2013年に結婚され、変わらぬ美熟女ぶりでバラエティまでさらに活躍の場を広げる高橋ひとみさん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第8回のゲスト・蛭子能収さんからご紹介いただいたのは、女優の高橋ひとみさん。

クールで大人なイメージも魅力でドラマに映画と出演作多数、最近ではバラエティなどで見せるカワイい素顔も人気でますます幅広い御活躍。そんな、ひとみ姉サンと蛭子さんの接点はそもそも…?(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―友達がいないという蛭子さんから、まさかのご紹介をいただきました(笑)。

高橋 光栄です! 本当にお友達って言ってくださって光栄です。旅番組でご一緒したばかりっていうのもあって、それこそ具志堅さんと3人で。

―具志堅さんと3人ですか? それまた濃いというかベタな(笑)。

高橋 でも蛭子さんとはもう何度かドラマ、映画とかでもお仕事してますし、夫婦役で。最初はもうすごい前ですよ、『夜逃げ屋本舗』っていう中村雅俊さん主演の映画。その第1回目の1番最初に夜逃げする夫婦で。

―映画、ドラマとシリーズ化した人気作ですよね。その1回目とはメモリアルな…。

高橋 そうなんです。その後もバラエティ番組とかでもご一緒してるんですけど、偶然にも主人がものすごい仲良くって、10何回ぐらい一緒に海外旅行してるんです。

―蛭子さんも旦那さんのほうがお世話になってとおっしゃってましたが。外資系にお勤めの方と2013年に電撃婚されたんですよね。

高橋 そう、それで結婚したばかりの時にも旅番組でご一緒してるんですね、蛭子さんと。「なんであんな男と結婚したのー?」とか「ひとみさんの格が下がっちゃうよねー」って、ずっとあの口調でもうボロッくそなんですよ(笑)。それ言われて、もうちょっと考えて結婚すればよかったのかしらとかね、すごい悩んじゃって。

―え、なんで好きになった人を悪く言うの?じゃなく…。

高橋 うん、そうなのかなって思って(笑)。主人はすごく蛭子さんが好きで一緒に旅行してて、それを「まあ英語ができるから便利なんだよねー」とか言うんですけど。で、最後に「悪気ないんだけどね」って(笑)。

―まあ、蛭子さんは思ったことを全部口に出すっていう(笑)。でもそこに裏がないというか、嫌みはないので。

高橋 そうなんですよね。でも、この間も同じこと言って、今度は具志堅さんにも説明して。

―あははは(笑)。でも高橋さんと全然関係なしに蛭子さんとご主人がお知り合いだった?

高橋 関係なく、すっごい昔から。なんか、飛行機の中でご一緒したみたいで、たまたまなんですよね。でも普通、そこで家族ぐるみで旅行行くとかまで絶対に誘わないですよね。だから蛭子さんは主人のことを「ミーハーなんだよね」とか言っちゃって、また(笑)。

おかっぱの前髪を上げたのが転機かな

―しかし、夫婦役をやられてた高橋さんと縁ができるって、すごい巡り合わせですよね…。

高橋 本当ですよね。あと、そう! 蛭子さんに似顔絵を描いてもらうと不幸になるって都市伝説があるんですよ(笑)。それでこの間、お礼か何かで具志堅さんのを額に入れて渡してたんですよね。だから具志堅さんの今後の動向が心配だわって…私のは絶対描かないでねと思って(笑)。

―まだ描いてもらってないんですね。ご主人も?

高橋 まだです。遠慮しないとって(笑)。でも主人のお母さんが描いてもらったらしいんです、以前。その後、病気で亡くなって…絵が原因ではないけども、ええっ! まさしくそうねとか言って。もう絶対描いてもらわないようにしようって(笑)。

―デスノートみたいな(苦笑)。すっかり蛭子トークに花が咲いてしまいましたが、僕の世代的に高橋さんといえば、まず83年の『ふぞろいの林檎たち』から始まってる感じで。妖艶というかミステリアスなイメージで言われてましたよね?

高橋 その当時はね、役がアンニュイっていう、ちょっと気怠(けだる)い雰囲気のように言われましたけど。デビューしたてで、出身が天井桟敷というアングラといわれる劇団でもあったので、そうしなきゃいけない、そう思われてなきゃっていうのもあって。寡黙(かもく)というか笑わないみたいな感じ。

―今でいう不思議系な魅力もあり。それでクールな見せ方を?

