75歳とは思えぬ若々しさの板東さん。大御所にも関わらず、気さくに熱くあれやこれやを語っていただいた!

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。

第5回のゲスト・千原ジュニアさんからご紹介いただいたのは、野球解説者・タレントの板東英二さん。長年、司会や俳優としてマルチに活躍するも近年は活動を休止、心機一転してラジオなどの出演を再開した大御所が今思うこととは? 番組収録前の控え室で話を伺った。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―というわけで、ジュニアさんから満を持して、板東さんをご指名いただきました(笑)。

板東 なんでジュニアから(笑)。

―メッセージではですね、板東さんは太陽のような方だと。周りのみんなを明るくする、良い意味でのバリアフリーみたいな人だそうです。

板東 いやー、そうでもないんですけどね(笑)。そう思われたら光栄ですね。私もお兄ちゃん(千原せいじ)はそうでもないけど(苦笑)、ジュニアのほうはなぜか好きでね。

それでいうと、僕が東名阪で仕事をよく行き来してた時期がありましてね。そしたら名古屋のね、横断歩道でえらいキレイやなと思うコを見かけて。まあ、本当にこんな男ですから、あざといというか、どうも時間からしてそのての店の女のコちゃうかなとついていったんですよ。

で、ビル上がっていったらね、名古屋でまあまあ大変なクラブなんですけど、まあ知ってる高級クラブというかね、そこのコだったんですよ。ママも知ってて。

―話の展開がいまいち読めませんが…(苦笑)。そんな、よくついていくんですか?

板東 僕ですか? そんなことないです。意外と大阪でもクラブとかは行かないんですよ。誰かに連れてってもらわないと。名古屋で遊んだこともあんまりなかってね、そういうとこで。

―それも逆に意外ですが。あまりにも有名すぎて遊べないとか?

板東 そんなことない(笑)。まあ、それでその時はね、僕ついてきたよっていったら、たまたま知ってる店で。そしたらそのコが「板東さん、ジュニアさんを知ってますか」って言って。その時はまだ彼がそんなに出てなかった頃ですよ。

で、僕もそんなには知らんぞって言っとったんだけど、紹介してほしいと。ほんで話聞いてると、広告代理店にいて夜だけバイトで店に3日出てるというような女のコで。まあ、よしよし言うて、その後ジュニアに言ったら「光栄ですね。紹介してもらわないかんなー」と。で、「結婚したいかもわからんくらいの惚れようやで」ちゅー話をしたまんま…それっきりでね。

―それはいつ頃の…だいぶ前ですか?

板東 もうだいぶ、5年6年…もっとかなー。彼が出てくるちょっと前だから。

タレントでこっちから好意を持つのもあんまりない

―実は、まさにジュニアさんからの最終的な伝言はそれでして(笑)。

板東 なんですか(笑)。

―ジュニアさんが板東さんの良いことしか言わないので、嘘臭いと疑われますよって言ったら「そういえば、名古屋の女のコ紹介するって言ったきりされてへん。それ言っといてください」って(笑)。

板東 (苦笑)…いやいや、ほんで僕もちょっと気持ちが彼にね、イイやつだから申し訳ないなってずっと思ってて。大阪なんかでもスタジオ入って、帰り際にぱっと見たらジュニアって(楽屋のボードに)書いてあるじゃないですか? そこは必ずメッセージを書いて残したりね。

―そうらしいですね。それもなんかお茶目に“せいじより好きやで”とか。

板東 そうそう。なぜかね、仕事場では意外と両方が照れてそんなにはお互い何もないんやけど。僕、タレントでそんなにイイやつだなっていう、こっちから好意を持つのもあんまりないですからね。

―そうなんですか。ジュニアさんは放っとけないというかカワイい甥っ子くらいの感じ?

板東 そうですそうです。僕はどっちかっていうと、常に自分を素人だと思ってるから。タレントとしては。だって修行したわけでもなきゃ、ただなんか妙にツツッときてね、どっかで出たら面白がられたのかしれんけど。次から次へと流れでそうなっただけで。

―つまり、タレントとか芸人の意識もあまりなく、本職の人と交われないみたいな?

