『5時に夢中!』(TOKYO MX)などの赤裸々トークでもおなじみ、日本が誇るホラー作家の岩井志麻子

今回、真夏の怪談として特別に書き下ろしてくれたのは、男性アイドル歌手とその熱狂的なファンをモチーフにした、女の執念と悲劇の物語――。

***ストーカー事件は元恋人同士や元夫婦の間で起こることが多いが、相手とは一面識もないのにストーカー化する人もいる。有名芸能人を追い回す、スターストーカーと呼ばれる人達もその一種だ。

スターストーカーがお金を持っていると、さらに怖さと面倒さは増幅される。行動範囲が広がり、標的に近づくためのいろんな手が使えるからだ。

――若い女子を中心に一世を風靡(ふうび)した元アイドル歌手の流星(りゅうせい)は中年になって結婚し、娘のカンナも生まれた。

ただ、結婚したとき熱狂的かつ虚言癖のあるファンが、週刊誌などに流星の子を堕(お)ろしただのソープに沈められて貢がされただの、電話して騒動を起こしたことはあった。

「あたしのオッパイは大きいから、ローションつけて全身をなでまわしてあげると、オッパイが這(は)いまわっているみたいと流星にいわれたの」

「私の強烈な締めつけで、流星はいつも白目を剥いてイッてしまう」

流星とのやってもいない性行為を生々しくブログに書き、流星のポスターで自慰をしている写真などもアップしていた。

その葉月(はづき)という女は流星を追いかけるため風俗店にまで勤めた女で、ファンのあいだでも有名だった。どのコンサート会場やロケ現場にも現れるし、雰囲気が異様だからだ。カマキリを連想させる顔で、目つきが完全におかしい。それは流星も印象に残っていた。

ただ、葉月は体だけはきれいだった。流星も怖いもの見たさで彼女のブログを見てみたら、顔に似あわない肉感的でいやらしい裸をさらしていて、妙な気分にはなった。

そんなファンもいるので、流星と妻子は高い塀の要塞みたいな家に住んだ。なのにある熱帯夜、葉月はどうやったのか自宅に潜り込んできた。そして玄関先で自殺を図った。

幸い命は助かったが、流星宅の玄関は血の海となった。流星の妻と娘も大いに怯(おび)えたので、流星は豪邸を手放し、さらにセキュリティの厳重な高級マンションに引っ越した。

しばらくは、平穏な日々が続いた。葉月は、故郷に帰って静養していると警察に聞いた。あの家は企業に買われ、映画やCMの撮影場所として使われるようになっていた。

忌まわしい記憶も徐々に薄れ、葉月の噂も途絶えた。流星も元アイドルのイメージから脱却して渋い実力派歌手となり、一人娘のカンナも名門女子高に入った。

その女医はまぎれもなく、葉月だった

そんな頃、あの家がまた売却され、一般の人に買われたと聞いた。そのときは、さほど気にもならなかったが。ある日、事務所のスタッフに週刊誌を見せられ青ざめた。

今、若い女性に人気の美容外科の女医が医院を開業、という記事だ。女医は流星の昔の家を買って改装し、医院にしていた。その女医はまぎれもなく、葉月だった。

「私は昔から、流星さんの大ファン。彼の家に住めるなんて夢みたい」

名前も変えているし、顔も自分の医院でやったのかどうか、これまたかなり変わっているのに。あの目つきと異様な雰囲気だけは、変わってなかった。

ひそかに調べさせたら、間違いなかった。葉月は故郷の大学に入って猛勉強して医師免許を取り、美容外科医として成功した。そして、ついに流星の昔の家を買ったのだ。

流星はぞっとしたが、もはやとうに手放した家だ。自分が葉月に売ったのでもないから、何も文句はいえない。今のところ葉月もまったく流星に接触してこようとはしないが、まだ自分に執着しているのかと戦慄した。

