80年代に数多くのアイドルやアーティストを世に送り出した吉田格氏

80年代に数多くのアイドルやアーティストを世に送り出した伝説の音楽プロデューサー・吉田格(ただし)氏。アイドル黄金時代といわれた80年代、個性派揃いで輝いていた当時を振り返って、今思うこととは…。

話を聞くと、当時の音楽業界には、ある面白いジンクスがあったという・・・。

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初めて女性アイドルを担当したのは原田知世さんです。角川春樹さんが「今までアイドルを担当していない人間がいい」ということで、僕に白羽の矢が立ちました。

そして、担当したCBS・ソニー移籍第一弾『天国にいちばん近い島』がオリコンで1位を獲ったということもあって、新人・南野陽子の話が舞い込んできたんです。

どうやって売り出していこうかと考えて、最初にやったのは『少年マガジン』への売り込みです。幸い、編集長も気に入ってくれて、マガジン・ガールとしてグラビアで大きく扱ってもらいました。

また、この当時は菊池桃子斉藤由貴に代表される“お嬢さまブーム”がありました。実際、南野は神戸のミッション系の学校に通う、まさにお嬢さまだったので、そんな彼女のライフスタイルを曲に反映させたら面白いんじゃないかって。

いわば、竹内まりやさんやユーミン(松任谷由実)の世界観を南野陽子に当てはめる感じです。その狙いはぴったりハマりました。

なぜいまだ彼女たちが活躍できるのか

話は変わりますが、CBS・ソニーには面白いジンクスがありました。それは会社で3人同時期に売り出した場合、なぜか3番手のコが売れるというもの(笑)。実は、80年の松田聖子さんがまさにそれで、当時のイチ押しは浜田朱里さんでした。

でも、結果的にさして期待をされていなかった3番手の聖子さんが一番売れた。85年もイチ押しが松本典子、2番が網浜直子、そして3番が南野陽子でしたが、結果的に一番売れたのは彼女だったんです。

同時期におニャン子クラブがデビューして、ソニーからは河合その子国生さゆりがソロデビュー。僕個人としては、隣の芝生ではありましたが、あまり興味はなく、それよりも斉藤由貴の次のシングルのほうが興味深かった。いい意味でライバルというか、気になる存在でしたからね。

実は知世にも薬師丸ひろ子というライバルがいました。そういう存在がいることで、「相手よりもいい作品を作る」という気持ちが強くなるし、それがお互いにいい方向へ作用していくんだと思います。

よく85年組のアイドルは、今でもこの世界で活躍してる人が多いといわれます。それは才能があったことも事実ですが、一番はそれぞれが自分の居場所を見つけて、努力を重ねてきたからだと思うんです。そして、その人たちが努力し続けているからこそ、いまだに第一線で活躍できるのだと思います。

僕は、そんな当時のアイドルたちと一緒にもう一度、熟成した大人のポップスを作ってみたい。それが今、一番やってみたいことですね。

(取材・文/浜野きよぞう)

●吉田格(よしだ・ただし)1976年、CBS・ソニー入社。南野陽子でオリコン8作連続1位を記録。郷ひろみを『GOLDFINGER ’99 』で再ブレイクさせた仕掛け人。現在、作家のマネージメント会社「SpringTune Inc.」を立ち上げ動き始めている

■週刊プレイボーイ3・4号「1985年組アイドル大名鑑」より(本誌では、懐かしのシングル盤ジャケット、写真集などとともにプレイバック!)