「初めてのちゃんとした仕事が『ビリギャル』原作本の表紙モデルだったんです」と語る、石川恋

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の表紙モデルを務め、注目を集めた石川恋(れん)

当時は金髪のギャルモデルとして活動していたが、今年2月放送の『有吉反省会』に出演し、番組企画で清楚(せいそ)な黒髪に変身。そのギャップがネットで話題となり、本格的に人気に火がついた。

その後、水着グラビアにも挑戦し、ついに発売中の『週刊プレボーイ50号』では表紙&巻頭グラビアを飾ってくれた!

ここまでの道のりは順風満帆ではなく、実は多くの挫折を味わってきているという、知られざる半生をインタビューで初公開!

■ビリギャルじゃなかった! 学生時代は優等生

1993年7月18日、彼女は栃木県栃木市で生まれた。幼少時代のちゃんは、負けず嫌いではあったものの自己主張が強いタイプではなかったという。まずは恋ちゃんの母・美由紀さんが振り返る。

「例えば、幼稚園のお遊戯会。恋は本当は主役を演じたいと思っていても、それをハッキリと伝えることができないんですよ。ただ、いじらしい一面もあって、幼稚園のバザーでソフトクリームを買ってあげた時、嬉しくて走り回っていたら砂場で大転倒。体中、砂まみれだったのにソフトクリームだけは大事に守っていて。すごく誇らしげな表情をしていたのが印象的でした」

そんな内気な性格は小学校に入ってからも変わらない。感情を表に出すのがちょっと恥ずかしく、苦手だったのだ。

「小学校では陸上部に入って、走り高跳びをしていました。ずっと学校では一番だったんですが、小学6年生の最後の陸上交歓会(地域の小学校が集まる大会)で同級生に負けて3位に…。そのコには『おめでとう』って言ったけど、家に帰ってから大泣きしました」

スポーツにも勉強にも一生懸命だった彼女。小学校卒業後は、母親の勧めもあって私立中学校に進学した。

「私はどっちでもよかったんですが、その学校の制服が真っ白のブレザーと赤いスカートで、練乳いちごみたいでかわいいって思って(笑)。それも進学を決めた理由のひとつ」

その学校は進学校だったため、彼女も必死に勉強した。毎日の予習復習は欠かさず、学年3位の成績を収めたこともあった。しかし中学3年生になると、急に学校に行かなくなってしまった。

「めっちゃ反抗期だったんですよね。当時、雑誌の『egg』をずっと読んでいて、くみっきー(舟山久美子)に憧れていたんです。同年代のコたちが自由に髪の毛を染めたり、メイクをしているのが羨ましくて、学校に行くのがイヤになっちゃった。その時、一度だけ金髪にしたことがあったんですが、マジメな学校だったから遊ぶ相手もいないし、ただボーッと家にいただけ。悪いことも一切していません(笑)」

彼女が通っていた学校は中高一貫校で、本来であれば国立大学を目指す特選コースに進む予定だった。しかし、彼女は自ら普通科を選んでいる。

晴れてギャルになれると金髪に…

「親バカと思われるかもしれませんが、中学2年生までは本当に一生懸命勉強していて、東大に入れるんじゃないかって淡い期待を寄せていたほど。けど、急にヤル気をなくして普通科に行きたいと言う。その時、ひとつだけ約束したんです。それは『学校は休まず行って、ちゃんと大学に進学する』ということでした」

高校ではチアリーダー部に入り、母親との約束も守って休まず授業に出続けた。

「中学校時代と違ってめっちゃ楽しかったんです。チアリーダー部の練習は過酷でしたが、みんなで目標に向かって頑張ることが好きだった。高3の時に副キャプテンに選ばれて、部員をまとめる大変さも味わいました。最後の発表会で他のメンバーのスタンツ(組体操のように人が上に乗る演技)が崩れた時は本当に悔しくて、終わった後に号泣しました」

充実した高校生活の傍ら、ギャルへの憧れも失わなかった。とはいえ、再び金髪に染めることはなかった。

「お小遣いを貯めて金髪のウイッグをたくさん買ったんです。それをかぶって渋谷に遊びに行っていたんですが、今思うとウイッグってバレバレ。かなり恥ずかしいですよね(笑)」