高橋 クールな感じでいたんですけど、それで役柄も割と厳しい役とか冷たい役とかが増えると段々ツラくなって。時任三郎くんが「僕も勘違いされることが多いから、黙ってると怖がられるので、取材なんかではもう喋るようにしてる」って。そうするといいんじゃない?って言われてから、結構喋るようにして。

―気持ちが変わったというか、楽にしたほうがいいのかなと?

高橋 あと、髪型は絶対おかっぱでお願いしますとか、そういうイメージ通りの役がくるんですけど、全く真逆をやってみたいじゃないですか。ちょっとコメディな役とか明るい役をやっても、次にまたアンニュイな役がくると戻っちゃう感じで。

それが、ある先生役をやるにあたって、おかっぱの前髪を上げることになったんです。それが転機かなって思うんですけど、顔の半分を見せるっていう、なんか自分も解放された感じがして。

―確かにおかっぱでボブカットの印象は強かったですが。そもそも10代の頃に天井桟敷っていう、寺山修司というカリスマのものすごい独特な劇団に飛び込んだこと自体、アングラ志向だったのでは?

高橋 いやいや、一切知らないです。たまたまパルコでやる「青ひげ公の城」の少女の役の募集で行っただけで、その作・演出が寺山さんだったんです。お名前だけで何をしてる方かも知らなくて。オーディションで、あ、間違えたって思いましたしね。これは普通と違うぞって。

何百人っていう少女がきて、選考で残った何十人だけがその場で台本もらって『若草物語』か何かの一部を演じるんですけど。その寸劇を教えてくれる天井桟敷のお姉さん、お兄さんが眉毛ない、坊主で、全部真っ黒な服で…。

―麿赤児さん系みたいな(笑)。

高橋 優しいんですよ、皆さんすごく。でも眉毛ないと怖いじゃないですか? え、なんだろう、これっていう感じ。その前にパルコで行なわれていた「中国の不思議な役人」という舞台の少女役が浅野温子さんだったりして、デビューには縁起のいい第2弾だと思っていたので、なんかちょっと(苦笑)。

勝手にセーラー服がよかったんだなって

―それがオーディションで寺山さんのお目にとまり…。

高橋 主役のコはもう決まってましたけど、その他に4人くらい受かったんです、そのうちのひとりだったんですけど。寺山さんの大ファンで来てる人もいるし、演劇少女みたいなね。で、可愛らしい女の子募集なんだろうけど、私はこんな大っきくて高校3年生じゃ絶対無理だな、もう落ちちゃうなって思ってたんですけども。

―その流れで天井桟敷に所属して?

高橋 入ったわけではないんです。寺山さんがすごく可愛がってくださって、とにかく毎日そばにいましたね。学校帰りに稽古行きますからセーラー服で通わなきゃいけなくて、夏服でそれがもう非常に好きだったんだと思うんです。よく舞台でもセーラー服が衣装として出てきましたから。

―寺山さんがそこまでセーラー服にこだわりを(笑)。それがポイントだった?

高橋 制服は何割増しかになるじゃないですか?(笑) それで真っ黒い稽古着に着替えて、お兄さん、お姉さんと稽古するわけです。それまではセーラー服で、それが非常に可愛く見えたのか、すごく可愛がってくださって。そのまんまずーっとそばにいたというだけで。

―不思議な立ち位置だったんですね。マスコット的でもあり…。

高橋 でも劇団には入れて下さらなかったんです。なのに、何度違うって言っても天井桟敷だったんですよねって言われ続け、途中からもういいやと思って。そうすると皆さん納得して、ちょっと得なことも多くて。高橋ひとみのお芝居は基礎をやってきたんじゃないかみたいな勘違いしてくださるので。これはいいかなって感じで、今ではそうですとか言っちゃうんですけど(笑)。

―箔(はく)がつきますしね(笑)。それで実際、寺山修司に寵愛されたとか最後の秘蔵っ子って肩書きがついて。

高橋 皆さん、そう言ってくださって。何かの雑誌の「秘蔵っ子シリーズ」っていうページがあって、第1弾がつかこうへいさんで、かとうかず子さんだったんです。そのシリーズに寺山さんが「いいんじゃないか、使いなさい」って出していただいて。でも本当に遺志を引き継いで血を引いてるのは三上博史くんですよ。

―寺山さん自身から、俺が気に入ったのはこういうところなんだとか話されたりは?

