日本が空前のツチノコブームに沸いていた1989年。過疎化が進む山間の村、奈良県吉野郡下北山村に「ツチノコ共和国」は建国された。
一時は全国から探検隊が押し寄せるほど隆盛を見せたが、ブーム終息で情報が途絶えた。
その仕掛け人で建国当時の「議長」でもある野崎和生さん(69歳)が健在との情報をキャッチ、早速直撃すると…。
「共和国は一応、存在はしています。実際に動いているのは私と女王(妻)のふたりだけ。建国時が一番のピークでしたねぇ…」
寂しげな横顔の議長が、その歴史をたどる。
「キッカケはある日、村人のひとりが『裏山でツチノコを見た』と言い出したこと。噂が広まると、『私も見た』『俺も…』と名乗り出る者が相次ぎ、合計6人が目撃していたことが判明したんです。村会議員だった私は、これを村おこしに生かさない手はないと考えました」
100万円の懸賞金をかけ、全国から探検隊を募ると応募が殺到。定員を超える100名以上が集まり、村は一躍有名になる。
そして翌89年4月22日、共和国は建国された。
「当初は下北山村の人口が1500人、探検隊員として町外から訪れた人に発行した〝パスポート〟が2千冊ありましたから、約3500人の国民がいましたね」
しかし、肝心の探検隊が、わずか5回で行き詰まりを迎えてしまう。
「ツチノコは神秘的な能力の持ち主で、人間の意思がわかるんです。こちらが捕獲しようとしているのを察知して現れようとしない。ならばと、『キミたちを探してるわけじゃないですよ?』と見せかけるべく、蛍やコウモリの見学会を企画しました。ツチノコを油断させ、現れたところを捕まえようとしたんです」
ツチノコ捕獲の後継者、再生の道は…
だが、この作戦も中断に追い込まれてしまう。
「04年の台風で蛍の生息場所が壊滅してしまったんです。それまでは会員から会費を…いや、国民から税金を徴収していましたが、探検隊がなくなると、それも撤廃せざるを得なくなって」
これを境に共和国の表立った活動は途絶えた。
「国民も減り続ける一方で、現在は下北山村の人口1千人と共和国の人口がイコールです」
再生の道はあるのか?
「難しいですね。後継者や、私の体力のこともあるし…正直、見つからない可能性が高いわけです(苦笑)。去年からはツチノコに縛られるのはやめ、『大人の林間学校』なる取り組みを始めました」
議長の諦めがツチノコの油断を生む奇跡にかけるほかないのか―ー。
(撮影/ボールルーム)
■週刊プレイボーイ45号「UFO ツチノコ 超能力 埋蔵金 UMA×週プレの49年史」では、まだまだある週プレ49年間のミステリーと当事者インタビューがお読みいただけます!