矢内裕子やない・ゆうこ
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治
「カラオケDAM」にはスナックなど"夜の店"限定の機能があるという。「本日出勤」と銘打たれたその機能は表示された女性の中から好みの女性を選びカラオケの背景にできるというものだ。この機能はなぜ生まれたのか? 画面の中の彼女たちは何者なのか? 第一興商のプロデューサーを直撃した。
* * *
木枯らしに吹かれた落ち葉が、足元でくるくると踊る。そんな冬の夕暮れに、にじむように光るのがスナックの看板照明だ。店名が書かれた明かりが日々の仕事を離れ、ひとときの休息を求める戦士たちを優しく招く。
ママやマスターが愚痴を聞いてくれ、客同士で語らい、そしてカラオケで歌う――スナックこそ男性、とりわけ人生の酸いも甘いも知っている中年男性たちが羽を休める憩いの場なのだ。
東京都小金井市にあるスナック「いこい」も、そうした店のひとつ。編集部のY寺も中年というには早いが、人生の先輩たる「おじさん」たちと交流できるスナックをこよなく愛する一人だ。
「さて、さとみさんは出勤しているかな」
常連のOさんがそうつぶやきながら、カラオケの曲を予約する。
「Oさん、仕事が忙しすぎて、いよいよ幻覚でも見ているのかな」と、Y寺は思う。「いこい」は深夜でもすしが食べられるのが売りの店だが、店員は男性のみ。女性キャストはいないからだ。
マイクを手にしたOさんがご機嫌で歌い出す。曲はサザンオールスターズ『LOVE AFFAIR~秘密のデート』。
曲が始まると画面には青いニットワンピースを着た女性が登場。「さとみ」という名前が出ている。さとみさんはほほ笑みながら歌に合わせて手拍子をし、体を揺らしてリズムをとる。Oさんはさとみさんの応援に応えるように、頬を紅潮させていく。
(な、なんだこの機能は!? こんなの知らないぞ!)
普段「精密採点」の点数でイキるY寺の焦りにはまったく気づかず、ノリノリで歌うOさん。間奏に入ると、画面の中のさとみさんが「すごーい! めっちゃイケボ......」とささやきかける。
Oさんは画面に軽くうなずき、さらに声を張り上げる。熱唱し、曲が終わったかと思えば、さとみさんは「超カッコいい! 好きになりそう!」とOさんの歌にホの字ではないか!
「これっていったい......?」
「あ、Y寺くんはやったことなかったっけ? いつも『精密採点』オンリーだもんね」
次の曲を探しているOさんに代わって、マスターが教えてくれた。
Oさんがやっていたのは、「カラオケDAM」の機能のひとつだという。デンモク(リモコン)の予約画面にある「本日出勤」というボタンを押すと、さまざまなタイプの女性が現れる。その中から一人を選んで曲を予約すると、画面にその女性が登場してくれるというものだ。
歌唱中は笑顔の女性が手拍子やコメントで、場を盛り上げてくれる。
「精密採点」に夢中になっている間に、新しい機能が導入されていたのか!
Oさんが顔を上げ、しみじみとつぶやく。
「『今日はうまく歌えたな』と思えたときに、ホメてもらえるのがうれしい。中には『もっと歌って』的な、ああ、まだお店とお客さまの関係かなっていうコメントもあるけど、時々その一線を越えるような言葉をくれることがある。次はどんなことを言ってくれるのか、もっと聞きたくなる」
Oさん、そんなにさとみさんのことを思って......。
「でもさ」
マイクを握りながらOさんがつぶやく。
「さとみさんを推したいと思っても、どうしたらいいかわからないんだよね。調べても出てこないんだもん」
その言葉が、Y寺の何かに着火した。
数日後、東京・御殿山にある第一興商のビル内のカラオケルームにY寺はいた。相対するのは「本日出勤」プロデューサーの、営業統括本部営業企画部部長・大久保雅宏さんだ。
* * *
――「本日出勤」機能についてですが、あまり宣伝をしていないですよね。気づいたらデンモクに「本日出勤」のボタンが出ていました。押すととても魅力的な女性たちが登場します。これはどういったきっかけでスタートしたんですか。
大久保 カラオケ業界で夜に営業するお店を「ナイト市場」と呼ぶのですが、中でもスナックがコロナ禍で大打撃を受けました。
お客さまの数も減りましたが、一度離れたキャストも別の仕事をしていると(コロナが明けても)店に戻ってこないんですよ。コロナは5類になりましたが、人手不足、特に女性キャスト不足は深刻です。
私自身、スナックが大好きなんですよ。お酒を飲みながら楽しく話をするひととき。何より、カラオケで歌って発散するのは健康にもいい!
