「0」と「1」では大違い。一度でも輝いた男・AMEMIYAには、そこに至るまでの工夫があったーー。
一発屋だからといって侮るなかれ。彼の人生からヒットづくりのコツを学ぶ!
―デビューは1997年ですよね。
AMEMIYA(以下、AME) そうです。高校を卒業して、「お笑い」か「バンド」か迷った時にバンドを組むメンバーはいなかったけど、お笑い芸人を目指す同級生はいたので、お笑いに進みました。
その同級生とコンビを組んだら、すぐにアイドル的な人気が出てプチブレイクしたんですよ。お笑いライブに出ればキャーキャー騒がれるし単独ライブもやりました。『爆笑オンエアバトル』や『新しい波8』などのTV番組にも出ていたんです。
―でも、その後、解散。
AME デビューして6年くらいたった頃に、お笑いをやめてバンドを組むことにしました。理由は「ネタを全部考えていた相方が笑いの中心で、僕はサポート役にすぎなかったから」。だから、もうひとつの夢だったバンドで自分の力を試してみたかった。
でも、バンド時代は大変でした。ライブをやってもお客さんが集まらない。練習でスタジオを借りるにもお金がかかる。父が小さな会社をやっていて、そこで働いていたので生活はできてたけど、正直、「お笑いをやめなきゃよかった」って後悔しました。
それで、バンドを組んで6年後に解散です。30歳を過ぎてました。その時に「俺の人生、これで終わったな。お笑いも中途半端でバンドもダメだった。でも、どうせ夢を諦めるなら最後はお笑い芸人で終わりたい」と思ってピン芸人になったんです。それが2010年の4月のこと。
冷やし中華の替え歌『捧げる歌』も企業のパーティや結婚式で評判がいい
でも、前は相方がネタを作ってたので、ひとりになるとなかなかネタが浮かばない。知り合いの芸人に相談したら「バンドやってたんだから歌ネタやれば」と言われたので、ギターを持ってカラオケに行って歌ネタ作りを始めたけど、やっぱり面白いことが浮かばない。そこで、仕方なく「暴力団関係者及び泥酔者の入店お断りします」という張り紙にメロディをつけて歌ったら、これがすごくいい感じにできた。
だから、もっとわかりやすい張り紙はないかなって探したのがだったんです。アイデアやネタって身近なところにあるもんなんですね。僕はこれまでバンドでたくさん曲を作ってきたけれど、今までで一番しっくりするものができた。ピン芸人になって2ヵ月後、初めてのネタです。
それを持って『あらびき団』のオーディションに行ったら、いきなりオンエア。それからはトントン拍子でしたね。2011年には『R-1ぐらんぷり』で準優勝もできましたし。
売れた理由は、お笑い芸人は星の数ほどいるし、バンドだって山のようにいる。でもギターで歌ネタをする人って、それに比べたら少ないんですよね。激戦区で勝負しなかったのがよかった。振り返ってみれば、6年間のバンド生活も歌唱力を上げるのに役立っていましたから…。
今の生活は、まあまあです。冷やし中華を替え歌にした『捧げる歌』で企業のパーティや結婚式に呼ばれるんですが、すごく評判がいいんです。今のメインは結婚式の営業ですね。TVにはあまり出られないけれど、結婚式には一番出てます。激戦区で勝負しなければ、まだまだ生きられます。
(取材・文/村上隆保 撮影/本田雄士)