岩田社長がプログラマとして携わったファミコンの『バルーンファイト』は今なおファンも多い名作のひとつ。ゲーム作りはもちろん経営にも長け、ユーザーからも“いわっち”の名で親しまれた

カリスマ経営者として辣腕(らつわん)をふるった岩田聡(さとる)社長の急逝により、大きな岐路を迎えている任天堂。

今年6月26日に株主総会を終えてから一度は体調を崩して入院したものの回復したとされ、後継者の準備さえ進んでいなかったという。

元・任天堂の開発技術部長としてゲームウォッチからゲームボーイ、ニンテンドーDSの開発に携わった岡田智氏もその訃報に驚き、死を惜しむひとりだ。

「株主総会後に体調を崩されて復活した時は誰もが完全復活だと思っていました。昨年10月に任天堂から発表された、ビデオゲーム事業とは違う新しいプラットフォーム事業“QOL(クォリティ オブ ライフ)=人々の生活の質を楽しく向上させる”も岩田さん主導でその事業に関わるグループもできていましたから。本人もヤル気満々だったと思います」

そのQOL事業の具体的な中身とは“睡眠や疲労を手軽に測定できる機器の開発”だとか。これまで『Wii Sports』や『Wii Fit』をヒットさせてきた岩田氏らしい、いかにもゲームの幅を広げる可能性を秘めた事業とも思える。

そして7月11日、岩田社長の後継者として代表取締役に任命されたのはマリオの生みの親である宮本茂氏と、ゲームキューブやWiiなどハードの設計開発責任者だった竹田玄洋氏。ふたりによる両頭体制となる。

これが突然の逝去による緊急措置的なものなのか、それとも今後も継続されるのか…。デジタルAVやビデオゲーム機に詳しいジャーナリストの西田宗千佳氏は任天堂の現状をこう危惧する。

「おふたりのどちらかをトップにするのか補佐にするのかはともかく、経営のプロを入れる必要はあると思います。販売からサプライに至るまでハードウエアとソフトウェアの両方を行なう企業には考えるべきことが多く、そうしたビジネス判断ができる体制を整える必要があるでしょう」

また、これまで参入を渋ってきたスマホ市場においても“株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)と年内にもスマホゲームの共同開発をする方針”を発表。今後、この展開がどうなっていくのかも西田氏に聞いてみた。

“仕掛け”をしてくるのは間違いない

ー「スマホ参入」ってことは、スマホのゲームにマリオが登場するとかだけの話なのか…どんな可能性が?

「もちろんそういった展開もありますが、それだけではありません。現在のゲームビジネスの必須となる“ネットワークサービスの部分”の開発を主軸にしたもので、様々な展開を秘めた参入だと思います」

ー具体的には…?

「たとえばスマホゲームで得たキャラを他のゲームで使ったり、あるゲームで友達になった人を別のゲームに誘うといった、ゲームの垣根を越えた遊び方を可能にするための取り組みです。というのも、ソニー・コンピュータエンタテインメントやマイクロソフトは過去10年間でそれらのネットワークの整備をうまく進めましたが、任天堂はWiiやDS以降、現在の主力であるWiiUや3DSでもそうした整備は出遅れていましたから」

ーでは、“2016年以降の発表となる”とだけ明かされている次期主力機“NX”とも何か関係が?

「まったく関係ないとは言えません。NXが他社製品に対して競争力を持つにはネットワークサービスの構築が不可欠であり、当然ながらスマホゲーム参入とNXには大きな関係があると考えて差し支えないでしょうね」

ーなるほど。そのNXについて他に判明していることはありますか?

「中身については一切わかりません。ただ、過去の携帯ゲーム機や他社のゲーム機と同じものでは競争力がないので、何かの“仕掛け”をしてくるのは間違いない。というのも、過去の任天堂のゲーム機はほとんどがゲーム機専用の構造を採っており、他社や海外の据え置きゲーム機で広がる“ハイクオリティなゲーム”展開をしづらい。NXではそうした部分への歩み寄りがなされ、今の任天堂のゲーム機より格段に性能は上がるはずです」

山内前々社長からの声は絶対だった?

果たしてNXが任天堂の歴史のターニングポイントとなり得るのか…。そこで、そもそもひとつのハードを完成させるまで開発者にどんな苦悩があるのかについても前出の岡田智氏に伺った。

ーひとつのハードができるまでどれくらい時間がかるものでしょう…。

「大体、構想3年からそれ以上。ハードの開発は“この仕様で3年後の世界のユーザーを満足させられるか”が重要なんです。例えば、ニンテンドーDSは元々が開発コード名“Iris”という一画面の携帯ゲーム機でした。しかし当時はもう現役を退いていた前々社長の山内溥が“二画面のハードに作り直しなさい”との声が上がり、コード名“ニトロ”に変え、急遽、二画面のハードに作り直された。

あの時はまさにハード開発の“ちゃぶ台返し”で、予定していた発売日も遅れましたが、それによって売れたので、結果よければすぺて良しというわけです」

ーやはり、山内前々社長からの声は絶対だったと。

「ただ、山内はプロジェクトが決まって一度OKが出れば“あとはキミの好きなようにやりなさい”という人だった。売れなかったら次頑張ればよいという。僕が携わったDSくらいまでは、ある程度、開発者の勘だったり作りたいものを作ることでやってこれたんです。でも、これからはそうもいかない難しさもあるのかなと」

ーこれからのハード開発にはどんなところにより難しさが?

「これはもう岩田社長の頃からされていることですが、発売前にモニターしたり、そのゲームを遊ぶ層の年齢や男女比などをフィードバックしたり。そのようなマーケティング調査をして、世の中が求めるものに対して、開発するハードの精度を高めるというか。需要のあるものを科学的な手法で分析し、開発することが大事なんだなと思います」

開発者にも反対を押し通す力を!

ーでは、任天堂OBとして、今後に期待されることとは?

「いつまでも元気な任天堂、ハードメーカーであってほしい。僕らの時代は、こういうものを作りたいってなったら、とりあえずその試作を作り、それを元にプレゼンだなんだとやれる自由な開発環境というのがあった。今の時代はなかなかそうもいかないところもあるようで…。ハードの開発者はソフト開発者と違って表になかなか出ませんが、もっと元気になってもらいたい」

ー確かにハードの開発者はあまり出て来ないですね…。

「ソフト開発者のほうが目立ちがちなのは昔からではありますが、もっとハード開発者にも元気になってもらいたいなと。任天堂ならではの自由な発想力を活かしてほしいです。僕の時代なんか、たとえばゲームボーイアドバンスを開発した時、それまでの縦長のお弁当箱のようなカタチから一新させ、横長にしたんです。

各部署はもちろんソフト開発部門からも大反対されたけど。僕としてはハードのデザインにはある程度、斬新さがないといけないし、横長に変えることでよりゲームの幅も広がる確信があった。だからどんな反対をも押し切れたと思うんです。今の開発者にも周囲を押し通す力を持ってほしい…なんて、どうしても願ってしまいますね」

最後に再び、前出の西田氏が任天堂の生き残りをかけた戦いについて、こう締めくくる。

「任天堂がハードメーカーであり続けるためには、海外を中心とした据え置きゲーム機とPCの大市場に置いていかれないようにしつつ、世界的に広がっている携帯ゲーム機からスマートデバイスへの移行にも対応しうる、多層的なビジネス環境の整備が必要ですね」

スマホ参入や次世代機のNXはもちろん、新たなビジネスとなるQOL事業…新体制でどう舵取りがなされるのか大いに気になるところだ。

(取材・文/河合桃子 撮影/村上庄吾)