苦節18年! おっぱい先生からワイルドに変貌を遂げてブレイクしたスギちゃんは世界進出を目指す!

2012年には、持ちネタ「ワイルドだろぉ~」で「新語・流行語大賞」の年間大賞にも輝いたスギちゃん。遅咲きの彼が一発屋芸人として花開いたのには、“臨機応変さ”があった。

―デビューしたのは1994年ですが、「ワイルドだろぉ~」でブレイクしたのがずいぶん遅くて2012年ですね。

スギちゃん(以下、スギ) そうですね。売れるまでに18年かかっていますね(笑)。

僕は小さい頃から「目立ちたい」とか「モテたい」とか、そんなことばっかり思ってました。学生の頃は大阪の「なんばグランド花月」によく行ってたんですが、ダウンタウンさんが舞台に出てくると女のコが「キャーッ」って騒ぐのを見て「ああなりたいな」と思ったんです。だから、高校を卒業して就職し、しばらくしてから養成所に入りました。同期にスピードワゴンがいるんですけど、彼らは半年もすると、すぐにお笑いライブのレギュラーになった。僕らのコンビとはレベルが違ってました。

当時の僕らは、例えば僕がパンツ一丁で不動産屋さんに入っていって「部屋探してるんですけど」って言うと、相方が「その前に服だろ」みたいなコントをやってましたね。バイトも週6日やっていたし、今思えば真剣にネタを考えていなかった。『ごっつええ感じ』でやっていた「トカゲのおっさん」をそのまま舞台でやってたりもしました。

そんな感じだったから、事務所もクビになってしまった。それで36歳の時に「俺はピン芸人で勝負して売れなかったらやめる」と相方に宣言して解散したんです。

“ちょいウケ”は失敗!

―ピン芸人になって、どうでした?

スギ 環境を変えて、自分勝手に暴走できたのがよかったんでしょうね。その時のネタに「おっぱい先生」というのがあるんですが、これですぐに地方のお笑い番組からお声がかかりました。

そのネタを3年くらい続けていたんですけど、結局、深夜番組止まりで、全国放送のゴールデン番組には出られませんでした。

僕はこれまでに「おっぱい先生」や「アイドルスギちゃん」など、いろいろなキャラクターを考えてきました。そしてちょっとウケると、それを少し変えたネタを作りがちなんです。それまでの自分の形を壊したくないから。でも、僕はそれで失敗してきた。ちょっとしかウケなかったものをちょっと変えてもダメなんです。ガラリと変えてしまわないと。

だから、セクシーなおっぱい先生からワイルドな男に変えて「ワイルドだろぉ~」と言ってみた。そうしたらライブでのウケが全然違う。他の芸人からも「あれ、面白えなあ」って言われる。そして、一気に『R-1ぐらんぷり』で準優勝です。ブレイクする時はすぐなんですね。

よく、「我慢していれば、売れる」とか「ギャグが浸透する」と言う人がいますけど、僕はそうじゃないと思っています。ダメだと思ったらすぐに変える。コンビがダメならピン芸人に。おっぱいがダメならワイルドに。

だから今、僕は日本ではなく、世界進出を考えています。知り合いのアメリカ人に「ワイルドだろぉ~」を見せたら、このギャグはアメリカでも通用するって言うんです。ただ、1.5Lのコーラを一気飲みして「ワイルドだろぉ~」って言っても、アメリカだと普通にみんな飲みきっちゃうので、そこは何かを考えないといけないんですけどね。

(取材・文/村上隆保 撮影/本田雄士)