高橋 どこがいいとか、そういうのはなかったんです。私は勝手にセーラー服がよかったんだなって思ってますけど。なんにもわかんないところを可愛く思ったんじゃないかなと。

―ラブレターみたいな手紙をいっぱい送られたっていうエピソードもありますよね。口説き文句的な表現や言葉があったわけでは…。

高橋 口説き文句っていうのはないですね。手紙魔だったらしいんです。好きとかそういうのじゃなく可愛がってもらってたってだけで。稽古つけてくれたとか何か教えてくれたっていうのも直接はないけど、一緒にいることによって、何かね。

競馬新聞のコラム書いたり、もういろんなことなさってたんで。それを喫茶店とかザワザワしたところでよく書いてらして。そこでじーっとでき上がるまで待ってるんですけど、本当にもう退屈。当時はなんでこんなことしなきゃいけないのって思いながら。でき上がったら、じゃあ電話で送ってっていうんですよ。

寺山先生の名前がなくてどうなるんだろう

―秘書のような。

高橋 他に秘書の方もいるんですけど、え、私?とか思いながら、原稿送って戻ると「何回聞き返された?」って言うんですよ。で、「1回も聞き返されないように伝えられたらいいね」とか。後になってそれが稽古だったかなみたいな。

あのね、まず最初にオーディションで受かった舞台の初日にスクラップブックをいただいたことがあって。中に思い出の写真とか台詞とか新しく書いてくださった詩とかがいっぱい入ってたんです。五箇条っていうのもあって、“体を鍛えましょう”とか“ライバルを持つこと”、“いい本を”、“好奇心を持ちましょう”、“上手くなるな”っていうことが書いてあって。火事になったらとにかく1番最初にそれを持って出るっていうくらい大切なものなんですけど。そういうのはありました。

―もちろん、それはみんなに与えてたわけではなく?

高橋 唯一ですね。

―やはり特別な寵愛はあったわけで。なんでこんなに私を?っていうのはなかったんですか。

高橋 そういう恋愛対象じゃなくて、ただただ、子供のように? 私も一緒にいて安心だし、いろんなことをなんでも知ってるし、傍にいれば、会えないような世界的な方にも会えるわけですよ。そこがやっぱりすごい、たった3年間ですけど、すごい貴重な、濃いぃ3年間でしたね。

―それこそ名前は知ってるけどというか、後世にカリスマとして伝説は残っていても今の若い世代にはよくわからないでしょうね。

高橋 早くね、逝(い)かれちゃったから。本とか作品がどうというのは全く私もわかんないんです。天井桟敷の公演に出たわけでもないし、映画は2本ほど出ましたけど、本当に台詞のない役で。

―それでイメージが先行して、最初に伺った通り、自分の素じゃないアンニュイな部分ばかり求められる方向にいってしまい。戸惑いはあったかと。

高橋 そのうち、寺山先生の名前がなくても、高橋ひとみでならどうなるんだろうってあるじゃないですか? 先生が渋谷のスタンドでいつも競馬新聞とか買ってると、あ、寺山修司だって気づかれるみたいに、いつか高橋ひとみだって最終的にわかってもらえるようになるのが夢だった。

―オーディションを受けたのもそうですけど、そういう世界に憧れが?

高橋 全く遠い世界な気がして、でもあの当時は桃井かおりさんとかアンニュイと言われてて、やっぱり素敵だな、自分もああいう風になりたいなとかはすごいありましたね。

―女優願望はあったんですね。で、何者かになって認められたいみたいな。

高橋 気づかれたいなっていうのはありましたね、いつか目標として。

―それで当初は、求められてるイメージや役でステップアップするしかないと。

高橋 与えてくださったものを一生懸命やるっていう感じで。『ふぞろい~』も寺山さんが山田太一先生に頼んで、なかった役を作ってくださったぐらいで。それも1話も見ずに亡くなってしまったので、とにかくもう全部守ってくれるっていう安心感の砦(とりで)がなくなっちゃって。どうしよう、どうしようって言うばっかりでね。周りはみんな、ざまあみろって思ってるな、きっと…とか。

―寺山さんの後ろ盾で出てきたみたいなやっかみもあり。ネガティブな気持ちに?

