世界殿堂入りも果たし名実とも伝説のチャンピオンとなっても、本人は変わらず青春真っ只中の具志堅さん 世界殿堂入りも果たし名実とも伝説のチャンピオンとなっても、本人は変わらず青春真っ只中の具志堅さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回の板東英二さんからご紹介いただいた第7回ゲストは、元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高さん。

世界殿堂入りの式典から戻られてすぐにジムでお話を伺うと、疲れも見せずにイメージ通りの朴訥(ぼくとつ)とした喋りで応対。自分はタレントじゃないと語った後編は…。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―あははは。蛭子(能収・えびすよしかず)さんがライバルなんですか(笑)。それは最後にまたお友だち紹介でお話を伺いたいんですけど。プライベートなんかでも食事したり、遊んだりっていうのはあるんですか?

具志堅 いや、まだ行ってはいないんだけど。蛭子さんも私生活はしっかりしてると思うんだよね。普段はさっさと家に帰るんでしょう。で、時間があったら競艇場に行くっていう、そんな感じでしょ? 俺も時間あったらゴルフ場行ってるもんね、ひとりでも。

―あ、そうですか。じゃあプライベートで一緒につるんでとかはなく?

具志堅 だから今度一緒に競艇場行きましょうって言ってはあるんだけどさ。俺も好きだから。競艇やっとったからね、自分でレースを。引退したら競艇のレーサーになれないかなっつって。

―ありましたよね、そういうお話も。

具志堅 競艇学校も行ったもん。横山やすしさんともレースしとったし、アマチュアのですけど。

―それまた横山さんとの思い出があるっていうのは、何ものにも替えられない宝物ですね。

具志堅 いやー、ビックリしたよ、やっぱり。やっとったら、ガーッと現れてくるんだもん。アマチュアのレースに(笑)。全然お笑いの感じとね、また全然違くて、やっぱり競艇で勝負するんだっていう意気込みでくるもんで。

―勝負人の顔なんですか?

具志堅 そうそうそう。勝てるわけないよね。そういう経験もさせてもらったよ。

―自分がボクシングで勝負人の顔した目になってるのと同類なものを感じました?

具志堅 そうそうそう! キャリアとかね、やっぱり経験とかね、そういうのを考えたらやっぱり勝てるわけないでしょう。

―なんか会話されたりは? おう、具志堅ちゃんかい、みたいな…。

具志堅 いやいや、私がね、先輩よろしくお願いしますと。そんなやっぱり長く話する場所じゃなかったしね。パッとレースして、パッと帰るもん。

―迂闊(うかつ)に話ができないオーラもあったり?

具志堅 うん。頑張れよって言われただけですよ。俺も「まだ素人ですけど、ひとつよろしくお願いしますー」って。

―勝負師だからこそ、お互いになんかわかる世界なんですかね。それでいうと、板東さんとも元プロ野球選手との共感できる部分が?

具志堅 やっぱり好きなんだよね、お互い。スポーツの心を持ってるからかな。なんかわかるんですよね、うん。まぁ、なんとなく空気が、なんか雰囲気があるんです。だから板東さんもこの人はいい、この人は悪いっていうのは見てると思うんですよ。

本当に簡単だね、金を使うのは…

―板東さん自身も結構、人の好き嫌いはあるっておっしゃってました。

具志堅 それ、大変だと思いますよ。俺もね、人を見て、なんとなくわかりますよね。やっぱり人生いろんな経験っていうか体験もしてるとは思うんだけど。我々でもやっぱりお金貸したらもう返ってこないっていうか、そういうことも経験しちゃってるし。なんか上手い話がこういうもんだろうなっていうのもわかってきてるし。

―じゃあ例えば、お金とは?って聞かれたら、具志堅さんにとっては?

具志堅 まあ、大切さっていうかな。お金っていうのはやっぱり大切ですよね。

―でも使い方ですか? 

