坂口孝則Takanori SAKAGUCHI
調達・購買コンサルタント。電機メーカー、自動車メーカー勤務を経て、製造業を中心としたコンサルティングを行なう。あらゆる分野で顕在化する「買い負け」という新たな経済問題を現場目線で描いた最新刊『買い負ける日本』(幻冬舎新書)が発売中!
あらゆるメディアから日々、洪水のように流れてくる経済関連ニュース。その背景にはどんな狙い、どんな事情があるのか? 『週刊プレイボーイ』で連載中の「経済ニュースのバックヤード」では、調達・購買コンサルタントの坂口孝則氏が解説。得意のデータ収集・分析をもとに経済の今を解き明かす。今回は「日本製鉄のUSスチール買収」について。
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日本製鉄は昨年末、USスチールを子会社化すると発表した。約141億ドル≒約2兆円で買収し非上場化する。年間粗鋼生産量は日本製鉄が4437万トンでUSスチールは1449万トン。両社を合計しても、世界1位の中国・宝武鋼鉄集団の半分ほどとはいえ、3位に躍り出る。
私が最初に就職した会社は総合電機メーカーで、鉄鋼メーカーに設備を納品していた。日本の優良鉄鋼メーカーは、原料を溶かして鉄鋼を生産する際に厚みの「公差」を管理する精密さで世界一になった。次に私は自動車メーカーで勤務したが、やはり日本の鉄鋼メーカーの鋼板は品質で群を抜いていた。ハイテンスチールというやつで、価格は高いけれど薄くて強度が高い。
なぜこの話をしたか。日本の製鉄の技術力を現場感覚で理解する人と、まったく実感のない人とでは、この買収に抱く感想が違うと思ったためだ。
国際的な鉄鋼メーカー間の競争が激しくなり、中国メーカーが君臨するなか、この買収は日本製鉄からUSスチールへの技術供与の側面がある。生産過程の技術についても、現時点で日本の鉄鋼業は世界最高水準の省エネで知られ、CO2排出量の少ない大型電炉研究でもトップだ。将来的にカーボンニュートラルを目指す以上、エネルギー効率が良いに越したことはない。
ところでUSスチールは、もともと1901年にジョン・ロックフェラーが持つ鉄鉱山社など、多数の鉄鋼企業を合併させたもので、米国市場で初の時価総額10億ドル企業だった。
同社の鉄鋼は建設から自動車、電気製品まで、米国における鉄鋼需要の大部分のシェアを獲得した。「鉄は国家なり」の時代にあっては、米国の成長と強さの象徴だった。
その後、世界の製造業は中国に移行していったが、米国人が製造業と現場労働者を想起するとき、同社がまさに雇用の砦(とりで)であると思うのは仕方ない。
トランプ大統領候補は1月末、買収反対を表明した。そして、もともと反対ではなかったはずのバイデン大統領も、選挙を前に労働者の反感を買うわけにいかない。全米鉄鋼労働組合は2月に入ると、バイデン大統領からも買収反対の姿勢について支持を受けたと発表した。
企業買収はビジネスの問題だが、外国企業が関係する場合は対米外国投資委員会(CIFIUS[シフィウス])が審査を行なう。政治問題化するのは必定だった。
もし審査の結果、買収が失敗すると、日本製鉄には5億6500万ドル≒約800億円の違約金支払い義務が生じる。日本メディアはこれを不利な契約かのように報じたが、USスチールも莫大(ばくだい)な手間をかけて被買収手続きを進めねばならず、さらに同社の都合で買収が失敗した場合の違約金も設定されている。
本来、誰かが自社を買いに来たら喜ばねばならない。既存経営者が実現できなかった高い株価で買い取ってくれるし、付加価値の上昇は労働者の報酬アップにもつながる。それこそが米国資本主義のダイナミズムではないか。なんだかなあ。
米国のメディアを見ていると、「他企業なら買収されてもいい。でも"US"の名がつく企業は心理的にダメ(大意)」との意見があった。そうか、先に会社名変更を企てるべきだったということか。たとえば「USSR(ソ連)スチール」に......。
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