板東 そう。ただ、そんな今でも自分で自信があるのは漫談なんですけどね。野球をクビになって名古屋でちょろちょろしてた頃に(笑福亭)鶴瓶にひっつこうと思って、くっつきかけたんだけど、お互いが仲いいだけで。番組でわーわー言うてるうち、今度は上岡龍太郎さんとか横山ノックさんとかがうちに泊まりに来るようになったんですよ。

それからぐっと仲良くなってね、上岡さんと。弟子やとかいろんなやつが集まって、落語家もおったりして、僕も漫才と漫談と一緒にやってたんですよ。切符売れないのに月1とか汚い小屋で。落語も(桂)枝雀師匠のテープを聴いたり一生懸命やって、それで野球漫談やったりして、そしたら演芸大賞最優秀ホープ賞かなんか獲ったんやな…。あれはビックリしました。僕が芸能界入って初めての賞金ですわ。100万円もらってね。

―なんか回想というか、そこから振り返らないとという(笑)。

板東 そう、それで大阪で認められたんかな? だから一番初めは僕がセンターで横が鶴瓶と(桂)文珍で、外回りが(明石家)さんまでしたからね。もう一気にがーっていくんです。

鶴瓶とさんま、紳助と3人は特別です

―それで人気が出て、80年代には番組の司会からゲスト回答者など引っ張りだこでしたよね。

板東 何がいいのか自分でもよくわからず。だけど一生懸命、漫談の台本書いては漫才も一生懸命やったりして。それからちょっとグーッとなってきてね。でも僕、吉本の小屋にはよーく行ってたんで、野球時代から。やっぱり漫才が好きで、落語も好きだったんです。

野球の時はね、たいして活躍してないのに正月番組を地元でTV局がやるじゃないですか? 選手を集めて正月特番とか。その時は全然活躍してないのに僕がなんかしらないけど、いろんな物まねしたり、なんやかんやしとったんですよ。それを見てた人たちがタレントとしてあれしてくれたのか…。僕も野球の裏話をね、ずっとメモってたんで、それを漫談に使ったりなんだかんだして。そういうことからこの世界へ徐々に入っていってね。

―漫談や落語への熱い思い入れが伝わるんですが…それでも結局、本職とは違うと。

板東 うん。だからジュニアと本当にしっかりと番組をやったっちゅー覚えもないからね。松本(人志)君がいて、ジュニアがおったりして、そこにゲストみたいにして出たりすることはありますけどね。

―にもかかわらず、カワイいというか、珍しくウマが合う存在ということですかね。

板東 そうですね。非常になんていうのかスターぶらないし素朴なところもあってね、印象的にかもしらんけど。それがいいんだろうね。ジュニアが言ってることと僕が言ってること、芸能界にしては珍しく本当のことを両方が言ってるような気がしますよ。

―ほう、調子よく喋らないみたいな?

板東 なんかこう、一瞬でポッとカメラ抜かれた時に不機嫌そうな顔になってたりするじゃないですか? うわーっと笑ってるとこあんまり見ないというか。あと、お兄ちゃんのほうは前へ前へ出て行くけど、彼はそういうとこも感じないというね。

―そういうコのほうが気になる?

板東 そうそう、好きっちゅーかね。それと彼の偉いのはね、苦労話がないじゃないですか。それが好きですね、僕は。前に出さない。なぜ言わないのかはよくわからないけど。

―ほんと板東さんだったら交流関係もお広いでしょうし、いろんな方とおつきあいされてるでしょうが、そこまでジュニアさんが特別とは。

板東 他はないです。僕結構、人の好き嫌いはあるほうで。お笑いで鶴瓶とさんまとは特別で、あとは(島田)紳助と、3人は特別ですね。だから紳助にはおそらく僕も大きな責任があると思うんだけど。僕が自分のことでいろいろあって、紳助をなんとかしなきゃいけないっていうのは思ってますけどね。