それにしても、目つきは怖いが葉月は美人になっていた。この女に迫られたら誘惑に負けるかもと、苦笑した。昔のブログは消されていたが、生々しく裸の画像は覚えていた。

「あたしは本当に乳首が敏感で、流星に優しく揉まれて乳輪の周辺をさわさわと触れられただけで、一気に漏らすほど濡れるの」

まったくの嘘の記述なのに、もしかして本当にあったことかと充血する瞬間もあった。

葉月が昔の自分たちの家を買ったことは、妻子を怖がらせたくないので絶対言わなかった。週刊誌やネットで、昔の家が美容外科医に買われて医院になっているのは妻子も知っていたが、まさかその女医があの葉月だとは夢にも思わないようだった。

彼女自身、かつてその家で自殺未遂をしたことなどどこにも話さないし、ストーカー再開なんてこともしない。今のところは。

流星としては、葉月もいろいろな意味で落ち着いたのだと思った。思いたかった。

そうこうするうちに娘のカンナが反抗期を迎えた。一応は父のコネで芸能界デビューもさせたが鳴かず飛ばずで、変な取り巻きを連れて遊び回り、薬物にも手を出した。ヌード写真、いわゆるハメ撮りなども出回りかけた。

必死にいろんな手を使ってもみ消したが、うるさい親から離れたいと、勝手にマンションを借りて一人暮らしを始めた。妻もおろおろするばかりで、どうにもならない。

「またあの女よ。またあの女が来たの」

流星も変わらず売れっ子で、毎日忙しい。娘のことは可愛いし心配だが、そうそう構ってもいられない。元気にしているならそれでいいかと、やや放置気味にしていた。

そして今年初めての熱帯夜に、事件は起きた。仕事を終えてスタッフと一杯やっているとき、妻から泣き叫ぶ電話がかかってきたのだ。

「またあの女よ。またあの女が来たの」

大急ぎで帰ったら警察官が何人も来ていて、玄関は再び血の海になっていた。

首を掻(か)き切った女は、すでに救急車で運ばれていったという。妻は錯乱しながら、あの女よと繰り返す。しかし、病院に運ばれた女は……葉月ではなかった。

幸い今回も命はとりとめたが、流星は昔よりも衝撃を受けた。

逆三角形の奇妙な輪郭の中に、異様なギョロ目と作り物なのが丸わかりの鼻の女は、葉月ではなかった。変わり果てた、娘のカンナだったのだ。

家出し荒れた生活をしていた娘は、いつの間にかストーカー女医の葉月に手なずけられていた。葉月はカンナのツイッターなど調べて接触してきて、いいお姉さんぶっていた。カンナは前の事件のときは幼かったし、事件そのものをはっきり覚えていなかったのだ。

娘は葉月に、無理に整形させられていた。葉月の昔の顔そっくりに、つまりカンナとしてはひどい顔にされていたのだ。世をはかなみ、自宅に戻って自殺を図ったのだった。

幸い、出血の割に傷は深くなかった。助かったカンナは療養して、別の医者の手によって顔も元に戻すことができ、なんとか立ち直った。悪い男達とも縁を切らせ、裸の写真もすべて裏から手を回して回収し、消去させた。

妻子のために流星はまた高級マンションを退去し、郊外の静かな一軒家に引っ越した。

娘があんな事件を起こしたことで、葉月はようやく気が済んだかと、流星は考えた。あれからまったく葉月は何も言ってこないし、してこない。

人気の女医としてたびたび雑誌などにも登場するが、流星のファンです、でも恥ずかしいから直接にはお会いしたくないわ、などと白々しく言っている。

しかし女医は病院にしていた豪邸を手放し、今度は流星らが退去した高級マンションに引っ越してきたそうだ。

●岩井志麻子(IWAI SHIMAKO)1964年生まれ、岡山県出身。高校在学中の82年、小説ジュニア短編小説新人賞に佳作入選。86年に本格作家デビューし、『ぼっけえ、きょうてえ』(99年)で日本ホラー小説大賞、山本周五郎賞を受賞。代表作に『チャイ・コイ』など。最新刊は『現代百物語-妄執-』