「赤塚不二夫らとのゆるやかな関係の中に身をおいたタモリの生き方こそが、今後の日本社会の参考になる」と語る近藤氏

昨年3月に『笑っていいとも!』が終了して以来、様々な著者による“タモリ本”が発売された。それらは、過去のエピソード集のようなものから、著者による私的なエッセーまで多種多様なアプローチでつづられている。

そのタモリ本ブームの掉尾(とうび)を飾るのが、『タモリと戦後ニッポン』だ。膨大な文献を駆使し、戦後日本の歩みとタモリの半生を重ね合わせた、“タモリ本の決定版”ともいえる一冊である。著者の近藤正高氏に聞いた。

―往年のタモリの芸風を感じさせると評判だった『ヨルタモリ』が、ちょうど先月20日に終了しました。

近藤 あの番組は『今夜は最高!』(81~89年放送)をリバイバルしたような雰囲気がありましたよね。「中洲産業大学教授」や「インチキ外国語」など70、80年代にタモリがやっていた芸も見ることができました。

一方で、近年の『いいとも!』では進行を中居正広や鶴瓶に任せていたように、この番組でもママ役の宮沢りえに番組を回させつつ、鉄道企画などの趣味的なコーナーもやっていた。昔のタモリと今のタモリを交ぜたような番組だったと思います。

個人的には、タモリと文化人のからみをもっと見てみたかったですけどね。かつて『いいとも!』で野田秀樹から「無駄な学歴」というフレーズを引き出したり(野田は東大中退)、安部公房の孫が出てきた時は「酒場でピンク・フロイドの悪口を言ったら安部公房に怒られた」というエピソードを披露したりと、タモリは文化人とからむと抜群に面白いんです。今後はラジオ番組でもいいので蜷川(にながわ)幸雄や筒井康隆などタモリより年長の文化人と喋ってもらいたいですね。

―今回、『タモリと戦後ニッポン』を書かれた動機は?

近藤 あるタモリ本の著者が、「ビートたけしに比べてタモリについての本は少ないから語りようがない」というような発言をしていたんです。確かに本は少ないかもしれないが、タモリについては今まで多くの人が語ってきたじゃないか、と思ったことがきっかけですね。

そもそも、タモリに限らず芸能人本の多くは、時代背景がなおざりになっていると感じていました。触れられていたとしても、「それは激動の時代であった」みたいな紋切り型の記述ばかり(苦笑)。ちゃんと時代背景や事件と結びつけて論じれば、もっと面白い本が書けるんじゃないかと思ったんです。

―この本では、戦中戦後の満州や60年代後半の大学教育、80年代のテレビ文化といった時代の文脈の中にタモリを位置づけており、非常に読み応えがありました。著者として最も読者に知ってほしかった部分はどこですか?

近藤 “空白の7年間”ですね。タモリは23歳でいったん福岡に戻り、再び芸人としてデビューするために30歳で上京しています。その間、ボウリング場の支配人やフルーツパーラーのバーテンダーを務めていたんですが、この頃のことはほとんど知られていない。

ボウリング場時代には機械の整備からボール磨き、接客、経理までこなし、休日出勤するほど勤勉に働いています。意外なまじめぶりですが、その後30年以上も『いいとも!』を続けた人だと考えれば、納得がいきますよね。今はひょうひょうとしていてヤル気みたいなものを嫌うイメージもありますが、上京する際には「芸人になるぞ」というそれなりに強い決意を持っていたところも意外です。

タモリの後継者は劇団ひとりだった?

―82年開始の『いいとも!』で国民的タレントとなったタモリは、90年代に入るとすっかり“マンネリの人”と捉えられるようになります。しかし、90年代末頃からタモリを再評価する“リスペクト・フォー・タモリ”ブームが起こりました。

近藤 確かに、僕が高校生だった92年から95年頃には、タモリは「女子供向けの笑い」とバカにされていました。そんな中、彼が70年代に出したレコードが95年に再発されたんです。そこでは、ジャズの秀逸なパロディや寺山修司の“思考模写”など、ものすごく批評的な芸を披露していた。僕自身、「今のタモリはつまらないけど昔のタモリはすごかった」と思うようになりました。

その後、90年代後半から鉄道マニアや料理好きの一面を見せるようになり、世間の見方が変わってきました。00年代後半にはYouTubeやウィキペディアによって昔のタモリを知る機会も増え、当時を知らない世代の間でも伝説化が進んだ。ここから彼をリスペクトする傾向に拍車がかかったわけです。

―タモリ・さんま・たけしの“ビッグ3”を筆頭に、今のお笑い界はなかなか世代交代が起きづらい状況です。

近藤 秋元康もずーっと活躍していますし、結局80年代から顔ぶれがあんまり変わりませんよね。ただ、それでTVがつまらなくなったかというとそうでもなくて、本当に面白いごく一部の番組と大多数のつまらない番組があるという構図は変わらない。それを面白がれるかどうかは、タモリ風に言うと「見方の問題」です。視聴者が自分で面白がれる部分を見つけられるかどうかということですね。

実は、僕はタモリの後継者として劇団ひとりに期待していたんです。帰国子女として日本を相対化する視線や中国人のモノマネなど、タモリを髣髴(ほうふつ)とさせるような芸風で出てきましたから。ただ、結婚してちょっと落ち着きすぎちゃった気もしなくはないですねえ。

―タモリという人間は戦後日本という土壌なくして生まれなかったということが、この本を読むとよくわかります。では、タモリを補助線にして今後の日本を語るとしたら、どうなりますか?

近藤 今年元日に放送された『NHKスペシャル』で、タモリは「これからは日本人の持つ勤勉さと従順さが今後のよりよい社会をつくる」というようなことを言っていました。ただ、これはリップサービスだと思います。彼ほど「日本人の勤勉さと従順さ」をバカにしてきた人はいませんから。

むしろ、赤塚不二夫やそのほか多くの人々とのゆるやかなコミュニティの中に身をおいた彼の生き方こそが、今後の日本社会の参考になると思う。

なぜか日本ではネットの世界も“でかい村社会”みたいになっていますが、タモリがそうであるように、どんな人でも受け入れる社会になったほうが圧倒的に生きやすいですよね。

(取材・文/西中賢治 撮影/藤木裕之)

●近藤正高(こんどう・まさたか)1976年生まれ。愛知県出身。高校在学中に『中森文化新聞』に取り上げられ、ライターデビューを飾る。著書に『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)など。現代史研究家を名乗り、さまざまな文化人と現代史をからめて論じるコラムなども執筆している

■『タモリと戦後ニッポン』 (講談社現代新書 920円+税)終戦直後の1945年8月22日に生まれ、2015年に古希を迎えた不世出の“国民的タレント”、タモリ。膨大な文献を駆使し、彼の半生を彩る豊富なエピソードと戦後日本の歩みを重ねて論じた労作だ。戦後史の教科書としても有用だが、学生時代のジャズ研でのエピソードや、山下洋輔らと出会った“伝説の博多の夜”にまつわる証言など、笑える話も満載だ