとした。2022年末には価格転嫁を進めていない13社の名前公表にも踏み切った。

さらに昨年11月、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を出した。衝撃的だったのは、

①発注する側は取引先がコスト上昇で困っていないか確認するのがふさわしい、とした点。ちょっと待ってよ、フツーさ、「値上げしませんか?」って取引先に聞くか?

②実態にかかわらず「公表資料」を使用せよ、とした点。たとえば取引先が「5%の労務費アップを認めてよ。ほら、春闘でもウチの業界は5%賃上げしてるでしょ」と交渉してきたとする。従来なら「おたくには労働組合はないでしょ? 業界平均ほどは上がっていないんじゃない?」と実態の資料を求める場合が多かった。しかし公取委は今回、そうした内部資料を中小企業は出したくない場合が多いのであって、強引に提出させたり、提出されないからといって値上げを認めなかったりする判断自体が、優越的地位の濫用にあたる可能性がある......とした。マジかよ。実態にかかわらず値上げを認めるのか。

ところで、読売新聞に連載中の4コマ漫画『コボちゃん』では昔、タケオおじさんなる中学教師がコボちゃん宅に居候(いそうろう)していた。印象的だった回に、食欲旺盛な彼が夕食時に隠れて白飯をおかわりする場面がある。まさに「居候三杯目にはそっと出し」。食わせてもらっているんだから要求は控えめに、と。仕事をもらっている相手に対しても、値上げを申し入れないのが「常識」だった。

いま、それが変わろうとする特殊点に私たちはいる。ただし、値上げの交渉は拒否できずとも、独禁法は「値上げを申請した取引先に注文し続けろ」とはいっていない。契約自由の原則がある。結局は競争力がなければ外に逃げる。私の周りでも海外取引先に移行する話をよく聞く。

日本の中小企業の賃上げは短期的には成功するかもしれない。ただ中長期的にはどうか。私が連載各誌に原稿料アップを依頼し、数ヵ月後に連載中止になったら、誰もが笑うよね。ははは......(乾いた笑い)。

坂口孝則

坂口孝則Takanori SAKAGUCHI

調達・購買コンサルタント。電機メーカー、自動車メーカー勤務を経て、製造業を中心としたコンサルティングを行なう。あらゆる分野で顕在化する「買い負け」という新たな経済問題を現場目線で描いた最新刊『買い負ける日本』(幻冬舎新書)が発売中!

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