「あの頃も今も私の基本的なスタンスは変わっていなくて、相変わらずフワフワとやっています」と笑う伊藤つかささん

昨年、『あまちゃん』で注目された1980年代の“アイドル黄金時代

現在に負けず劣らずのアイドルブームだったあの当時、トップアイドルたちはいったいどんな生活を送っていたのか? 

80年に『3年B組金八先生』に出演しブレイク、81年には『少女人形』で歌手デビューし、一世を風靡した伊藤つかささんに聞いた。

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―『3年B組金八先生』第2シリーズに出演して、大人気になりましたよね。物静かな美少女という感じで……。

伊藤 美少女ではないですけど(笑)。もともと引っ込み思案な性格なので、役をつくっているという気持ちはなかったですね。等身大の自分でいました。

あの現場には、中学2年から高校3年までの人たちが集まっていたんです。高3の人から見たら、当時、中2だった私はかなり子供ですよね。

だからなのか、いろんな人からかわいがってもらいました。一番遊んでもらったのは、加藤優役の直江喜一(なおえきいち)君です。局の屋上でよくバドミントンとかしてました。

―あの加藤優がバドミントン?

伊藤 はい(笑)。

―そんな3Bのなかで自分がすごく注目されているという実感はあったんですか?

伊藤 ファンレターが届くんですけど、みんなが集まっているところで渡されるんです。だから日に日に増えていったり……。あとは個人的に取材を受けることが多くなりましたね。

確か一番初めにひとりだけで取材を受けたのは週プレさんだったんですよ(笑)。それで本当の学校のクラスの男子が「おまえ、週プレに載ってるじゃん」って本を持ってきて、「あー、見つかった。どうしよう」って困ったんです。

その次の取材でも、なぜかいきなり「これに着替えてください」って、ランニング用のシャツと短パンを渡されたんです。私、走るのが得意じゃないのになんでだろうって思いました(笑)。

―な、なんでですかね(汗)。

伊藤 あの頃、一番困ったのは、朝、実家の前にファンの方が集まってくることです。それで家から学校までみんなでゾロゾロ登校することになるので、ファンの方が来る前に学校に行こうと、家を出るのがどんどん早くなるんです。最終的には先生より早く着くようになりました(笑)。

―『金八先生』だけじゃなく、『少女人形』も大ヒットしましたよね。歌番組での松田聖子さんや中森明菜さんはどんな人でした?

伊藤 デビュー曲は年齢の問題で、『ザ・ベストテン』とかほとんど録画だったんです。だから、あまりお会いしてなくて……。その後、歌番組などでご一緒したときも松本伊代さんとか中森明菜さんよりも私のほうが年下だったので、「おはようございます」くらいしか言えなかったんです。

あのときは、みんなすごくすてきな衣装を着ていたんですよね。私はずっとセーラー服だったので、「セーラー服じゃない衣装が着たいな」って、ちょっと不満はありましたけど(笑)。

―80年代にアイドルとして活動していたことをどう思ってますか?

伊藤 当時は本当に分刻みで働いていて忙しかったけど、やっぱり楽しかったですね。周りのスタッフからは「もっとアイドルらしくしろ」「欲を出しなさい」と言われることが多かったんですが、あの頃も今も私の基本的なスタンスは変わっていなくて、相変わらずフワフワとやっています(笑)。そして、こんな私を今も支えてくれるファンの方には心から感謝しています。

(取材・文/村上隆保 撮影/本田雄士)

●伊藤つかさ1967年2月21日生まれ、東京都出身。5歳の頃から劇団に所属し、子役として活動。現在もドラマや舞台などを中心に活躍している。公式ブログ『maniac love』は【http://ameblo.jp/itohtsukasa/】