ここに綴られた話はすべて本当にあった出来事です。決してひとりでは読まないでください……。

食堂で手にした雑誌を開くと、そのページいっぱいに…

実話怪談1 『食堂の雑誌』 作・黒木あるじ

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Mさんは、食堂などに置いてある雑誌が触れない。「別に潔癖症とかではないんです。数年前のある出来事がきっかけでした」

その日、彼は日帰り出張で関東某所を訪ねていた。打ち合わせを終えるとちょうど昼時、「飯でも食うか」と、目についた食堂の暖簾(のれん)をくぐったのだという。

べたつくテーブル、壁一面に貼られたメニュー。映りが悪いテレビ、古びた給水器、山積みの雑誌類。店はどこにでもある普通の定食屋だった。彼はミックスフライを注文してから、なにげなく雑誌の一冊を手に取った。グラビア、政権批判の記事、芸能ゴシップ…空腹にやや苛(い ら)立ちながら誌面を眺めていると、《夏の怪奇特集》と題したモノクロのページに目が留(と)まった。

「馬鹿みてえ」。思わず声が漏れる。Mさんはこの手の企画が大嫌いで、幽霊や超常現象の類(たぐ)いを心底馬鹿にしていた。すべては偶然に決まっているじゃないか。心霊体験の告白ルポを鼻で笑いながら、ページを捲(めく)る。

《まえやまゆうきのうしろ まえやまゆうきのうしろ まえやまゆうきのうしろ》

見開いたページいっぱいに、男の名前が経文よろしくびっしりと書かれていた。

Mさんの名前だった。

動揺した所為(せい)か、ミックスフライはふた口しか食べられなかったそうだ。

それから数年が経ったいまでも、彼は「あれは単なる偶然だ」と思っている。相変わらず不思議な出来事など信じないし、幽霊もこの世にいないと確信している。けれども、だからこそ二度と定食屋の雑誌は読みたくないのだという。

「次にあの文字を目撃してしまったら、もう偶然では済まなくなるから」だそうだ。

祖母が大切にしていた人形が…

故人が大切にしていたものを処分する祭はご用心を……

実話怪談2 『廃棄拒否』 作・黒木あるじ

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H子さんの実家には、祖母が生前大切にしていた一体の市松人形がある。もっとも祖母亡きあとは家族の誰も顧みることなく、人形はガラスケースにしまわれたまま茶箪笥(ちゃだんす)の上に置かれていたのだという。

あるとき、兄が結婚を機に夫婦で実家へ戻ってくることとなった。空いているのは祖母の部屋しかなかったが、若いふたりが住むにはやや古臭い。どうしようか家族で話し合ったすえ、父が「ちょうど良い機会だから」と、大幅なリフォームを決断した。しかし部屋は祖母が生きていたときのままで、荷物はひとつとして整理されていない。着物や茶道具は物置へしまうことで落ち着いたが、その他の雑多な品々の処遇が問題となったのである。

「もういいよ、まとめて捨てちゃおう」。そう宣言する父に、H子さんは「あの人形も? ああいうのって、お祓(はら)いとかしなくていいの?」と、なにげなく訊(たず)ねた。

「呪ったとか祟(たた)ったとかいうわけでもないんだ。お祓いなんてバカバカしいよ」。父が彼女の提案を笑い飛ばす。そのときは、H子さん自身「それもそうだな」と納得した。

そんな結論が覆ったのは、翌日。市松人形の手に一本の錆(さ)びた釘が握りしめられているのを、母が発見したのである。

誰の仕業か、釘はなにを意味しているのか。家族の誰も問わなかった。父も母も、考えるのさえ怖かったのではないか、と彼女はいう。

ともあれ、結局人形は捨てられぬままで、いまもH子さんの家にある。

昔に比べて顔つきが変わったような気がするが、あまりまじまじと見る気になれないので、はっきりとは解らないそうだ。

地方の民宿で見た蛍、実は…

東北のひなびたホテルでみたあの光景は夢か幻か

実話怪談3 『夏の贈り物』 作・黒木あるじ

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ある年の夏、Tさんは急な出張で東北の地方都市に泊まっていた。

