歴代「いいとも青年隊」の中で一番(?)の出世株、マコトくんこと野々村真さんに『笑っていいとも!』時代の懐かしくも、ちょっと恥ずかしい青春秘話を語ってもらった!
■青年隊は一番の下っ端だったんです
―そもそも青年隊に選ばれた経緯から教えてもらえますか?
野々村 当時、僕は18歳で劇団に入ってたんですけど、そのときやってた公演をプロデューサーの横澤彪(たけし)さんが観に来ていて。「いいとも青年隊」のオーディションがあるって聞かされたんです。後日、劇団のみんなで受けに行くことになったんですけど、当日とんでもないことになっちゃって……。その劇団は学ランにリーゼントでパフォーマンスするような人たちが集まってたんですけど、面談中に暴れだしちゃったんですよ。マイクを蹴り倒すわ、たばこを吸い始めるわ、めちゃくちゃで。僕、同じメンバーとして「マズいんじゃねーの?」って。
―そ、そんな状況で自分は?
野々村 僕は気も弱いし、あがりながらもちゃんとやってたんです。先輩たちを横目にオドオドしながら、ダンスも歌もとにかく一生懸命やって。それで、最後の面接で「お昼の番組なんだけど、キミ、高校生だよね? 学校はどうするの?」と聞かれて「やめます!」って即答しましたから。そこだけはすごく男らしかったです(笑)。それまでオーディションに落ち続けてたし、どうにかこのチャンスをつかみたいと思って。審査員の横澤さんは笑ってましたけどね。
―で、意外と受かっちゃった?
野々村 実は、オーディションの後に団員みんなで食事してたら、先輩がいきなり「真、おめでとう! 絶対おまえに決まったな」って言うんですよ。「なんでですか?」って聞くと「俺らの作戦どおりだ」とか言いだして! 要するに、先輩たちがわざと暴れて僕がよく見えるようにしてくれてたんです。僕は「こいつらツブしやがって」くらいに思ってたのに(笑)。
―熱い友情ッス! その先輩たちのお膳立てもあって合格!! で、久保田篤さん、羽賀研二さんは?
野々村 篤さんはタモリさんと同じ事務所で、要するに“シード”ですね(笑)。研二さんも当時すでにドラマに出るくらい売れてたんで、だからふたりともオーディションには来てなくて、いつの間にかすんなりと決まってたみたい。苦労したの僕だけなんですよ!
パシリにケンカ……苦労の耐えない日々
―なるほど(笑)。では、記念すべき第1回放送はどうでした?
野々村 それはもうガッチガチですよ。本番前に「放送禁止用語には気をつけろ」と言われてて、なのに初日にやっちゃったんですよね。当時は青年隊もタモリさんやゲストと一緒にコーナーに参加していて、その日はジェスチャー当てクイズだったんです。そこで、当てることに必死になりすぎて、“土○”とか“ぎっ○ょ”とか、篤くんと連鎖しちゃって!「このコーナー、今日で終わるんじゃないか」って思いました(苦笑)。
―いきなりハプニングすぎ!
野々村 でも本番以外も大変でしたよ。青年隊って、立場がADさんよりも下だったんです。しかも僕は、青年隊の中でも一番下だからアルタの一番下(笑)。朝、新宿の松屋にスタッフ全員分の牛丼を買いに行ってたの僕ですから! お釣りで自分の分1杯食っていいよとか言われて……。
―そんな縦社会の中で、タモリさんや先輩たちに何かアドバイスをもらったりはしたんですか?
野々村 タモリさんは、シャイで物静かで向こうから声をかけてくださることもあんまりなくて。篤さんたちもアドバイスっていうより、僕がトイレで用を足してるときに上からのぞいてたり、イタズラばっかしてましたね(笑)。でも、タモリさんもたまにそのイタズラに便乗して、僕のトイレをのぞいて笑ってたりするんですよ。
―みんなにアソコをのぞかれてたと……(苦笑)。
野々村 回数が多かったからですかね。本番前は緊張するんで、トイレが近くなるんですよ。あんまり行くもんだから、「本番前にマコトはトイレでオナニーしてる」なんてウワサまで流れて……。
―えっ! してたんですか?