具志堅 そうだね、それはまず考えるべきですね。だけど、俺なんかはまだそんなにね、あんまり考えないけどね、あったらあったで使うよね、楽しく。簡単だね、金を使うのは、本当にあればあるほど(笑)。

―ゴルフと後はなんですかね。趣味は他には?

具志堅 まあ、たまになんだけど、やっぱり飲みに出ますからね、食事に。そういう時はぼーんと消えちゃうよ、すぐ。

―当然、会長の立場としては人を連れて行くのでも必要なんでしょうし。

具志堅 そう、だから店出ると一気に10万くらいなくなっちゃうよ。楽しく遊ぼうと思ったら、本当にもう早いよ、お金使うのは(笑)。あと服とかファッションとかさ、買い物は好きになっちゃって。値段関係なしに買っちゃうもんなあ、買おうって気持ちになっちゃうもんね。

―そういうのも昭和っぽいというか、ストレス発散でもパーっとやっちゃって宵越しの金は持たない的な…。

具志堅 まだ青春なんだよ、俺は。

―お~っ! まだ青春ですか。

具志堅 そりゃそうですよ。時間があればあるほど楽しくしたいし。お金があれば、なんでも使いたいですよ。

―おしゃれするのも青春と。貯金とかじゃなく、そういう夢とか生き甲斐にお金を使っちゃうっていうのもポリシーですかね。ケチっぽいのは性分に合わないみたいな。

具志堅 そうですね。

―ちなみにお酒はお好きなんですか?

具志堅 いや、そんな量飲まないけど、飲む機会があったら飲むよね。普段、基本的な日常の生活はスケジュールで飲む飲まないは決めちゃってるの。ロケとか撮影の前の日はお酒はもう残らないように。絶対100%切り替えてるかな。

―それもストイックですね。いまだにトレーニングなんかで鍛えたりは?

具志堅 いや、ジムではそんなに激しく動かないけど、朝散歩したりね、わんちゃんと一緒に。

燃える時は集中してるよ。1日中はいやだけどさ

―なんか体型とかも基本的にはあまり変わられてないですよね、昔と。

具志堅 何キロぐらいかなー、4、5キロかな、増えて。だから服はそんなに変わらないんだよね。10年ぐらい前のズボンはウエストがちょっと大きくなったりしてるけどね。

―じゃあ、散歩とかゴルフやられたりして、自然と保ってる感じ?

具志堅 だからもう流れでいってるだけですね。で、食事はしっかり取るんですよね、3食。だけどね、睡眠を取ってないんですよね、僕。3、4時間くらいしか寝れないんだよね、毎日。

―それは短い! 昔からですか?

具志堅 そう。それで昼間、少し休みたくなっちゃうんだよね。あれ最高だね(笑)。

―シエスタですね(笑)。

具志堅 ロケ中はもうロケバスで寝るか、新幹線、飛行機でも寝る。そういうので時間あれば一番いいんですよ。

―最近、昼寝が健康にいいって推奨されてますが。睡眠時間少なくて平気なのは、著名な経営者や文化人でも多いようです。

具志堅 自分ではわからねいよね。もうちょっと寝たいなとは思うんだけど。12時、1時に寝ても4時、5時には目が覚めて散歩に行くもんね。まあ、何か考えてるんですよ。たぶんね、集中して、何かやってるということでしょうね。

―やっぱり常に何か青春的に昂揚(こうよう)してるんですかね。

具志堅 うん、やっぱり燃える時は集中してやってるよね。そりゃまぁ1日中はしたくはないけどさ(笑)。3時間ぐらいでいいよ。だけど6、7時間やってる時もあるしね、ロケの時なんかは。

―仕事でも毎日が新鮮で充実して過ごせてると。たまにほっとひと息ついて、ゆっくりしたいとかもなく?