宿泊先は名前こそホテルと謳(う た)っているものの、昔ながらのひなびた民宿である。すっかりと色の褪せて毛羽(けば)立った畳、あちこちがぼろぼろと剥がれている砂壁。昭和の風情漂う、懐かしみをおぼえる部屋であったそうだ。

その夜のこと。裏手に面した窓辺に座り煙草を吹かしていると、闇の向こうにちいさな灯りが見えた。薄緑色の灯りは点滅を繰り返しながら、ふらふらと細いすじを描き暗闇を漂っている。驚きつつ眺めているうちにも、浮遊する光はその数を五つ六つと増やしていった。

蛍か。宿の裏に川でも流れているのかな。

思わぬ夏の贈り物に嬉しくなった彼は、その光景をしばらく眺めてから床に就いた。

翌朝、宿の主人に「ここは自然が多くて良い宿ですね」と笑顔で告げたが、当の主人は「そうですかねえ」と、やけに素っ気ない。

蛍なんて、このあたりでは珍しくもなんともないのかな。すこしばかり態度に訝(いぶか)しみながら、朝食を終えて部屋に戻る。

チェックアウトして間もなく、「どうせなら蛍の住む川を眺めて帰ろう」と思い立った彼は、民宿の裏手へと足を進めた。

川はなかった。

目の前にあったのは、古びた大きな墓地であったという。

八月半ば、お盆の最中の出来事だそうだ。

富士の青木ヶ原の樹海にて…

ある男が樹海で目にした“見てはいけないもの”

実話怪談4 『樹海にて』 作・黒木あるじ

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「死ぬつもりでした」

Eさんは、三年前に樹海へ行った理由をぼそりと呟(つぶや)いた。山梨県の富士の裾野に広がる青木ヶ原樹海。自殺者の多さで知られるその場所で、彼もまた自らの命を終えようと考えていたのである。

到着したのは午後四時過ぎ。駐車場に車を停め、助手席へ遺書と財布を置いてから、鬱蒼(うっそう)とした森の中へ向かう。遊歩道を逸れて十五分も進むと、すぐに帰り道は解らなくなった。いまなら戻れる、まだ引き返せる……後ろ髪を引かれながら歩いていた所為(せい)だろうか、ふいに彼は木の根につまずき、その場にうずくまってしまった。挫(く じ)いた足を擦るあいだにも、空はどんどんと闇が深くなっていく。ここで人生が終わるのか。あっけないもんだな。苦笑してふと視線を移した先に、あるものが見えた。

岩の上へ丁寧に折り畳まれた、まだ真新しい濃紺のスーツ。その傍らには、薄紫のネクタイと茶色い眼鏡、そして一足の革靴が置かれていた。ネクタイには薄い染みが残っている。眼鏡の弦には修繕のあと、革靴の爪先には細かな傷が刻まれていた。

色も形も傷跡も、すべて自分がいま身につけているものと一緒だった。

なんだこれは、どういうことだ。混乱する彼の心中で、おぼろげに理解していたはずの「死」が、急に得体の知れないものに変わる。

Eさんは逃げた。立ちあがっては転び、這いつくばりながら駐車場を目ざした。ようやく戻ってきたときには、すでに日が変わっていたという。

樹海での自殺を諦め、彼はうんざりする日常に復帰した。相変わらず生活は苦しく、生きることは辛い。それでも、あの樹海で目にした衣服を思いだすたび、死の先になにがあるのか恐ろしくなってしまい、彼はもう自殺する気になれないのだという。

●黒木あるじ(くろき・あるじ) 1976年生まれ。2009年『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作に入選。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞し、10年に『震(ふるえ)』でデビュー。東北を中心に1000話以上の怪異を記録している