仲間の芸人の話から亡くなった高倉健さんの思い出まで著書『生前葬』に至る思いを熱く語る板東さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回の千原ジュニアさんからご紹介いただいた第6回ゲストは、野球解説者・タレントの板東英二さん。長年、マルチに活躍するも近年は活動を休止、心機一転してラジオなどの出演を再開した大御所が過去を振り返りつつ今、伝えたい思いとは…。復活したメイン番組の話で盛り上がる後編はさらに饒舌(じょうぜつ)に!?(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―80年代にやられていたのが『それゆけ金曜!! 板東英二』というラジオ番組で。その人気コーナーだった「おばあちゃんと喋ろう」が今に繋がり『板東英二のおばあちゃんと話そう』(MBSラジオ)としてカムバック…。

板東 あれもね、金妻(84年にドラマ初出演した『金曜日の妻たちへⅡ』)の時に偶然だったんですよ。ラジオ2時間の帯番組をやってて、週3日はドラマ撮影のためにまとめて録音しなきゃいけなくなって。そりゃね、4時間ったらネタがないんです。で、ちょっと偶然、葉書を見たら「この頃、あんた偉そうにしてるなー」って葉書がきてたんですよね。

それで、このおばあちゃん生意気な、まあ面白い人やなって思って電話番号書いてあったから電話して。もう、ネタがない時に助かってねー。延々、僕にお説教するんですよ。人間はちょっと偉なったらあかんようなるけど、あんたは特にそうやと。偉そうに言うて、大していいタレントでもない、野球選手でもない…と延々。で、そのうちに「ちょっと私、教会いかないかんから」って電話切りよったんです、勝手に(笑)。

それで、ワケわからんからってまた電話したら「あんた、私の用事を邪魔するんか」っていってね、また切られて。それで次の週にまた電話してって…なかなか面白かったんですよね。それからですよ、そのお婆ちゃんみたいな人で電話番号書いてある60代とか年寄りにずっと電話しとったんです。僕もあざといからね、田舎でおばあちゃんがおる人だったら、そこへ電話したらいいからって。それがものすごい応募が多くて。

―では最初は番組企画としてじゃなくゲリラ的なライブ感覚で?

板東 偶然です。ネタがなくてねぇ。そしたら山陰だとか九州、沖縄とかのおばあちゃんまでね、関西に就職してる孫とかがみんな応募してきて。そして電話したら、もしもし?とか、誰?とか言うから「俺や俺って、わからんの?」って。それだけで信用してくるんですよ、名前も聞かないで。

―その頃すでに「オレオレ詐欺」の原型を(笑)。ていうか、それを真似たやつが発展させたのかも。

板東 そうそう、だからね、星野が阪神で優勝した時ね、優勝パレードを御堂筋でやるという時に、うちの事務所が全部主催して責任持って許可を取らなきゃってなって。

―またまた話が飛びますが(苦笑)、そんなことまでされてたんですか!? 2003年ですよね。

板東 だって、放送局が受けなかったからね。で、大阪府警に呼び出されて怒られたり、いろいろありましたけど、結局パレードやれたんですよ。その時、府警に呼ばれてお願いしますって言いに行ったんだけど、交通課でそこの部長に「ところで板東君、オレオレ詐欺の元凶はあんただよ」って言われて。あのラジオの「俺や俺、何いうてるのやおばあちゃん」がオレオレになったって(笑)。

―話が繋がりました(苦笑)。

板東 それでね、あの頃は電話したら田舎からモノばっかりもらうじゃないですか。どんどん送ってくるんですよ。

生放送でテレフォンセ○クス?

―最初に誰かがやったら、どんどん慣例化して?

板東 一番面白かったのは、岡山のおばあちゃんが牛2頭送ってきたからね。おじいちゃんと喧嘩して「私、イヤやから、あんたにあげるわ」いうて送ってきた。それと鶏300羽。ほんなら中国道の真夏の今頃ですわ、暑い時に鶏が放送局へ着いたんですよ。全部ヘタってたからね…いらんっちゅーねん(苦笑)。

それをスタジオに全部入れて。水撒いたら、まー、すぐ元気になるわ。それで生放送しながらカッカッカッカッカって鳴いてるのバックに放送したんですよ。「鶏欲しい方、今から千里の毎日放送まで来てください」って募集して。

―来させた、というかそれで来たんですか!?

板東 小学校が6校かな? 生徒さんらが飼うっちゅうて、5羽づつ持っていかして。後は全部鶏屋さんに引き取ってもらって(笑)。300だから知れてますわ。送り返すわけにもいかんからね。牛は送り返したんだけど。

―牛は送り返したんですか!