まあどういう風に皆さんが考えてるか知らないけど。人間のすることだから、おおかた彼も60だけど、60年生きとったら大抵何かありますよ。

エラーで負けたって敗戦投手は板東英二です

―いきなりそこに話がいきましたが、板東さん的に思うところがやっぱりすごくあるわけですね…。社会的に叩かれて、世間の不寛容というか、そのイメージのまま晒(さら)される風潮が強くなっていますし。

板東 この頃、特にメディアっていうのはそういう点では非常に競ってあら探しに走るというか。貝山さんにぶっちゃけ言うわけじゃないけど、お互いに利用さしてもらう代わりに利益があって取り上げるんでね。そうすると後1歩のとこはお互いがやっぱり干渉しないというとこがあってくれるといいのになと。

―仕事上、ここからここまでは突っ込むけど、そこから先は道義上、そっと触れないでおくというのはありますよね。

板東 この頃、こう言っちゃなんだけどTVもちょっとつまってるじゃないですか? ネタ的にもつまってるし、そういうのもあるのかなと。活字の媒体も特に新聞なんかは低調というかね。今、全部みんなインターネットで調べたら即じゃないですか? そこからすると我々の時代、昔の僕らはいい時代だったんでしょうね。これからのタレントさんっていうのは一瞬はパア~っと出ても、そこからどうなんかなと。

―何につけ消費され尽くして、その食い尽くされるスピードも加速してるのは確かですよね。

板東 僕で何年かな。野球が30でクビになったとしても、おおかた45年だから半世紀やってるわけですよ、僕。

―王(貞治)さんと同期だっていうお話で改めて思いますけど、まさか板東さんが70代半ばのお歳っていうイメージが全然ないですよね。

板東 アホちゃうかなと思うけど、この前もマルタ島で歩いたんですけどね、一応20㌔以上平気で歩いてるし。今さらながら、よくぞこんな体力あったなぁと。

―そのタフさ加減はそれこそ甲子園での高校野球時代から培われたんでしょうけど。

板東 いやいや(笑)。やっぱり根があれかな、負けず嫌いは負けず嫌いなんですけど。それでもちょっと倒れたやつを蹴るってことはまずないんで、僕。倒れかかったら助けるとか、逆に助けてもらった人も随分いますし。当然のことやなあと思うけど、だからそこがひょっとすると僕が長持ちしてるとこかもしれませんね。

―なんかまた深い意味がありそうな。もちろん自分も抱えたり抱えられたりなんでしょうけど、常にそういう気の張る世界にいたからこそ、これまで続いたというのも?

板東 そうですね。それでやっぱり緩んでちょっと今度叩かれたんですけども。僕は別に悪いことしたと思ってないし。ネタ的に面白かったんでしょうから、それもまたしょうがないですよ。野球と一緒で何があるかわからんし。だって、エラーで負けたって敗戦投手は板東英二ですからね。それと一緒です。

だから非常に野球っちゅうものから運不運っていうのを教わったけど、努力したり頑張ったもんの見返りっちゅうのが自分で思ったほどはないんですよ、野球は。ところがこの世界はね、別に甘く見てるわけじゃないんだけど、映画でもドラマでもそうで、録画というかリハーサルもあれば練習試合みたいなものがあるじゃないですか? 野球はテイクワンですけど、テイク2テイク3ずっとありますからね。

僕が得なのは人が良さそうに見える、腹黒くても

―それぞれに人生そのものな感じではありますが。

板東 そういうことからすると、まぁやっぱり野球しとってよかったなぁと思うし。こっちの世界へ来て余計に良かったっていうのは、野球って他の選手の倍やったからって倍の成績もいかないでしょう。3倍以上やって大抵2軍ですわ。努力の甲斐がないというか。報われる人は持って生まれた身体と運の強さというのがなければね、あの世界は。

こっちはね、模倣からでもいけるんですよ。甘く見てるわけじゃないけど、今でもそう思うしね。その代わり、消えるのも早いですよ。でも失敗したからって単なる終わりではないとこやからね、この世界は。

