小山田裕哉おやまだ・ゆうや
1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。
M&Aとは、企業の「合併と買収(Mergers and Acquisitions)」。うまくいけば、売り手企業は後継者問題の解決・従業員の雇用維持など、買い手企業は事業拡大・従業員確保などが可能になる。
しかし、昨今M&Aにまつわるトラブルが続出。M&Aの最中で突如取締役が解任された朝日出版社とその関係者、中小企業論の専門家に話を聞いた。
日本企業によるM&A件数は今年上半期に過去最高を更新。その一方、M&Aに端を発する急速な財務悪化で老舗AV機器メーカーの「船井電機」が破産したように、M&Aを巡るトラブルも後を絶たない。1962年設立の中堅出版社「朝日出版社」が、まさに今その渦中にある。
創業者のおいで、前代表取締役社長の小川洋一郎氏が、次のように説明する。
「昨年4月、創業者で会長の原雅久が死去しました。原が100%保有していた株式は奥さまと娘さんが相続され、私たち経営陣はご遺族からの自社株買いを検討していました。
しかし、今年5月にご遺族側の金融アドバイザリー『マクサス・コーポレートアドバイザリー』(以下、マクサス)から突如ある会社に売却すると告げられました」
この会社とは、都内に本店を置く「戸田事務所」。不動産や物流、印刷事業などを手がける戸田学氏が代表を務める。文化産業信用組合という出版業界の信用組合の総代でもあり、神保町界隈では知られた人物だという。
「ところが、戸田事務所が提示した買収価格は4億6600万円と異常に安かった。弊社は九段下の自社ビルなどの不動産も所有しており、金融機関などから資産価値は10億円以上と聞いていました。
そこで、株主さまにお願いの上、私たちでも出版事業に理解のある企業を探しましたが、それとは別に8月9日に取引先の印刷会社から7億円での買収意向が伝えられました。
その後、戸田事務所は約8億円に引き上げたようで、印刷会社は最終的に10億円を提示しました。しかし、マクサスはこの提案を正式に検討すること自体を拒否。
また、われわれにもご遺族が暮らす会社名義の邸宅を約1億円で奥さまに売却する契約への同意を求めてきましたが、ご本人の意思確認ができなかったため、応じることはできませんでした。
戸田側との話の中でも、先方が事業に言及してくることはほぼなく、自社ビルの土地の測量図や根抵当権(ねていとうけん/金融機関からの融資の際に不動産を担保にする設定)の解除を求められたため、このM&Aは出版事業の継続ではなく、会社の土地建物の売却が目的ではないかと不信感を抱くようになりました」
すると9月11日、不動産の売買契約に応じないことを理由に小川氏ら経営陣6人全員を解任。遺族ふたりと池田力氏という男性ひとりが新取締役に就任した。同氏は「一般社団法人 バイオマス発電協会」の理事という経歴が確認できるのみ。出版業に関するキャリアは不明だ。
「しかも、この池田氏は一度も出社せず、面会を求めても入院中や体調不良と伝えられました。
さらに、池田氏の業務代理人を名乗る方が金融取引に必要な会社の実印や銀行通帳などの引き渡しを求めてくるなど、会社の存続に関わる意思決定が非常に不透明だったため、やむなく私たち旧経営陣が業務を継続しました。
また、経営陣解任に関する株主総会議事録および同意書は法律上本店に置かれていなければなりませんが、その所在も内容も社内の誰も確認できていない。異常な状態です」
10月21日、小川氏ら旧経営陣は朝日出版社のホームページにM&Aを巡る混乱について報告する文章を掲載。同社の労働組合もブログサービスのnoteで新役員に団体交渉に応じるよう要求した。
この内幕を翌日の朝日新聞が詳しく報じ、朝日出版社のM&Aを巡る騒動は世間に広く知られた。また、同月31日に『週刊文春 電子版』が買い手である戸田氏に対面取材した模様を掲載。
戸田氏はこのような事態になっているのは「心外」であるとして、「旧経営陣も買収に乗り気だった」「従業員を解雇したり、刊行物を廃刊にしたりするわけがありません」と語った。
しかし、こうした報道の裏側で現場の混迷は深まっていた。朝日出版社労働組合執行委員長の小島光歩氏が言う。
「池田氏の業務代理人を名乗る方が来社された際、弊社の小川に対して10月23日までに本社ビルの根抵当権を外すよう強く要求し、みんな『その日に何があるのか』と戦々恐々としました。
これは後に判明したのですが、体調不良のはずの池田氏を唯一の取締役として、『朝日出版社HD(ホールディングス)』なる株式会社が23日付で設立されていたのです。
登記記録から確認できた住所は、弊社とまったく同じ。どういう経緯で、なんの目的で新会社を設立したのか今も不明であり、従業員は強く不安を抱いています」
社内の動揺がいっそう強まる中、同月28日に定時株主総会が実施され、取引先各位には「役員人事に関するお知らせ」が配布された。
新たな代表取締役社長は朝日出版社OBの齋藤和邦氏。業務執行役員兼社長室長に、子会社・ブックマン社の元社長である木谷仁哉氏が就任した。
「これは妥当な人選であるとは思えません。齋藤氏は確かに弊社OBですが、大学在学中の1983年に入社し、その5年後に退社。在籍は20代の5年間だけで、その後は主に医療や保健関係のソーシャルビジネスをご専門にしてきたそうです。
木谷氏も子会社の社長経験者ですが、今は80代半ばの高齢であり、どのような経緯で選出されたのか不思議です」(小島氏)
遺族のふたりは役員を退任したが、体調不良で出社していない池田氏は、「副社長として留任」とされたことも社内の不信感を強めた(しかも、池田氏は11月13日現在も登記上は代表取締役であることが発覚)。
