菊間千乃アナ。1995年フジ入社。1994年にスタートした『めざましテレビ』では初代MCを八木亜希子アナが務め、2代目は小島奈津子アナが担当。リポーター陣も人気があり、菊間アナは「それ行け!キクマ」でブレイクした

いまだ根強い女子アナ人気。その大ブームを生み出したのは、1990年代中盤のフジテレビだ。

特に、早朝番組と夜帯の番組を担当する女子アナたちに注目が集まったのである。

女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏が語る。

「1994年に『めざましテレビ』がスタートして、初代MCの八木亜希子アナだけではなくリポーターを務めた小島奈津子アナや菊間千乃アナにもファンが急増。早朝にもかかわらず、彼女たちのロケ先に大勢の男性ファンが駆けつけるほどだったと聞いています」

また、夜のスポーツ番組はフジテレビの『プロ野球ニュース』が全盛期。1988年に中井美穂アナが局の女子アナとして初めてMCに抜擢されて以来、後任にも女子アナが起用されるようになっていった。女子アナ評論家の戸部哲也氏が言う。

「1995年に西山喜久恵アナが、その翌年には天然キャラの木佐彩子アナがMCに就任。そして特にスゴかったのは、2000年から担当になった大橋マキアナです。野球をまったく知らなかったため『右中間ヒットは宇宙まで飛んでいくのかと思っていました』なんて迷言を残しています(笑)」

西山喜久恵 1992年フジ入社。『プロ野球ニュース』は1961年にスタートした長寿番組で、局の女子アナとしては1988年に中井美穂アナが担当したのが初めて。以降、木佐彩子アナ、西山アナ、宇田麻衣子アナ、荒瀬詩織アナ、大橋マキアナらが就任

木佐彩子アナ 1994年入社 元フジ

この頃から野球場に各局の女子アナが取材で姿を見せるようになり、カメラマンたちもその姿を狙うようになり始めた。

「90年代後半になると、『スポーツTODAY』(テレビ東京)の家森幸子アナや『スポーツうるぐす』(日本テレビ)の柴田倫世(ともよ)アナなど各局の看板アナが球場に集まるようになったんです。タイミングがよければ、一度にいろんな女子アナが撮影できるので、すごくおいしかったですね。

女子アナファンも増えてきて、ボールにサインをもらったりしていました。さすがに女子アナたちも『私たちは選手じゃないんですけど...』って驚いた顔をしていましたが、徐々に慣れた手つきでサインをするようになっていました(笑)」(カメラマンA氏)

そしてプロ野球選手と交際する女子アナが増えたのも、やはりこの頃からである。

「ジャイアンツの優勝旅行に同行したことが縁で、日テレの大神いずみアナは当時巨人の元木大介と結婚。柴田アナも1999年に西武に入団した松坂大輔と取材を通して知り合い、2004年に結婚してます」(スポーツ紙記者)

"第2次女子アナブーム"とフジの「女子アナ帝国」

この時期は"第2次女子アナブーム"と呼ばれ、かつてないほどの人気を博した。しかしその影響か、女子アナが図らずもお色気路線に走ってしまうことも...。

テレビ朝日の下平さやかアナは、伝説の深夜番組『トゥナイト2』のアシスタントを1995年から約4年間務め、男性視聴者を魅了し続けた。

「番組で風俗情報などを取り上げることもあり、そのたびに下平アナは山本晋也監督や北野誠にイジられる。それが楽しみで見ていた視聴者も多かったはず。アダルトグッズをVTRで紹介した際、彼女が『ローターって何に使うんですか?』って質問していたのにはちょっとビックリしました(笑)」(前出・戸部氏)

日テレの魚住りえアナは、旅番組のロケ先で胸をもまれ、今もそのハプニングシーンは女子アナファンの間で語り草になっている。

「彼女がマッサージを体験することになり、男性の整体師が胸に手を置いて施術を始めたんです。彼女は『先生、胸を触っています』と笑っていたんですけど、そのリアクションがすごくかわいかった」(丸山氏)

フジの3人娘や日テレのDORA、TBSの雨宮塔子アナ、進藤晶子アナがブレイクした第1次。それが第2次へと移行し、さらに盛り上がりを見せていった女子アナブーム。そんな中で、フジは着実に"女子アナ帝国"の礎を築き始めていった。

2000年に系列会社の共同テレビを含め、6人もの女子アナを採用したのである。

梅津弥英子 2000年入社 元フジ 2000年はフジに千野志麻アナ、政井マヤアナ、梅津弥英子アナ、系列会社の共テレに滝川クリステルアナ、安藤幸代アナ、相川梨絵アナが入社。千野アナは○○パンシリーズの初代MCを務め人気に

滝川クリステル 2000年入社 元共テレ

「フジに正式採用されたのは千野志麻アナ、政井マヤアナ、梅津弥英子アナの3人だったんですが、採用試験の最終面接で不合格になった滝川クリステルアナ、相川梨絵アナ、安藤幸代アナを共テレで採用する救済措置を行なったんです。

実は1990年代後半、中村江里子アナや近藤サトアナといった看板アナが次々と寿退社。次なるスター候補生を探している時期でもあった。だから、新人を少しでも多く補填(ほてん)しておく必要があったんです」(フジ局員)

この作戦は大当たり。フジを中心とした女子アナブームの黄金期に突入していく。そしてそれは、フジテレビという局の黄金期でもあったのだ。