CDが爆発的に売れていた1990年代を代表する音楽プロデューサーとして、必ず名前が挙がるのがT・Kこと小室哲哉だ。
91年にバブル経済は崩壊するが(一説には92年とも)、少なくとも一般レベルではすぐに景気が後退したわけではなく、音楽業界の勢いも止まらなかった。そんな中、小室哲哉はB’zやZARDなどを排出したビーイング系アーティストと入れ替わるように登場した。
小室哲哉は94年にTMNを終了(解散ではない)。それ以前からも渡辺美里や宮沢りえ、観月ありさらへの楽曲を提供。さらに、92年からは自らも参加したtrfを始動させていたが、転機は“with t.komuro”名義で自身が前面に出た、94年7月発売の篠原涼子の『恋しさと せつなさと 心強さと』。この曲の大ヒットがその後、続くことになる華々しい小室時代の幕開けとなる。
そんな小室哲哉のスゴさを音楽業界に詳しい評論家の麻生香太郎氏はこう分析する。
「それまでダンス音楽というのは、業界ではどちらかといえばバカにされているジャンルだったんです。あんな同じメロディがループするだけの曲が売れるわけがないと。それを上手に日本に輸入したのが小室哲哉だと思います。ついでに言うと、彼が所属するエイベックスの社長・松浦勝人氏も無類のダンス音楽好き。ダンス音楽オタク同士が組んだ結果でしょう」
さらに『恋しさと…』の発売から3ヵ月後の10月。その勢いを後押しするように、90年代の音楽シーンを牽引する音楽番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』がスタートする。
MCに、それまでまったく音楽シーンとは縁のなかったダウンタウンを抜擢。その経緯を当時、同番組のアシスタントプロデューサーだったフジテレビのきくち伸氏はこう語る。
「当時、フジテレビには音楽番組がひとつもなくて、なんとかしなきゃいけないねって話をしていたんです。そんな時にあるスポーツ番組の特番で、さんまさんとご一緒していたチーフプロデューサーの水口(昌彦)さんが『さんまさんで音楽番組をやったら面白いんじゃないか』と考えた。
でも結局、さんまさんのスケジュールとかうまくいかなくて、当時、ダウンタウンのマネジャーだった大﨑(洋、現・吉本興業社長)さんからダウンタウンの司会のOKをいただいて番組が始まりました」
番組のトークでキャラクターを引き出す
しかし、当初はトークがメインの音楽番組になる予定ではなかったという。
「1回目の放送はハウンド・ドッグがゲストだったんですが、トーク部分がものすごく盛り上がってしまって。でも、演奏は6曲分24分が、すでに収録済み。ところが、盛り上がったトークを使おうとすると、どうしても6曲全部は入らない。一番長い6分の曲を1曲カットする交渉のためラジオ番組に出演する大友康平さんに会いにニッポン放送まで行きました。でも、トーク部分に手応えを感じていたのは大友さんも同じで、快くOKしてくれました」
そんな偶然が奏功したのか、視聴率も回を重ねるごとに上向いていったという。
そして、番組と小室哲哉がタッグを組み、生み出したのが95年3月発売のH Jungle with t『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~』。仕掛け人は、きくち氏だ。
「でも、水を向けたのは間違いなく小室さんですよ。あれは篠原涼子さんとトークしていた時の出来事ですが、浜田さんが『なんで涼子なんかに曲を書いたんですか?』みたいなことを言ったんです。そうしたら小室さんは『やめてください、僕、頼まれると断れないんで』と答えた。当然、『じゃあ作ってください』という流れになりますよね。
誰もがあれは収録現場の冗談だと思っていたんですが、後日、小室さんから『あの件、どうする?』と電話があった。それでみんな『本気だったんだ!?』と思って。慌てて浜田さんに聞きに行ったら『ほな、やるか』みたいな感じで実現しました」
結果、この曲は200万枚を超えるWミリオンに。余談だが、小室哲哉と華原朋美を引き合わせたのも、きくち氏だ。
それはともかく、トークでアーティストのキャラクターを引き出し、楽曲のセールスにつなげるという手法はこの番組が確立したものだろう。いつの間にか「浜田に突っ込まれたアーティストは売れる」というジンクスが生まれ、実際に篠原ともえやT.M.Revolutionといったアーティストが人気者になっていった。
一方で、小室哲哉はオーディションで見つけた素材のプロデュースにも乗り出す。それがテレビ東京系の『ASAYAN』。鈴木あみや今やオネエタレントとしておなじみのKABA.ちゃんも在籍したdosを誕生させた。この番組の独特のクドいテロップやナレーションを担当した川平慈英の「そうなんです!」などの言葉も流行した。
この小室哲哉の天下は、96年に安室奈美恵の3曲がミリオンヒット。同じく華原朋美が2曲、globeが1曲(ダブルミリオン)という大記録を打ちたてことでピークを迎えた。
(取材・文/井出尚志[リーゼント])