中年男性のオアシスともいえる大好きなスナックの苦境を目の当たりにして、「お店を助けたい」「少しでも長く続けてほしい」という気持ちから、今回のプロジェクトを考え、昨年の4月に機能として搭載しました。「本日出勤」の女性でしたら、一年365日、出勤できますから。
――スナックの元気がなくなるのは、カラオケ業界にとっても大きな問題なんですね。
大久保 2025年問題で後継者不足も心配されていたところに、コロナ禍がありました。そもそもスナックは少人数で切り盛りしているところも多いですから、そうした環境で、少しでも楽しくカラオケをやってもらえたら、と考えました。
カラオケボックスなどでは使えない、主にスナック向けの機能なので大々的に宣伝するのではなく、営業マンがお店で説明する形にしています。
――「本日出勤」には、年代も含め、いろいろなタイプの女性がいますよね。
大久保 「カラオケの背景に映る」という条件で、芸能プロダクションに声をかけて、200人の方をオーディションしました。そこから20~40代の30人を選んでいます。
気をつけたのは、とにかく「タイプが偏らないように」ということ。私以外にもプロジェクトチームのメンバーがいるので、みんなで意見を出し合いながら決めました。
――具体的には、年齢とか?
大久保 身長や髪型についてもですね。人間の好みって、本当に似た感じになってしまうんです。
「本日出勤」を「精密採点」などのようなコンテンツではなく機能に位置づけたのは、スナックで使っていただくことを念頭に置いていたからです。この機能を使いたくないお客さまに配慮し、1曲ごとの対応にしました。営業ツールとして、カードも作ったんですよ。「本日出勤カード」というんですが。
――へえ、トランプみたいですね。登録されている30人のデータをカードにしたんですね。
大久保 そうです。番号も振っています。おニャン子クラブ方式ですね。番号は単純に、撮影した順です。
――僕がよく行く店には、なかったな。これ、いいですね。
大久保 それはすみません。1組、差し上げますよ。
――こうして見ると皆親しみやすい名前ですね。
大久保 はい、源氏名は昭和っぽい名前を意識しています。「カードに予約のためのQRコードを載せてはどうか」という案もありましたが、それはやりません。あくまでアナログでやりたいんです。店でお客さまに渡すと、テーブルに並べて楽しそうにカードを見てゆくんですよ。真剣そのものです。
――テーブルの上にカードを並べて、というのが味わい深いです。そういえば、時々「退店ピンチ、私を選んで」とデンモクに出てきますよね。指名が少ないと入れ替わるシステムなのですか?
大久保 そうです。活性化していくために、時期は決まっていませんが、だいたい1年に1回くらい、入れ替えを予定しています。飽きられるのが怖いので。
だから指名の順位も表には出しません。出すと上位のメンバーに人気が集中してしまうでしょう。
――よく行くスナックで、29番のさとみさんを推している男性がいて、「どうしたら応援できるのか」と気にしているんです。
大久保 とにかく指名してもらうことですね。「本日出勤」は、一度気に入られると、すごく使ってもらえるんです。女性のファンになって「どうやったらこのコに会えるんだ」という問い合わせがウェブ経由で来ることもあります。
――「一番指名してくれたお店を女性が訪問する」とか?
大久保 今のところは考えていませんね。今後、この機能の人気がさらに増せば、何かできるかもしれませんが......。先日、初めて入れ替えをしたんですよ。新メンバーの関西弁のしずかちゃんが早速、人気になっています。
――人気順位を公開しないあたりも大人な仕様です。
大久保 「本日出勤」は、とにかく自分のようなおじさんが喜んで、気持ち良く指名して一曲でも多く歌ってもらえることを考えています。
「おじさんによる、おじさんのためのコンテンツ」なんですよ! だから画面の女性からのコメントは、常にホメ言葉です(笑)。
――男性の夢ですね......。
大久保 実際のスナックだと、お客さまが歌っている間もいろいろな仕事が入ってくるので女性キャストに歌に集中してもらうのは難しい。でも、「本日出勤」なら......。
――ずっと見つめてくれる!
――リリースしてみて、どんな反応がありましたか?
大久保 意外だったのは、中国人のママがやっているお店などで「外国人キャストの勉強になる」と言われたことです。映像に登場する女性たちの所作や言葉遣い、特にホメ言葉が「非常に勉強になる」そうです。
――確かに、酒の席でのホメ言葉って、語学の教科書には出てこないですし、大事なことなのに教わる場所がない。
大久保 予想もしない反響でした。
――映像の背景がリアルですが、実際のスナックで撮ったんですか?
大久保 はい。すべてリアル店舗を借りて撮影しています。30人について、それぞれ3パターンを撮影したので、なかなかハードでした。
* * *
営業部門の大久保さんが、スナックへの愛からプロデュースした「本日出勤」。その背景を聞いたところで、さとみさんの映像を見ていたY寺が突然、声を上げた。
「あれ、さとみさんの撮影をしたスナックって、国分寺の○○○じゃないですか?」
「あ、そうですね。○○○です」
答えながらもやや引き気味の大久保さんに、「行ったことがあります」と、ドヤ顔で答えるY寺。
その夜、Y寺は「いこい」でOさんに、大久保さんのスナックへの思い、撮影秘話などを伝えた。Oさんは静かに聞き終わると、いつもどおりデンモクを手に取り、曲を予約した。
「どんなときでもさとみさんは優しい声で語りかけてくれる。すべてを包み込んでくれる雰囲気がとても癒やされるんだ」
第一興商での取材中、大久保さんは言った。「スナックこそおじさんのオアシスだ」と。目の前で歌うOさんを見ていると、その言葉がよみがえる。スナックはいい、カラオケは素晴らしい。Oさんの声が、いつも以上に胸に染みるY寺だった。
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治