具志堅 石垣島で少しゆっくりしたかなー。ゆっくりしたっていうか、今もさっき帰ってきたばっかりですよ、石垣から。

―えっ、殿堂入りから戻られて、そうなんですか。

具志堅 そうそう、石垣の中学時代の同窓会あってね。それはもう去年、話があって、今年は60歳の還暦みんな集まってお祝いしようっていうのでスケジュールを押さえとったんですよ。

12月に殿堂入りの話がぽーんとあって、ちょうどタイミングよくあっち飛んで。帰ってきたらすぐもう石垣島に。1日で終わるのもあれだからって、3日間のイベントが同窓会で。

―3日にわたって!? それも具志堅さん来ないとやっぱり始まらないみたいな…。

具志堅 そうそう。でも2日しか参加できなくて。土曜日は昼間ボウリング大会と夜は日航ホテルでパーティー、150人くらい集まってすごかったよ。そのついでにタイミングよく、私の銅像が港に建っとるもんで、役場がその脇に国際殿堂入りのプロフィールとかファイティングポーズの写真をまた別に作ってね。今日の午前中に初めて見たけど、なんかすごいお金かけてんなーと思ってさ、俺に(笑)。

一流になりたいのか、二流か三流でいいのか

―いやいや、沖縄が生んだ英雄ですし。“世界のカンムリワシ”ですから(笑)。

具志堅 だって半端じゃないんですよ、あれ。本当にあの銅像とね、あんなにお金かけていいのかなって。それを午前中に終わらせて帰ってきたんですよ。

―そんなお忙しい時にお時間いただいて、ありがとうございます!

具志堅 いやいやいや!

―でもじゃあ、同窓会が決まった時はまだ殿堂入りもわかってなくて。すごいタイミングでドンピシャでしたね。なんか巡り合わせがうまいこと回るように人生が…自分って幸せだな~みたいなの実感されます?

具志堅 そうだね、なんか怖いぐらいに。…でも人生、人間いろいろ考え方も違うと思うんだけど、田舎にいる同級生も大変だなって思って。どういうのでみんな楽しんでるのかわからないけどさ、島で。毎日毎日、楽しみが俺なんかとは違うと思うんだけど、60になって喜んでる人もいるしね。でも自分が還暦だっていう喜びがないんだよな、俺には。

―そういう年齢感じさせるようなものを受け入れたくない感じ?

具志堅 うん。まだ青春って、さっきも言ったけど、全然その感じだから。今10代、20代のコと一緒に仕事もしてるしね。次のやっぱり70の時とか米寿とかね、それでようやく「あぁもうここまできたか」って喜びはあるかもしれんけどね。

―70と米寿もだいぶ違いますが(笑)。確かに僕も具志堅さんとひと回り違って48歳なんですけど、やっぱりこういう仕事やって、いろんな方にお会いして、若い人ともお話しなきゃいけなくて。歳取って老けこんでいられないみたいなのはあるんですよね。

具志堅 だから、島でもね、みんな頑張ってるなっていうのは感じたですよ。だけど、そんな人生を今楽しんでるかって言ったら、半分もいるかなって。仕事がもう定年なんですよ、みんな。だからそういう方々が定年になってどういう人生を送るか…。

―その沖縄の人達も含め、世界チャンプとして夢を与えてくれた具志堅さんが、今また還暦で生き生きと青春されてる姿がまた元気を与えてるのでは?

具志堅 うん。俺が世界チャンピオンになってね、それまで相手にされなかったんだよ、沖縄が。やっぱり就職とか仕事でもハンディがあったらしいよ。それで一気にチャンピオンになって、沖縄っていう名前が出たから、受け入れ態勢がいろいろ楽になってよかったって言って。すごいそれが元気になったって言ってたな。

―それはほんと大きいでしょうね。最近は若いコでもあんまり夢を見ないとか言われてますけど。いまだ青春まっただ中の具志堅さんからするとどうですか。

具志堅 いやいや、今はもう世界中の情報を持ってるんだもんね、若いコは。それは良いことだと思うんだけど、やっぱりいかに夢を持ち続けて頑張ってるかっていうことが大切ですよ。その情報いっぱいあるイイ条件で、遊びなのか真剣に取り組んでいるのか、それだけなんですよ。

