俳優生活50周年を記念したフォトエッセイ集『想』(2006年・小社刊・撮影/今津勝幸)

日本映画界のカリスマ、俳優の高倉健さん(83歳)が11月10日に亡くなった。

大学卒業後、映画会社の東映に入社し、1956年に『電光空手打ち』でデビュー。その後、『網走番外地』シリーズ、『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』『南極物語』『ブラック・レイン』『鉄道員(ぽっぽや)』など数多くのヒット作に出演し、日本を代表する映画スターとして国際的にも活躍した。

寡黙でストイックなヒーロー、そして、“すべての男が惚れる”男の素顔とは、どんなものだったのだろう。

『週刊プレイボーイ』本誌のかつての不定期連載で、健さんを撮った写真家の立木(たつき)義浩氏が語る。

「市川崑(こん)監督の『四十七人の刺客』(1994年)という赤穂(あこう)浪士の映画を撮っているときに何回か取材させてもらったんだけど、ある日、『立木さん、吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首をとった後に、吉良の頭を抱えるのがいいのか、ちょんまげを持つのがいいのか。どっちがいいでしょうかね?』って聞かれたんだよ。

監督じゃないのに、俺にそんなこと聞かれても困るって思ったんだけど、健さんはそんなふうに気さくに話しかけてくれる人だった。そして『吉良を斬る日にはぜひ撮影に来てください』って言われたから『はい』って答えたんだけど、実はその日は週プレの仕事で、沖縄で女のコを撮影する仕事が入ってた。でも、健さんから言われたら断れなくて、週プレには申し訳ないけど女のコの撮影を延期してもらったんだ。

で、その吉良を斬るシーンを撮り終わった後に見せた笑顔の写真があって、よく見るとわかるんだけど、健さんはいい写真が撮れるように顔を少し俺たちのほうに向けてくれてるんだよね。

そして、その写真が掲載された週プレを見た健さんから『素晴らしい写真と、素晴らしいレイアウトと、素晴らしいコピーで感激しました』ってお手紙をいただいた。そういう気配りがすごいよね。

そういえば、俺の行きつけの寿司屋さんの主人が健さんの大ファンで、ある日、そのお寿司屋さんに健さんが来たの。それで『ファンなんです』って言ったら、その数日後にサイン入りの写真と記念品を持って、『先日はごちそうさまでした』って本人がやって来たんだって。本当に人間関係をすごく大事にする人だった」

高倉健さんが教えてくれた男の生きざま

健さんの俳優生活50周年を記念したフォトエッセイ集『想』(2006年・小社刊)の撮影を担当したカメラマンの今津勝幸氏はこう話す。

「健さんと親しくなれたのは、映画『海峡』(82年)の撮影を取材するために北海道にいたとき。ほかのカメラマンはだいたい数日で帰るんだけど、僕は1ヵ月もいたから顔を覚えられてたんですよ。それで、ある日、ほかのカメラマンが健さんの写真を撮ってるときに、僕はあえて撮らなかったんですが、『撮ったのか?』って聞かれた。だから、『僕はほかの人と違う写真を撮りたいんです』って答えたんです。

すると翌日、ほかのカメラマンがいないときに、目配せじゃないけど、『ここ撮れよ』って教えてくれた。ありがたかったですね。また、海をバックに撮りたいと思ってその場所でじっとカメラを構えていたら、すっと来てくれるんです。言葉では伝えないけど、行動で応えてくれる。健さんは、そういう気の使い方をしてくれる人でした」

男の生きざまを言葉ではなく、態度で教えてくれた人。人とのつながりをとても大事にしていた高倉健さん。心からご冥福をお祈りします。

(取材・文/村上隆保)