無事に大学進学が決まった彼女は、高校の卒業式の翌日に美容院を予約する。

「東京の大学に行くし、晴れてギャルになれると思ったんです。金髪に染めた時は本当に嬉しかったなぁ」

■悩み続けながらグラビア撮影

大学に入学すると居酒屋でアルバイトを始め、彼女は自由奔放にギャル生活を謳歌(おうか)していた。そして大学1年生の10月、現在の所属事務所にスカウトされる。しかし、ここからが挫折の始まりだった。

「自分で言うのもあれですが、栃木にいた頃はちょっと自信があったんです。でも、いざ事務所に入ると、周りはかわいい女のコがいっぱいいるし、私よりも断然痩せていた。ギャル雑誌の専属モデルのオーディションを受けても不合格ばかりで…。それにあの頃はモデルとしての自覚があまりなくて、そこまで本気じゃなかった」

そんな彼女を見かねた当時のマネジャーから、こう言われてしまう。「20歳になるまでに雑誌の専属モデルになれなかったら、もう諦めろ」と。

「その言葉が悔しくて、とにかく痩せようと思ったんです。ほとんどご飯も食べず、ダイエットを頑張ったんですけど、やっぱり専属モデルにはなれなかった。その時、大学2年生だったし、モデルの道は諦めて、3年生になったら就職活動を始めようと思っていました」

そんな中、マネジャーからある一通のメールが届く。「書籍の表紙モデルを募集しています。興味がある人は返信ください」という内容だった。それが『ビリギャル』の仕事だったのである。

仕事が入ってもバイトを最優先

「メールには『ビリギャル』って書いていなくて、あまりピンとこなかった。けど、いつもは数千円のギャラしかもらえないのに、その仕事はちょっと高かったんです。だから、頑張ろうって(笑)。合格したって言われた時も嬉しかったというより、ちゃんとした仕事だっていう思いのほうが強かったです」

後に『ビリギャル』は大ベストセラーになるが、そこで彼女の仕事が劇的に増えたかというと、そうではなかった。以前と変わらず、アルバイトに精を出す毎日だったという。

「バイトは働いた分だけお給料も増えるのでヤル気があったんです。でも、モデルの仕事はどう頑張ったらいいかもわからなくて。『ビリギャル』の後、グラビアの仕事を2回やらせてもらいましたが、正直、そこまで楽しみを見いだせなかったんです。マネジャーからスケジュールの確認がきても、バイトを最優先。『バイトを休みたくないし遅れたくもないです。無理です』みたいな返事をしてしまっていて。ホント、ひどいですよね」

そして芸能界に見切りをつけようとしていた今年2月、『有吉反省会』への出演が決まった。

「TVに出られるのは嬉しかったんですが、番組企画のみそぎで黒髪にすると聞いて、それが本当にイヤで。美容院に染めに行った時は、めっちゃ泣きましたよ。すぐに金髪に戻そうと思っていたんですが…」

しかし放送後、ツイッターのフォロワー数がいきなり1万人以上増える大反響に。もはや金髪に染め直すことができなくなってしまった。

「そうこうしているうちに週プレさんから水着グラビアのオファーをいただいたんです。でも、当時はまだグラビアがどういうものかわかっていなかったので、撮影現場でも“やらされている感”が強かった覚えがあります」

そして週プレにグラビアが掲載されるや、出演オファーが殺到。瞬(またた)く間に青年マンガ誌の表紙を飾るまでになる。

「今だから言えますが、最初の頃はずっと悩みながらグラビアをやっていたんです。ファッション誌の専属モデルになる夢も捨てきれなかったし、私の将来、どうなっちゃうんだろうっていう不安もあった。けど、グラビアの仕事をたくさんいただく中で、私が本気にならないと皆さんに失礼だと思うようになったんです。それでバイトも辞めて、この仕事で頑張るって決心しました。

今はグラビア撮影が大好きですし、スタッフさんや、父親のように見守ってくれる今のマネジャーのおかげで今の私があるんだってわかった。来年は大学も卒業するので、とりあえずは社会人としての自覚を持ちたいです!」

◆石川恋が表紙・巻頭グラビアに登場! 『週刊プレイボーイ』50号(11月30日発売)でご覧いただけます!

●石川 恋(ISHIKAWA REN)1993年7月18 日生まれ、栃木県出身。血液型=O型。『石川恋カレンダー2016』が発売中。女優・モデルとして活躍し、最近はバラエティ番組にも多数出演。最新情報は公式ブログをチェック!【http://ameblo.jp/anna6969/】

(取材・文/高篠友一 撮影/樂滿直城)