―逆に情報が簡単に得られる中で、すぐいろんなことわかっちゃって見切りつけるのも早かったり。自分で限界作っちゃうとかもありますが。

具志堅 やっぱり一流になりたいのか、二流か三流でいいのか、そういう差がもうどんどん出てくる時代だとは思うんだけど。スポーツでも教えてできる人とできない人もいるから、チャンピオンになる人となれない人って、もう練習で大抵わかっていくけど。一生懸命頑張ってね、何を夢に持ち続けていくかっていうのは大事ですよ。

次回お友達はやはりライバルの…

―やっぱりそこでハングリーさですかね、最終的には自分でそれをどう持てるか。

具志堅 精神的強さはそこでしたね、私も。だから石垣から東京来て、いろんなもんに耐えることができたんですよ。だけど、今はないな! ハングリーさはない(笑)。

―ははは、でも青春をまだ突っ走っているじゃないですか。

具志堅 うん、でも贅沢(ぜいたく)なおいしいの食べてるし。好き嫌いも言ってるし。そういうのあるけど、頑張ろうっていう気持ちはまだ残ってますよ、はい。

―わかりました。では最後にお友だちのご紹介ですが、やっぱりライバルの蛭子さんでっていうことでよろしいですか。

具志堅 ライバル! だから蛭子さんの今の年齢に俺も頑張りたいなとは思うんですよ。66歳? いや若いですよ! 歩き方が違うもんなー、早い! フットワークがいいもん。

―ますます最近、また蛭子さんも再ブレイクで人気出て。

具志堅 いやー、やっぱり普段の私生活がいいんだろうな、蛭子さんは。なかなか真似できないものがありますよ。

―必ず会うと具志堅さんから「先輩!」って言ってこられると著書に書いてました。

具志堅 いやー、面白いからですよ。なんかイイ雰囲気持ってるんだよ、素晴らしいな、蛭子さん。

―ほんと、具志堅さんとのエピソードもよく話に出てきて。「あの人は本当に女の人好きなんだなー」とかよく書かれてますが(笑)。

具志堅 (苦笑)蛭子さんには僕言われたくないよ。週刊なんとかとかエロい雑誌を飛行機の機内じゃ見ないもん! 好きなんだよ、ああいうの。いろんな記事、芸能の勉強してるか何してるかわからないけどね。

―そんな蛭子さんに言われたくないと。

具志堅 言われたくないね、エロいとか。

―ロケで女優さんに先に帰られて、ずっと具志堅さんが一緒の温泉入れなかったと残念がってたというネタもバラされてましたが(笑)。

具志堅 そりゃ寂しいでしょ、一緒に温泉入りたいし!

―あははは、やっぱり女のコ好きで、一緒にいたら楽しいっていうのも青春ですね。

具志堅 そうそうそう(笑)。

―では、蛭子さんにもエロいのだけは否定しますとお伝えしておきます(笑)。本日はお疲れのところありがとうございました!

●第8回は8月2日(日)配信予定! ゲストは漫画家・タレントの蛭子能収(えびすよしかず)さんです。

●具志堅用高 1955年生まれ、沖縄県石垣島出身。元WBA世界ライトフライ級王者。高校を卒業と同時に上京し、協栄ジムに入門。74年5月28日にプロデビュー。76年10月10日、9戦目で世界初挑戦。王者ファン・ホセ・グスマンから7回、3度目のダウンを奪ったところでKO勝ちとなり、沖縄県出身者初の世界王者に。試合後、「カンムリワシになりたい」と話したことから「カンムリワシ」との異名がつく。9戦目での世界王座奪取は、当時の国内最短記録。79年にアルフォンソ・ロペスを7回KOに降し、8度目の防衛に成功。世界王座6連続KO防衛となり、以降、日本人では他に誰も達成していない。81年に引退後は、日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男氏と「白井・ 具志堅スポーツジム」を設立。同ジムの会長として後進育成に力を入れると共に、テレビ朝日『くりぃむクイズ!ミラクル9』はじめ、数多くのバラエティー番 組で活躍中

(撮影/塔下智士)