7月25日(金)より公開されるハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』で、「ゴジラの理解者」ともいえる重要な役割を与えられた生物学者、芹沢博士を演じる渡辺謙。今作が映し出す、ゴジラと映画の“使命”とは――。
■“再生する力”をゴジラの背中に見た
―1998年のトカゲみたいなハリウッド版『ゴジラ』が、個人的にはトンデモな出来だったので……。
渡辺 あぁ、はいはい(笑)。
―今回は大丈夫かなぁと心配だったんですが、もう文句なしにゴジラ映画の王道をいってるなと思いました。ビジュアルや動きは“中の人”がいるゴジラを踏襲(とうしゅう)しているし、もちろん宿敵怪獣との決闘もあれば、タメてジラした後の“咆哮(ほうこう)”と“放射熱線”の快感もある。そういう“お約束”をちゃんとわかってるなっていう。
渡辺 「待ってました!」って感じだよね。これぞエンターテインメントっていう。僕はニューヨークで観たんだけど、日本だけじゃなくて世界のゴジラファンからも同じ興奮を感じた。現時点で最後のゴジラ(2004年の『ゴジラ FINAL WARS』)って10年も前でしょ。空き家感っていうのがやっぱりあったんだろうね。
―それは渡辺さん自身も?
渡辺 そうだね、今回、ふるさと感みたいなのはあったよ。
―やはり、小さい頃から熱心なゴジラファンだったんですか?
渡辺 それがねぇ、物心ついたときはすでに夏休みと冬休みは怪獣映画を観に行くのが定番になってて、好きも嫌いもないっていうか、当然のものとして存在してたんだよね。まあ、どっちかというと僕はゴジラよりガメラ派(笑)。
単なる怪獣映画なんかでは全然ない
―そんなぁ(笑)。じゃあ、ゴジラ映画が元気だった頃、俳優として出演したいと思ったことは?
渡辺 ない。
―即答ですか。
渡辺 いや、20代30代は僕がまだ血気盛んだったっていうのもあるけど、例えば『スター・ウォーズ』あたりと比べると、ゴジラはどうしても特撮技術的に劣るというか、お子ちゃまな感じがするってのはあったかな。でもね。
―はい。
渡辺 あるときゴジラのオリジナル版をちゃんと見直したら、「なんだ、この映画は!?」って心底驚いたんですよ。単なる怪獣映画なんかでは全然ないぞっていう。
―実はシリアスで社会的なテーマを含む映画でもあったんだと。
渡辺 第1作でいえばゴジラ誕生につながる水爆実験だったりね。
―そうなんですよね。シリーズ化以降も公害だったり遺伝子操作だったり、時代時代でクローズアップされている問題に敏感に反応してきたのがゴジラでした。
渡辺 要するに、日本人がそのときどきで見つめなければいけない問題や対峙(たいじ)すべき問いっていうのをゴジラという怪獣を通して映し出すっていう、本来はそういう映画なんだよね、ゴジラって。
―今回のハリウッド版は、そういう意味でも往年のゴジラを踏襲(とうしゅう)してるなぁと思いました。
渡辺 原発や放射能っていうテーマが常に作品の根底にうごめいてるでしょう?
―はい。福島をほうふつさせる原発の爆発事故に始まり、自然や科学といかに向き合うかという問題にフォーカスしていくっていう。
渡辺 結局、それって僕ら日本人が震災で受けた問題提起そのものじゃないですか。あれから3年がたって、「じゃあ、今、日本人としてその問題をどう考えてるんだ?」ってゴジラが僕らに問いかけてくるわけ。と同時に、今度はその問いをゴジラが世界に向かって突きつけるんだよね。
本当は日本が撮るべき映画では?
―なるほど。
渡辺 だからこそ、ちょっと悔しいなっていう思いもあって。
―悔しい、ですか?
渡辺 つまりほら、本当は日本が撮るべき映画なんじゃないのかって思う部分もあるわけ。
―3・11の当事者として。
渡辺 別に日本映画を否定するつもりはないんだけど、最近の日本映画の傾向って精神性みたいなものがすごく内へ内へ、(人間の)内面に向かっていて、なおかつ日常の延長線上にストーリーテリングを求めているものがほとんどのような気がして。
―“等身大”とか“ありのまま”が美徳であるかのように。
渡辺 逆に、ある種の歴史だったり国家が直面している問題みたいなものに、正面から向き合って検証したり問い直すっていうことに取り組めてないように思えて。
―それはこの10年、ゴジラが製作されなかった話とつながってきますよね。
渡辺 もし今の日本で、それこそ福島だ、原発だっていうテーマを取り上げるとなったら、「スポンサーの問題が……」っていう話になるから、難しいし勇気がいることだというのはわかる。でもね、ゴジラの第1作が撮られた60年前と状況が一緒だとは思わないけど、当時の映画人たちはそれをやったんです。できたんです。そう考えるとよけいに歯がゆい気持ちっていうのはあるよね。
―なるほど。ただ、今回はハリウッドの製作で、なおかつイギリス人の監督が撮ったっていう事実が作品にすごく重みをもたせているようにも思うんですよね。
渡辺 そこはね、やっぱり監督のギャレス・エドワーズがアメリカ的なものの見方をしてないというか、世界地図の太平洋を挟んで右か左かじゃなくて、ちゃんと地球儀で現象をとらえてる、一歩引いて世界を眺めてるのがデカい。シニックなんだよね、いい意味で。
今、ゴジラが復活する意味
―シニック?
渡辺 例えばほら、原発事故に限らず広島、原爆っていうテーマを扱ってるけど、アメリカ人監督だったらこんなに否定的には描かないと思うから。
―確かにそうですね。渡辺さん演じる芹沢博士の父親が広島で被爆したという設定で、彼の言葉を通して原爆投下を過ちの歴史として認識しているようなメッセージを込めているっていう……。
渡辺 ギャレスはゴジラがどんな映画なのかってことだけじゃなくて、日本がどんな歴史をたどってきたのか、3年前に何が起きたのか、ちゃんと理解していたんだよね。そこは本当に信頼できた。
―それに、怪獣の脅威にどう立ち向かうのかっていう流れで、人間が自然をコントロールできると考えるのは傲慢(ごうまん)だと、セリフとして語らせてるのも印象的でした。
渡辺 ゴジラはそれをずっと問い続けてきたけど、科学ですべてを制御できないっていうのは今も60年前も変わらない眼前の事実としてあって。そこに対する懐疑っていうのは常にもたなきゃいけないと思う。STAP細胞じゃないけど、「ホントかよ?」って。そうでないと森羅万象(しんらばんしょう)すべて人間が掌握できるって錯覚するし、錯覚が起こす悲劇ってあるから。
―それはさっきおっしゃったような、3・11が日本に突きつけた問いそのものですよね。
渡辺 結局、今度のゴジラでも街は怪獣たちに破壊され尽くすし、人々の心は絶望や痛みにあふれてる。でもね、そこから立ち上がる力、再生する力を僕はゴジラの背中に見た。だからこそ、震災や事故が少しずつ風化しつつあるようにも見える今、ゴジラが復活する意味があったし、復活すべきタイミングだったと思うんだよね。
(ヘア&メイク/筒井智美[PSYCHE] スタイリング/馬場順子)
●渡辺謙(わたなべ・けん) 1959年生まれ、新潟県出身。『GODZILLA ゴジラ』に続き、声優を務めた『トランスフォーマー/ロストエイジ』が8月8日公開予定。来年はブロードウェイミュージカル『王様と私』に主演も