高橋 まだ何もできてないわけですから。ほら、どうするの?って。

私、アングラ出身って自慢していいの?

―ただ、そういう不安や心のざわつきも当時の演技に反映されてたのでは。

高橋 わかんないですけど、演技なんかまだ全然なんにも知らないので、演技になってるかどうかもわからず、もうやるしかないみたいな感じで。ほんと難しい役だったし…。2話目に泣かなきゃいけないシーンがあって、泣くなんてとんでもない、できないって感じだったんですけど。ちょうど寺山さんが亡くなったばっかりで、それを思って泣けたんですね。

それがあまりのタイミング、もう「ひとみは芝居なんかできないでしょ。僕が死んであげるから泣きなさい」って言ってくれたんだとしか思えないような。そこまでしてくれたんだ!って、すべてそう思えちゃうわけ。『ふぞろい~』という作品があんなにヒットして、今があるわけで。レールを引いていってくれたのかなっていう。

―出会いからそこまでやはり運命的な…。

高橋 はい。1話の台本までは寺山さんも見てるので「素晴らしい役だから、このドラマでやっていけないんだったら辞めなさい」って。それぐらい素晴らしい役なので頑張んなさいって。

―その83年当時、僕は高校生でドキドキしながら観てた記憶があります。あの役は個室風俗嬢でしたっけ?

高橋 そうです、ファッションパーラーっていう。(中井)貴一くんと気持ちいいことしようみたいな話になって。初めてなのに、ましてそういう役だし、下だけエプロンっていう感じで…もう自分ていうものはないですよね。

―それがハマっちゃって、そういう危なさを持ってるコなんだろうみたいな。

高橋 あれってもうすごく視聴率が良かったから何度も夏休みとか春休みに再放送するんですよ。忘れたなって思う頃にまたやるんですよね。だからその後、何年も記憶が鮮明なんで、早く忘れたいっていうか(笑)。今だったら懐かしいですけどね。

―別に消したいとか隠したい過去ではないけれども、囚われ続けるのもツラいですよね。役柄とかドラマが大ヒットするほど引きずられちゃうし。

高橋 この間も手塚(理美)さんとお話して、もう未だにあの作品を超えるものがないよねって。同い年のみんなと群像劇で、本当に青春を味わったし、私も女子校なんで中高と男子が一緒じゃなくて、学園祭とか運動会も全然面白くないし。男女共学ってこんな感じなのかなあなんて思いながら、それは本当に楽しい思い出しかなくて。

「ふぞろい学校」って言われてたように、全てをそこで学んでという感じですかね。今も会えば中学校の同窓会みたいな感じで戻れるし。

―観てる側もそうで、その時代の背景というかバックボーン的な思い出がそれぞれにあり…そういう語れる作品を持つのはなかなか得難いことだと。

高橋 それで、ここしばらくはずっと自分がアングラだって意識なかったんで、言ってもなかったんですね。そしたら渡辺いっけいさんと共演して、私を紹介する時、必ず「この人、こう見えてアングラですから」って。それが反応いいもんで、あれ? 私、アングラ出身って、これ自慢していいの?みたいな。

―逆に今となってはそれもキャラ立ちとしてオイシイ(笑)。

高橋 なので、それから使うようにしております(笑)。

―では、まだお時間あるようなので、さらに深~くお聞かせ願えますか(笑)。

●この後編は次週、8月23日(日)12時に配信予定!

●高橋ひとみ1961年生まれ、東京都出身。17歳で寺山修司作・演出のオーディションに受かり、その後“寺山修司の秘蔵っ子”というフレーズで舞台『バルトークの青ひげ公の城』で女優デビューを果たす。1980年に『上海異人婦館 チャイナ・ドール』で映画デビュー、1983年『ふぞろいの林檎たち』でTVドラマデビュー、1985年には『スケバン刑事』に出演するなどデビューからコンスタントに出演作が続く活躍。2015年に入り、南アフリカをPRする「南アフリカ観光大使」に就任

(撮影/塔下智士)