今年30周年を迎える斉藤由貴。80年代のアイドル隆盛期、彼女もまたトップアイドルとして誰もが知る存在となった。しかし、本人はスターダムを駆け上がっていた実感はなかったという。
■車の移動は1年間で10万km!
―デビューのきっかけから教えてください。
由貴 ミスマガジンに弟が私の写真を送ったんです。それでグランプリを獲ることができて、この世界に入りました。
―清楚な水着姿が、いまだ目に焼きついています!
由貴 いやいや、私は水着になれるようなスタイルじゃないですから(笑)。もう本当にお目汚しっていう感じで。
―ミスマガジンに選ばれてから、すぐに「青春という名のラーメン」(明星食品)でCMデビュー。放送直後から「あのコは誰!?」と大きな話題になりました。初めて自分のCMを見たときの感想は?
由貴 こうやって本当に世の中に出るんだなあって。初めて「お仕事をしてるんだ」という実感がありました。それと、自分がテレビに映っていることがすごく不思議な感じがしましたね。
―そして、デビュー曲の『卒業』が大ヒット。
由貴 作詞が松本隆さん、作曲が筒美京平さんという、いわゆる黄金コンビといわれたおふたりに作っていただきました。驚いたのは、実際にレコーディングで声を出して歌ったときに、曲の持つ世界観というか映像が立ち上がってきたんですね。そのことに感動した覚えがあります。
―『卒業』の大ヒットに続いて、その2ヵ月後には『スケバン刑事(デカ)』がスタートし、人気は不動のものに。
由貴 当時は本当にすごいスケジュールだったんですよ。例えば、夜中の12時に撮影が終わるじゃないですか。すると、前日のスケジュールにはなかった雑誌の表紙撮影があったりして、「どうしてもほかの時間がハマらないから、夜中の2時から撮影をするから」とか(笑)。そういうことが日常茶飯事だったので。
忙しすぎて車も壊れるほど!
―つらすぎます……。
由貴 とにかく、日付が変わる前に帰れることはないし、明るくなる前に家を出ることがほとんどでした。しかも、私は横浜に住んでいたので現場までが遠いんですよ。移動はだいたい車なんですが、1年間で10万kmくらい走ってました(笑)。だから、すぐ車がつぶれちゃうんです。
―ひぇ~~っ!
由貴 そのおかげで、車の中でいろんなことができるようになりましたよ。お化粧も上手になったし(笑)。ご飯も普通に食べてたし、車の中で生活している感じでしたね。
―ついちょっと前までは普通の高校生だったのに、いきなりトップアイドルの道へ。そのへんはどうでしたか。
由貴 正直、違和感はありました。私は人前に出るのが本当に苦手で、教室の端でひとりで本を読んでるようなコでしたから。それがいきなり、いわゆる“アイドル”になったわけでしょう。しかも、みんなの前ではそれらしく振る舞わなきゃいけない。ふと、「なんで私はこんなことをしてるんだろう」って思うことはよくありました。
―『スケバン刑事』で印象深かったことは?
由貴 NGをたくさん出したことかな。私はまったく運動神経がなかったので、ヨーヨーのシーンでテイク26とかありました(笑)。
―あららら。
由貴 ヨーヨーをしながらセリフを言うだけでもハードルが高いのに、その上で、歩いて前にジリジリ進まなきゃいけなくて本気で泣きそうでした(笑)。スタッフもだんだんイライラしてくるし、しかも当時はフィルムなので、NGを出すとその分のフィルムは全部捨てることになるんです。あれはきつかったなあ。
唯一、仲の良かったのは?
―そして、85年末には映画初出演にして初主演を務めた『雪の断章 ―情熱―』が公開され、翌年4月からはNHK連続テレビ小説『はね駒(こんま)』で主役を演じて大きな話題に。トントン拍子ですね。
由貴 私には下積み時代のようなものはありませんでしたが、当時はどんどん入ってくる仕事をこなすのに精いっぱいで、トントン拍子にいっているという自覚すらなかったです。
今となってみれば、すごく有能で愛情があるスタッフに恵まれていたんだなと思います。なおかつ、ちょうどいい時代にデビューできたという運も持っていたのかなって。
―デビュー当時はポニーテール率が高かったですよね。
由貴 はい。実は美容院に行くのが面倒なので、髪の毛が伸びたら自動的に結んでいたんです。それがポニーテールにしたきっかけで、ものすごく適当な理由で私のヘアスタイルが決まりました(笑)。
―ちなみに、同期で仲が良かったのは?
由貴 私、友達が少ないです(笑)。歌番組に出ても、誰とも一切しゃべらないまま終わるということがよくありましたし。唯一、仲が良かったのは高井麻巳子(まみこ)さんですね。
―おおっ!
由貴 『恋する女たち』という映画で共演したときに、やけに気が合ったんですよ。彼女ってすごくかわいい外見をしているのに、ものすごくクールなんです。物事を俯瞰(ふかん)で見ることができる人なんですね。だけど、人当たりがいいし、思いやりもある。
私はまったく逆で直感的に動いてしまう人(笑)。持っているものが全然違ったのがよかったのかも。お互いの家に泊まりに行ったり、一緒にニューヨークへ旅行に行ったりしたこともあります。
死ぬ間際まで女優を続ける
―さて、今年の3月には、30周年記念のコンサートがあるんですね。
由貴 ええ。私は基本的に女優だと思っているんですが、私の歌が聴きたいと言ってくださる方が意外といるんですよ。それで、私自身が何かを表現して30周年をお祝いするんだったら、やっぱり歌なのかなって。
―どの曲も思い入れがあると思いますが、特にこの一曲というのはありますか。
由貴 不動の一番は『卒業』ですが、大ファンだった谷山浩子さんに詞を書いていただいた『MAY』も好きです。これは「すごく内気で自分の気持ちを表現できないコが、いつか心から好きだってあなたに言いたい」という曲で、その女のコの気持ちにすごく共感できるんですね。
―ふむふむ。最後に、今後の目標をお願いします!
由貴 死ぬ間際まで女優を続けること。これは自分自身で決めています。演じることは私にとって欠くべからざるものなので、どんな形であれ演じ続けられたらいいですね。
●斉藤由貴(Saito Yuki) 1966年9月10日生まれ、神奈川県出身。3月13~15日には、30周年記念コンサートを開催予定(同時期に、フルアルバムを発売予定)。詳しくは公式HPへ! アドレスは、【http://www.toho-ent.co.jp】
(取材・文/浜野きよぞう 撮影/内山一也 五十嵐和博)