板東 送り返した。そんな飼いようがないやん。あと、野菜なんて何台トラックがきたか。野菜やさんにぜーんぶ持っていってもらいましたけどね。今頃だったらどこやろな…。一番旬のところのおばあちゃんに電話するんですよ。冬場は完全に山陰。ほんなら、たらば(蟹)とかね、送ってきて。

―それがだいぶ伝説になってるわけですね。ネットに書いてあるそのての逸話って嘘臭いことや都市伝説みたいなものが多いですけど。これは基本ガチで。

板東 自由だったんだよねー。すごい時代。あと大ヒットしたのは、その時まぁ今の吉本の今田(耕司)とか東野(幸治)とかが、たぶん番組に上がるか上がらんかくらいですわ。アルバイトしながら聞いとったっていうのが、テレフォンセ○クスを生放送でやってたもの(笑)。僕が初めてちゃうかな?

―それもワケわかりませんが…(苦笑)。

板東 何やってもええ言うんだもん、ABC(朝日放送)が。夜、麻雀しとったらディレクターみたいな人が、なんかうちも出てくれんかなって言うから、いやいや、もう他であかんって蹴られた企画はあるんだけど、って。僕そういうのも考えててね。ほんならそれ持ってきてっていうから持ってったら、やるやるちゅうて。何やってもいいから僕が責任持つからと。

それがテレフォンセ○クスですよ。僕が企画したんだけど、これだけはヤバかった(笑)。毎日放送はようやらんかったからね。

―ほんと自由すぎというか、今はなき昭和な話ですね(笑)。その傍ら、きちんと野球解説の仕事もやられていたかと思うと、これまた大らかというか。

板東 僕ね、野球の解説でいうと予想することが好きなんですよ、どちらかといったら。それで試合前なんか、サウナも好きでね、サウナにおるんですけど。そしたら昔、今日は先発が誰それとか話しかけてくるのがいてね。こいつはまぁエラいよう知っとるなーと思いながら、それで何回か会ってるうちに大体わかりました、これはハンデ師やなっていうのが。これで自分がやって、当たったら最高と思ったけどねえ。タレントとしてもやっぱり倫理的に多少ダメやろうなと。

甲子園の観客総立ちで大「謝れ」コール

―それ野球賭博ですよね!? きわどすぎです!

板東 ね、きわどいわなぁ。でも解説でもね、そういう予想が僕は楽しいんですよ。野球人生で千試合やそこらは自分出てるの含めて、全部観たのはそのくらいになるかもしれないけど。それを元にね。…で、ある試合で実況アナウンサーに「今あなた、なんとも思ってないでしょう?」と。見とってください、これ(阿倍)慎之介がホームラン打ちますから。こっから大逆転が始まるからとね。言うたら本当にスカーッとホームランですわ。

あと、僕くらいだろうなあ。オンエア中にうちの孫に電話して、どうも雲行きが怪しいから、これ中途で大雨になって中止になるでと。5回までリードしたほうが勝ちやからとね。周りは、予報で聞いたらまだ大丈夫ですから試合は進みますとか言ってたんですけど。ほんなら途中で大雨でゲームは終わりですよ。ほんとにそれや。

―それは自慢なんでしょうか(笑)。そんな調子で別の伝説もありますよね。大量得点差で「今日はこの試合見ててもしゃーないから帰りますわー」ってエピソードも有名では?

板東 あった。もうこれは大失態ですけどね。9対2かな? で、阪神が負けてるんですよ。また最下位で弱い時に。アナウンサーが「さぁ、いよいよ阪神の攻勢が!」ってね、必死にこっからがいよいよ野球の醍醐味(だいごみ)ですと。さぁも何も…こんなもん俺がスタジオで話をしながらレコードかけたほうがよっぽど面白いから帰らしてもらいます、言うたんですよ。この点差でそんな要(い)らん嘘つくなと。

ほしたらね、7回きて、さぁいよいよ、あと2回、大反撃のタイガースが…とか言うたら、エラーとかなんとかで2点くらい入ったんですよ。9対4、あと5点です!とか。ええかげんにせーよ、おまえは!とか言うてるうちにね、僕も先月の名古屋の試合で一挙8点取ったことがあったの思い出して。けど、そりゃ昭和11年のプロ野球創設から何万試合もあれば、そんなこともあるわいと。ほしたら本当に8点取って逆転しよるんですよ、そっから。

最下位で閑散としてる甲子園が、カメラマンやら記者もええ加減な感じで、みんなが俺の放送聞いとったのね。席で一緒に拍手しとったんですよ、さっさと終われ~とか。そしたら本当に逆転して、8回に。突然ですよ、スタンドが総立ちになって「あーーやまれ!  あーやまれ!」コールがね。謝れコールが何かわからんもんだから主審がタイム取って、甲子園どないしたんや?と。こっち向いとるわけです。僕しょうがない、試合やってもらわないかんから、マイク持って「誠に申し訳ございません!」って。

