「貴族スタイル」という武器で一時代を築き上げた髭男爵。苦悩して作り上げたこのキャラに思い入れのあるふたりは、このままやっていきたいと意気込む

「一発屋芸人」ーー大ブームを生み出したものの、それ以降パッとせずTVや雑誌から消えていった芸人の多くはそう呼ばれてしまう。

軽々しく、どこか蔑(さげす)みを含んだ言葉だが、本人たちにとってはそうなれるまで様々な苦悩がある。

お笑いコンビ・髭男爵もそのひとり。山田ルイ53世は「売れた時にやっと胸を張って生きていられるようになりました」と過去からの脱却ができたという。

―芸人を目指したきっかけは?

山田ルイ53世(以下、山田) 僕は関西の御三家といわれている私立の中高一貫校に通っていて、将来は学者になるのかなと思ってました。でも途中で引きこもりになって学校を辞めてしまった。その後、大検(大学入学資格検定)を取って大学に行ったけれども、大学も結局中退。優秀だった同級生と比べて、自分はなんでこうなんだろうと…。それで心機一転、上京してお笑いの養成所に入りました。

ひぐち君(以下、ひぐち) 僕は大学まで順調に行って、就職先も決まっていました。それで、入社までのちょっと余裕のある時期に東京の勝ち抜きのお笑いライブに出たら、素人なのに結構ウケて3位になっちゃってTVにも出られたんです。その時にこれは就職してる場合ではないと思って、お笑いを目指しました。そして養成所にいた男爵さんと知り合いを通じて知り合ってコンビを組んだんです。

―デビューしたのが1999年ですよね。

山田 はい。その頃はスーツを着て、正統派のお笑いを目指していたんです。

ひぐち でも、あまりうまくいかなくて。その後、シュールな感じのネタもやってみましたが、まったくウケませんでしたね。悩んでいた時に『エンタの神様』を見ていたらキャラものが流行っていたんです。2005年くらいのことです。自分たちもそういう番組に出たいと思ったけれど、そのためにはキャラが必要。そこで考え出したのが貴族スタイルでした。

だからこそ誰もやっていなかった…

山田 その時の僕らが考えたのは“絶対に誰かとかぶらないこと”。

ひぐち 理由は単純で「同じキャラはふた組もいらないだろう」ということ。先に出ているものがあるのに、後発で、しかも腕がなかったらそんなの誰の目にも留まりませんから。

山田 “かぶらない”というのはキャラの設定だけでなくて、ネタの細かいボケに関しても「それは誰かがやってる」「見たことがある」「聞いたことがある」ものはもちろん、「誰かがやってたかもしれない」くらいまで、すべて排除しました。その結果、出来上がったのが貴族スタイルなんです。

ワイングラスをカーンとぶつけるツッコミも、普通の漫才やコントの法則からするとあり得ません。テンポが悪くなりますから。でも、だからこそ誰もやっていなかった。

ひぐち でも、この貴族スタイルでライブに出たら、ドカーンとウケたんです。手応えが違います。それまではネタをやっていても、どこかでマネをしていた部分があったからなのか「ウケた」「すべった」という感覚なんですが、誰もやっていないことで評価されると、自分の武器を手に入れたという気持ちになるんです。

山田 そうして売れた時に、やっと胸を張って生きていられるようになりましたよ。その時まで僕は過去を捨てて生きていましたから。だから、売れてからやっと同級生に会えるようになったんです(笑)。まあ、そのブームも長く続かなかったんですけどね。でも、やっと作り上げたキャラなので、もう少しだけこれでやらせてほしいと思ってます。

(取材・文/村上隆保 撮影/本田雄士)