野々村 してないですよ! でもある日、いつものようにトイレに行ったら「マコト、本番5分前にオナニー禁止!」って注意書きが張ってあって。これがペラッとした張り紙じゃなくて、番組で使うようなちゃんとしたフリップだったんです! タモリさんがわざわざ裏方さんに頼んで作ってもらったみたいで。そういうちゃめっ気がある人だったんですよ(笑)。
■『いいとも!』が僕を生んでくれたんです
―ちなみに、青年隊の3人の仲はどうだったんですか?
野々村 篤さんと研二さんはふたりとも芸歴5年でライバルみたいな感じだったから、ほんとケンカばっかで大変でしたよ(苦笑)。生放送中に裏でケンカを始めちゃったりして。スタッフさんが「いいかげんにしろ!」って怒鳴ってるのがスタジオにダダ漏れなんです。つかみ合いを始めちゃったのを僕が必死に止めて……。そしたら僕が殴られて! そんなことをしてるうちに出番が来ちゃって、ふたりはプロだからそのまま出た瞬間に笑顔なんですよね。でも、真ん中で僕がなぜか泣いてるっていう。「なんで泣いてるの?」って視聴者から電話かかってきたりして。
―リアルに、そんなコントみたいなことが!
野々村 ちょっとしたことでいつもそんな感じですよ。あまりにケンカが多いからスタッフさんには「次にケンカしたら解散だ!」と何度も言われてましたから。青年隊は2年間やったけど、そこで一番大人になったのは僕ですから(苦笑)。ホント大変でしたよ。
「いいとも!」は鮭が帰ってくる場所?
―では、青年隊卒業を聞いたときはホッとしたとか……?
野々村 いや、でも離れるのはやっぱり不安でしたね。あのふたりがいなかったら僕のキャラは成立しなかったと思うんです。卒業間近のときは「ひとりでこいつ大丈夫か?」って雰囲気がスタッフさんたちの間にも漂ってて。そんなときちょうど、当時レギュラーだった三田寛子ちゃんも卒業が決まって、僕と同じように心配されてたんですけど(笑)。それで、ふたりだけのコーナーをつくってくれたりしたんですよね。
―『いいとも!』ファミリーの温かさを感じます! で、卒業後はどうなったんですか?
野々村 ウチは実家が八百屋なんで、身内の間でも「もう帰ってきて店を手伝え」「いい青春の思い出ができたろ」みたいな空気が流れてたんです。でも、僕の中では「青年隊で終わりたくない」という思いが強くて。そんなときに事務所がソロでCDデビューさせてくれたんです。その曲で歌番組にも出させてもらって、ひとりでトークしたら、会場からどっかんどっかん笑いが起こって! 緊張で何しゃべったか覚えてないんですけど、楽屋に戻ったらマネジャーから「どうした、おまえ! ひとりでできるじゃないか!」って(笑)。まぁ、青年隊をやって、知らないうちに身についたものがあったんでしょうね。僕はお袋に「人の話だけはしっかり聞くように」と言われて育ったんですけど、いろんな人のトークを一生懸命耳をかっぽじって聞いてたら、それがトークで出たんだと思います。そしたら、その後も奇跡が続いて『世界ふしぎ発見!』のレギュラーも決まったりしたんですよね。
―深イイ話です! 『いいとも!』で学んだことがいろんなベースになってるんですね。
野々村 笑えないハプニングもありましたけど、それが生放送の醍醐味(だいごみ)だったんですよね。最高の番組に出させてもらってたんだなといまさらながら思います。
―そんな『いいとも!』に先日、娘の香音(かのん)さんも出演されました!
野々村 そうなんです! 鮭が生まれた川に戻った!みたいな。
―鮭? えっと、意味が……?
野々村 いや、だから僕が鮭で、『いいとも!』という川に娘が……あれ、違いますね。と、とにかく感無量で!(汗)。僕をこの世界に送り出してくれた番組に娘が出たことが、スゴいなんか……。
―大丈夫です、気持ちは伝わってますよ! 確かに、何か運命的ですよね。では最後に自分にとって『いいとも!』とは?
野々村 そうだなぁ……僕が産声を上げた原点なわけだから、まさに“母なる番組”ですよ!
(取材・文/short cut[岡本温子、山本絵理]、撮影/五十嵐和博)
●野々村真(ののむら・まこと) 1964年6月24日生まれ、東京都出身。クイズ、情報番組ほか多方面で活躍。『世界ふしぎ発見!』(TBS系、毎週土曜21時)、SoftBankのCMに家族で出演中