―そういえば、年末の秋季キャンプで楽天のデーブ大久保監督の取材をさせていただいて。デーブ監督もだいぶ叩かれ続けて、監督就任に関していろいろ忸怩(じくじ)たる思いとか、なんでこんなにレッテル貼られ続けるんだろうということで吐露していただきました。「犯罪者扱いもされたけど、失敗を繰り返さず悔いなくやるだけ」と。

板東 大久保はね、あれもやっぱりそうやけど。やっぱり運ですね、最後は。星野(仙一)と会わなきゃ絶対やつは監督になれてないですよ。星野は僕も仲いいんだけども、彼もここ一番でね、ずいぶん苦労したことがたくさんあるんです。表に出してないけど。それだけにイイ人間を見つけるのはうまい。

―苦労してきた分、人の痛みもわかって見る目も持っていると。当然良いことばかりじゃなく、周りに足引っ張られたり紆余曲折(うよきょくせつ)あったんでしょうけど。

板東 僕らはおかげさんで陰の部分も知ってるんだけども(笑)、だからそういう点ではあっちの世界もこっちも人の好き嫌いっていうのはありますよ。僕のね、一番の欠点はふとした時にそれが顔に出るんですよ。それがTVは怖いです。ラジオだったら絶対そんなことないですけどね。言葉でちょっと滑っても、聞いてる側は意外とすーっとそのまんまで。TVっていうのは視覚と聴覚で、非常に怖いですね。

まぁそれでも僕の場合、良かったのはジュニアなんかもぱっと顔だけ見るととっつきにくい顔してるじゃないですか? 僕が得なのは、ものすごい人が良さそうに見えるんですよ、腹黒くても(笑)。(マネージャーに)なあ?(笑)

―確かに人が良さそうなイメージで浸透してますけど(笑)。

板東 別に嘘を言うわけじゃないけど、今になってみたら僕、好々爺(こうこうや)のように思ってるからね。ほんで多少の毒吐いても、まあええか、このオッサンが言うんならというね、周りも。

―辛辣(しんらつ)なことを言っても笑って受け入れられるということでは、毒蝮三太夫(どくまむしさんだゆう)か板東さんか、みたいな(笑)。おばあちゃん相手にラジオでいろんな話をされてる(『板東英二のおばあちゃんと話そう』MBSラジオ)のもそうですしね。

板東 なんで知っとんの? ご存じなの? あれ、今また復活したんですけどね。申し込み葉書がそれはもう多くて。それで話飛ぶけど、この前びっくりしたのは、おばあちゃんのコーナーで出てきた方がね、今、自分がおばあちゃんなんですけど、前の時に出たその人のおばあちゃんも生きてるんですよ。だからあれは僕の人生のもうヒット番組だと思う。

―すいません、ここで番組収録も迫ってるようですが…お話が盛り上がってるところなのでギリギリまでお時間いただき、続きは後編に送らせていただきます!

●この後編は次週、7月19日(日)12時に配信予定!

板東英二1940年生まれ、徳島県出身。56年、徳島県立徳島商業高等学校へ入学。58年、夏の甲子園第40回記念大会に出場し準優勝投手に選ばれる。大会奪三振83個記録は現在も抜かれていない。59年、中日ドラゴンズに入団し、通算成績77勝65敗。引退後は中部日本放送の野球解説者やサンケイスポーツ新聞の野球評論家としても活躍。84年には『金曜日の妻たちへII 』でドラマ初出演し俳優デビュー、人気を博すと89年には映画『あ・うん』にて日刊スポーツ映画大賞助演男優賞、ブルーリボン最優秀助演男優賞、第13回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。バラエティの司会や回答者としても多くの番組に出演。現在はMBSラジオの人気番組『板東英二のおばあちゃんと話そう』、『MBSベースボールパーク』のゲスト解説者などで活躍。『板東英二の生前葬』(双葉社)発売中!

(撮影/塔下智士)