―一気に喋っていただきましたが(笑)、だいぶスゴいですね、そのエピソードも。

板東 まぁ、それも板東英二の解説の面白さって賞賛されたりもしましたけど(笑)。

―そんなエピソードを伺って、板東さん、ますます自由な方だなーと。

板東 いやいや、そんなことない。で、ついでに話しますけど、紳助ともね、野球の解説で有名なコンビになるんですよ。ふたりでぐちゃぐちゃやったけどね。それもそもそもは上岡さんから「こいつに付いとったら絶対、板ちゃんええ勉強になるよ」って。

僕の方が歳は上ですけど、上岡さんは師匠やから、それで紳助をかわいがっとけと。で、吉本の得意技ですけどお金くれへんから、すまんけど一緒になんかやったら5万くらいやったってくれって言われてね。ふたりで漫談とかやって。…だから、その借りを板東さんに返すまで俺は死なんって紳助はずっと言うとる。

葬儀委員長?島田紳助さんとの約束

―とうに返しててもいいような気がしますが(苦笑)。お金の問題じゃなく、一生返しきれない恩を感じているのかもしれませんね。

板東 その前に葬儀委員長やるとは言うとんやけどね(笑)。僕もあいつには迷惑かけっぱなしだけど、かわいがってたんで。恩を返したければ、おまえ出てこなあかんぞ、と。そんでMCやってくれて、俺をね、最後引き立ててくれて。とりあえず(出身地である徳島の)鳴門金時という、サツマイモが美味しいんでね、それを袋に入れて抱っこするように一緒に燃やしてやると。ふ~っとサツマイモの匂いがして、あぁ板東死んだってわかるようにしたろっちゅうて。あいつとそういう約束やから、それは守らんとね。

―いいお話ですねぇ。ちなみに連絡のやりとりはずっとされてるんですか?

板東 うん。だって上岡さんからずっと一緒に行けって言われてんのやから、師匠からね。あいつもそんな不義理なやつとはちゃう。確かにいろんな事情があるんだろうけど、だからといって一度結んだっちゅうか、そうやって結ばれた仲での紐は自然に切れたり腐ったり、そんなことは絶対ないです。そこが彼のスゴいところやし。

―なるほど。それこそ、さんまさんなんかも板東さんがしばらくブランクあった時、随分支えてくれたそうですが。

板東 さんまちゃんもずっとね、鶴瓶とかもやし。これで紳助が元気で早く出てきてくれたらと思うんだけど。なかなかそういうわけにもいかないだろうし。

いやでも、貝山さんね、そんなんでジュニアなんかも僕は見守っとるほうやけど、今日はビックリしましたよ。なんで俺を思い出して紹介してきたのかわからんですわ。久々に嬉しかったな。どっかでメール打てるだろうから送っておきます。

―僕自身も、まさか板東さんとこういうお話をさせていただく機会があるとは。それがこの『語っていいとも!』の醍醐味なんですけども。

板東 それ言ったら、よう繋いでくれたわ、ねぇ。僕ごめんなさい、この取材ちょっと甘く見てたんですよ。こない物事が元に戻って話できるとはよもや思わなかった。

―そう言っていただければ(笑)。まぁ、いろいろ大変だった時期を経て、板東さんも復帰されて。先日、『生前葬』なんていう物騒なタイトルの本も出されましたけど、何か人生振り返って思うところがあるのかなとも…。

板東 別に、生前葬っていうのはお世話になった人たちに生きてるうちにお礼が言えるようにってだけなんですけどね。まぁ、これも劇的だったなー。これね、長嶋(茂雄)さんが解雇されるんですよね、巨人を(79年の電撃解任)。出版社に行って、それをメインに書きたいって話しにいったら、板東さんらしくそんなに感動的に書く必要ないよって言われて。

どういう話かというと、長嶋さんと(知り合った)27年間で1回だけ聞いてくださいって言われたことがあって。その解雇されるね、記事が翌日の新聞に載った日、帰ったら速達が届いたと、家に。“茂(しげ)、辛いだろう。我慢しろ、きっと良いことがあるから”って。それが高倉健さんからで、それが今でも宝物で家に置いてあるってお話聞いたから、うわーやっぱり辛い時に、健さんらしいと。

それで僕も健さんにいろいろお世話になったから、そのことも本に書いて、健さんの事務所に行ったんですよ。こういうことで書かせてもらいますと。ほんで、知ってる女性のスタッフが「板東さん元気なんだー、静かにしてたからどうしてるのかと思ってました」と。彼女に、じゃあ健さんにお手紙を渡しといてくださいって渡したんだけど、あの方はいつも必ず翌々日には返事が届くんですよ。郵便局が一緒なんで、すぐ速達で。電報みたいに。