翌日、経営陣解任などを決めた株主決議は存在しないとして、小川氏ら旧経営陣が東京地裁に提訴する会見を開く。すると、新代表取締役社長の齋藤氏が出社し、今後の経営方針を説明すると通達された。
10月30日、新代表の齋藤氏が弁護士を伴って出社。自身の経営方針をまとめた1枚の紙を社員に配布した。
そこには「リストラはしないで財産(人財)を守る」「M&A契約書に3年間は社員の身分保証をしている」「朝日出版社をいい会社にする」といった言葉が並ぶ一方、具体的な事業改革案や新規事業のアイデアなどの言及はなかった。その社内説明会の模様について、前出の小島氏は語る。
「お話を聞いて、かえって不安が募りました。例えば、社員の身分保証をするとありますが、その契約は株主と戸田事務所の間で結ばれているもので、齋藤氏が社員に保証責任を負うわけではないと弁護士に確認しています。社員の安心材料にはなりえません。
齋藤氏は副社長の池田氏に会ったこともなく、新会社設立についてもよく知らないと答えるばかり。社長就任の経緯に関しても、『過去よりも未来について話したい』と明確な回答は得られなかった一方、労働組合の活動については齋藤氏側の弁護士から、『会社に対する名誉毀損だ』と強い口調で言われました。
齋藤氏は、『この会社は大好きだから、とにかく良い会社にしたい』とおっしゃるのですが、従業員からの『朝日出版社の好きな本は?』との質問には自身の在職時の本しか答えられず、近年の本にはまったく言及がありませんでした」
その後、労働組合はあらためて齋藤氏に団体交渉を要求。長らく無回答が続いたが、本記事の執筆時点でようやく日程調整に入ったという。旧経営陣の裁判も始まったばかりで、このM&A騒動の決着は、まだ何もついていない。前代表の小川氏がこう語る。
「この騒動の全貌がわからないことが何よりも問題です。そもそもご遺族と戸田事務所の仲介をしたマクサスの意図がわからない。
ホワイトナイト(友好的買収者)として印刷会社が戸田事務所よりも高値を提示した際、『株主の仲介者として好条件な提案をなぜ断るのか』と聞いても、総合的判断としか答えず、戸田事務所でなければダメな理由をまったく明かしてくれない。
ほかに買い手候補がいなかったとも説明されたのですが、私たちが各出版社などに問い合わせたところ、相談自体がなかったと判明しています。
しかも、それだけ戸田事務所にこだわるのに、実はいまだに株式譲渡は成立しておらず、株主はご遺族のまま。M&Aは未成立です。なぜ契約を締結できないのか。まだ私たちが把握していない事情があるのかもしれません」
そういった疑問の数々を明らかにすべく、新代表の齋藤氏に取材を依頼するも、期日までに返答は得られなかった。
朝日出版社を巡るM&A騒動について、神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏は、次のように見解を示す。
「日本でM&Aが普及するにつれ、同様の混乱は増えています。例えば、M&A業界で話題の『日本製造』という会社があります。製造業を中心に後継者不在で存続が危ぶまれる中小企業を次々と買収し、わずか数年で巨大グループをつくり上げました。
表向きは買収先の従業員の雇用を守ると言います。そのほうが売買価格は安く済むからです。そして、合併後に親会社が資金を吸い上げるだけ吸い上げ、子会社を操業停止に追い込む。船井電機のM&Aを巡る騒動も同様の事例だと思います。私はこれを"吸血型M&A"と呼んでいます。
あくまで報道内容や取材資料を見る限りですが、朝日出版社では『3年間は社員の身分保証をする』と新代表が宣言しました。しかし、それは『その後はわからないよ』というメッセージにも受け取れます。つまり、これから吸血型になる可能性はあります」
なぜ、そのような"吸血型M&A"が増えているのか。
「原則的に『会社は株主のもの』であり、株主が自身の財産をどう処分しても許される。ただ、同時に会社は従業員の雇用を守る責任もある。そこでEUなどでは、M&Aで経営体制が変わる際、事前に従業員と協議して、従来の待遇を維持しなければならないという非常に厳しいルールが法律で課せられています。
しかし、日本企業は長らく家族主義だったので、経営に関しても性善説でした。『従業員は家族だ。金儲けのために家族を切り捨てる非情な経営者などいないはず』という前提でルールが作られてきた。
そのため、M&Aに関しても法律の罰則がない。つまり、たとえ倫理的に悪質だと感じられたとしても、法律上は合法であり、罪に問えないのです。だから、堂々と吸血型が横行してしまう。
M&A騒動に直面する社員の方々には気の毒ですが、現状では株主が、『この人に会社を売ります』と決めたら止める手段がない。
そして新たな株主が『業績不振で会社を畳みます』と言っても退職金の支払いを求めるくらいしかできない。まさに船井電機がそうでした。こうした騒動が話題を集める今こそ、M&Aを巡る法整備について真剣に議論するべきでしょう」
本記事の締め切り直前、朝日出版社の株主である遺族の代理人弁護士から、この騒動に対するコメントが得られた。
そこには「戸田事務所の推挙を受けて選任された新取締役らにより、両社(朝日出版社とブックマン社)の事業運営が円滑に進められることを切に望んでおり」「最も適正かつ妥当な買手として戸田事務所と株式譲渡契約の締結に至った次第」とした上で、旧経営陣の訴訟についても、「新株主である戸田事務所において適切に対応されるものと認識しております」と、すでに株主が戸田事務所であるかのような表現であった。
しかし、小川氏らの旧経営陣も労働組合も、「齋藤氏の発言から、株主は変わらず創業者のご遺族であると認識している」と述べている。すべての真相を把握しているのは誰なのか。騒動解決への道はまだまだ遠い。
1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。