上から1000円札が北里柴三郎、5000円札が津田梅子、1万円札が渋沢栄一。雑学を知ってドヤ顔しよう! 上から1000円札が北里柴三郎、5000円札が津田梅子、1万円札が渋沢栄一。雑学を知ってドヤ顔しよう!

■新紙幣の3人。何がスゴい? どんな人?

20年ぶりとなる新紙幣の発行が開始。その「顔」に選ばれた偉人は1万円札が渋沢栄一、5000円札が津田梅子、1000円札が北里柴三郎だ。

それぞれ何がスゴいのか、どんな人たちなのか、思わず「へ~っ」となるような雑学を『スタディサプリ』などで"日本一生徒数が多い社会科講師"として活躍する伊藤賀一(がいち)先生に聞いた。

まずは、今回肖像画に選ばれた3人を簡単に紹介してください。

「渋沢栄一は"日本資本主義の父"とも呼ばれる日本経済を代表する人物です。皆さんもなじみ深いであろう、みずほ銀行や王子製紙、さらには東急や京阪のような私鉄の設立にも彼は関わっています。

津田梅子は女性教育者として多くの功績を残した人物。私立女子大学の津田塾大学の創設者であり、日本の女性教育を大きく推進させました。

北里柴三郎は日本が世界に誇る細菌学者です。菌の毒素を体に少しずつ取り込んで抗体を獲得させる血清療法を開発し、"日本近代医学の祖"と呼ばれています」

社会科講師・伊藤賀一氏 社会科講師・伊藤賀一氏

■渋沢栄一はがんにかかっていた?

3人とも、お札の顔になるだけあってスゴい人物ですね。では、そんな3人に関する雑学を教えてもらえますか?

「渋沢栄一の雑学やウラ話をネットで検索すると、彼が若いときに女遊びにハマっていたことがよく取り上げられています。吉原の遊郭で豪遊したとか、妻と愛人を同じ家に住まわせたとか。

ただ、それは当時の富裕層の男性からすれば普通のこと。皆が当たり前にしていたことなので、渋沢だけを責めることはできません。ただ、渋沢にはあまり知られていないエピソードがあります。それは、彼が50歳の頃にがんにかかるも、それを完治させて91歳まで生きていること。

当時の寿命や医療技術から考えて、これはスゴいことです。しかも、がんにかかった後に多くの功績を日本に残している。これは、世の中年・壮年男性に勇気を与えてくれる逸話だと思います」

右頬にがんを患っていた渋沢栄一。闘病後にも財閥を設立するなど、精力的に活動を続けて91歳で天寿を全うした 右頬にがんを患っていた渋沢栄一。闘病後にも財閥を設立するなど、精力的に活動を続けて91歳で天寿を全うした

渋沢栄一ががんにかかっていたことは初耳でした。ほかにはどのようなエピソードがありますか?

「渋沢といえば、農民の身分から努力で成り上がった人物として有名です。一般的には、叩き上げのイメージがあると思います。しかし、この理解は正確ではありません。

実は彼は、生まれの身分は農民で武士ではないんですが、実家が現在の埼玉県深谷市で超裕福な農家・商家だった。だから、成功するための基盤が最初から整っていたんです。"親ガチャ"に当たってるというか。

しかも、それに加えて運もすごくいい。彼は将来最後の将軍になる一橋慶喜の直接の部下になり、武士身分になれたんです。こんなの日本一の"配属ガチャ"でしょう。彼は努力家でもありますが、非常にラッキーな人なんです」

へ~っ。こうやって話を聞いていると、渋沢栄一のイメージが変わりますね。

■津田梅子は怒ったら超怖い先生!?

次に、5000円札の津田梅子はどうですか?

「彼女は7歳のときにアメリカに留学して、18歳のときに日本に戻ってきます。女性で中等教育を受けた、つまり中学校と高校を出たのは当時の日本人女性では初めて。それに飽き足らず、彼女は大学に留学するため再度アメリカに渡り、現地で高等教育も受けています。

さらに、アメリカでは教育学に加えて生物学を専攻。文理をまたいだハイブリッド型の人物だといえます。それで、再びアメリカから日本に帰ってきて、日本で女性教育があまりにも進んでいないことを嘆き、自ら女子英学塾(後の津田塾大学)を設立します」

授業中はとにかく厳しかったという津田梅子。今の日本のゆるゆるな英語の授業を彼女がのぞくと、激怒するかも!? 授業中はとにかく厳しかったという津田梅子。今の日本のゆるゆるな英語の授業を彼女がのぞくと、激怒するかも!?

2度も留学しているのですね。津田梅子は先生として教壇に立っていたと思うのですが、先生としての評判は?