―健さんの手紙のエピソードはいろんな形でいろんな方との話を聞きますよね。

板東 それが届かなくて。やっぱり嫌われたんかなーってものすごく胸が痛んだんですよ。それで4日、5日経って、また出版社行って、そっからトンカツ屋かな、汚い店におったらニュースが流れたんですよ。亡くなったっていうニュースが。事務所行ったらもう記者団がおるのもイヤだと思ってね。またとやかく言われてもと、すぐ帰って電話したけど通じなかったですね。果たして手紙届いたのが生前だったのか、今も不明です。

次回お友達は世界殿堂入りした元世界チャンプの…

―また運命的なエピソードというか…。健さんとも共演されて親しくおつきあいして。そんなタイミングもあって尚更、生前葬ってタイトルで遺(のこ)さないかんという使命感が?

板東 そうです、使命感みたいな。それでまた書き直したらなぁ、僕パソコンができないからペンだこが…これですからね。

―ほんとだ…失礼ながら、ご自分でちゃんと書かれるってのは本当だったと(笑)。

板東 自分で書いて自分の字が読めん時があるけどね(笑)。僕、スポーツ新聞のコラムでも記者より早いって有名だったんですよ。大体、試合の途中で書き上がってるからね。新聞記者がよー怒られてましたわ。さっさとせえ、板東さんの方が早いわって。

―いや、『生前葬』にそんな思いがいろいろ詰まっていたとは…。

板東 だから芸能界もそうですし、野球もそうだし、いろんな人の思い出を綴(つづ)って。まだたくさんあるわ、あそこに載りきらんかったやつ。僕、本当に75ですからね。昔やったら数えで77になるからね。それはもうお礼というか、最後の使命というか…。

だけど、それでまたこういう風にね、今日でもこうやって僕を取り上げてくれるだけで、こんだけ言わしてもろたら、もうスキッとした。ありがたいことでね、うん。

―いやいや、こちらこそ本当にありがたいです。では最後にお友達をご紹介いただきたいんですけど。スゴい交友関係の中でどなたを…。

板東 具志堅(用高)にいっといてどうですか? ロケとかでね、よく一緒になって。僕、大好きで彼が。何をするのでも一生懸命なのはほんまにスゴい。僕らとは違いますよ。ボクシングであんだけ連続して世界チャンピオン防衛してね、野球でちょっと投げてたっていう僕なんかとは違います。

―同じスポーツ的な繋がりもあって、共感できる部分も多いでしょうかね。

板東 尊敬するのはね、偉そうに言わない。チャンプやのに、それでも偉そうに言わない。僕らプロ野球でちょっと投げたくらいで偉そうに言うてね。ほんま、罰当たりますよ。

―ジムの会長やられて、TVなどタレント活動も多忙でしょうけども。

板東 それは具志堅なら受けてくれると思う。彼はイイやつやから。星野(仙一)はこの前、連絡取ってんけど、今度またなって言うだけで、またってどんなやって思いますけどね(苦笑)。

―では具志堅さんに何かお伝えするメッセージは?

板東 僕が言うのも失礼だけど、彼はね、実は賢いんですよ。そんで今度、ふたりで漫才をやろうと。ふたりで稽古してね。なんぼでも練習するのは平気やろうから。それが俺の最後の仕事かもしらんって言うといてください。

―わかりました。具志堅さんに次回繋いでいただければと。今日はありがとうございます!

板東 いやいや、こちらこそすいません、一方的に喋って。いや、ほんまよかったです!

●第6回は7月19日(日)配信予定! ゲストは元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高さんです。

●板東英二1940年生まれ、徳島県出身。56年、徳島県立徳島商業高等学校へ入学。58年、夏の甲子園第40回記念大会に出場し準優勝投手に選ばれる。大会奪三振83個記録は現在も抜かれていない。59年、中日ドラゴンズに入団し、通算成績77勝65敗。引退後は中部日本放送の野球解説者やサンケイスポーツ新聞の野球評論家としても活躍。84年には『金曜日の妻たちへII 』でドラマ初出演し俳優デビュー、人気を博すと89年には映画『あ・うん』にて日刊スポーツ映画大賞助演男優賞、ブルーリボン最優秀助演男優賞、第13回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。バラエティの司会や回答者としても多くの番組に出演。現在はMBSラジオの人気番組『板東英二のおばあちゃんと話そう』、『MBSベースボールパーク』のゲスト解説者などで活躍。『板東英二の生前葬』(双葉社)発売中!

(撮影/塔下智士)