「教育者と聞くと、優しい穏やかな先生というイメージが浮かびますよね。でも実は、彼女は怒るとめちゃくちゃ怖い先生として生徒に恐れられていたんですよ。英語の授業中に生徒の発音が少しでも間違っていたら、机をバンバン叩き、声を出して叱るなど、昔ならではの教育をしていました。

ただ、彼女の人柄をよく表しているのが、授業中は厳しくても、ほかの部分では生徒に親身に寄り添う優しい先生になること。自分が受け持った生徒は就職を含め最後まで責任を持つ非常に面倒見のいい先生だったんです」

授業中は厳しいけど普段は優しい。理想の先生ですね。

■野口英世の師匠なのになぜ後から肖像に?

1000円札の北里柴三郎はどんな人物でしたか?

「北里柴三郎は海外で大活躍した日本人です。彼はドイツの有名な細菌学者コッホの研究所で働いています。北里はその研究所で誰よりも勤勉に働いて、現地の人に『この日本人にはかなわない』と言わせたという逸話もあります」

日本人は勤勉だと海外の人に言われることが多いですが、その勤勉さを体現した人物なのですね。旧1000円札の野口英世も北里と同じ細菌学者ですが、ふたりはどのような関係ですか?

「これはあまり知られていないのですが、北里は野口の師匠なんです。北里は海外で活躍した後、日本で福沢諭吉の援助を受けて伝染病研究所を設立します。彼はそこで多くの研究者を採用していますが、その中のひとりが野口英世です。

北里も野口もノーベル賞を取っていないから、私としては北里が野口よりも先に1000円札になるべきだったと思っています」

実は野口英世と師弟関係にあった北里柴三郎。師弟が新旧1000円札を飾るのは、日本銀行の粋な計らいだろうか 実は野口英世と師弟関係にあった北里柴三郎。師弟が新旧1000円札を飾るのは、日本銀行の粋な計らいだろうか

では、なぜ北里より野口が先に評価されたのでしょう?

「その原因のひとつには、北里が自分の研究にあまりに誠実だったことが関係しています。かなり前ですが、ある研究者が実際には存在しない細胞があると言ったことが大問題になりましたよね。

北里の場合はあの事件のまったく逆です。彼はペスト菌を発見したことでノーベル生理学・医学賞の候補になっているんですけど、自分の研究に少し不備が見つかったからと、研究成果を正直に取り下げたりするタイプ。黙っていたらそのまま評価されていた可能性もあったろうに、そうはしない。

彼は自分の研究に真摯に向き合っていて、少しでも嘘をつくことが許せなかったんです。後にアメリカのロックフェラー医学研究所に所属し、アフリカでも黄熱病の研究で世界的な名声を得た野口に比べ、このようなことが、日本での知名度に関係しているのかもしれません」

科学の現場で、ないものをあると言ったら大問題ですもんね。

新紙幣には世界初の3Dホログラム技術が使われている。手元に新紙幣がある人は紙幣を傾けてみて肖像画がどう変化するかを見てみよう 新紙幣には世界初の3Dホログラム技術が使われている。手元に新紙幣がある人は紙幣を傾けてみて肖像画がどう変化するかを見てみよう

歴史講師として、今回の肖像の人選は妥当だと思いますか?

「妥当だと思います。私は世の中は経済力だと思っている。すべてが金ではないけれど、やはり世界は金で動いている。そのような意味で、経済界の偉人である渋沢が1万円札なのは現代社会に非常に適しています。

次に津田梅子ですが、女性は樋口一葉に続き絶対に選ばれるべきだと思うので、適任だと考えます。さらに彼女が教育者であり、文理どちらにも精通していることも今の時代にマッチしています。

北里柴三郎ですが、新型コロナウイルスで感染症への意識が高まっている現代で、彼は日本の医療分野での功績を代表する人物としてぴったりだと思います」

最後に各偉人の金額には何か意味があると思いますか?

「私は誰を1万円札にして、誰を1000円札にするかというのは、あまり重要でないと考えています。正直、3人の偉人に順位はつけられない。なので、皆さんには3人の偉人をフラットに見て、その雑学や裏話を素直に楽しんでほしいですね」

●伊藤賀一(いとう・がいち)
1972年生まれ、京都府出身。東進ハイスクールなどを経て、リクルートが運営するオンライン予備校『スタディサプリ』で日本史や倫理、政治経済などを幅広く担当し"日本一生徒数が多い社会科講師"と呼ばれる。著書・監修書は75冊。最新刊は『いっきに学び直す 教養としての西洋哲学・思想』(佐藤優氏との共著、朝日新聞出版)