2015年11月15日、大・大・大プロレスファンであることを公言してはばからないファンキー加藤(元FUNKY MONKEY BABYS)の心は、東京・両国国技館に翔(と)んでいた。
日本でただひとり、ジャンアント馬場、アントニオ猪木からピンフォールを奪った男、“ミスタープロレス”天龍源一郎のラストマッチ。そこには相撲から始まり53年の間、ずっと闘い続けてきた男の生き様が描かれていた。
「本当に腹いっぱいのプロレス人生でした。オレは本当に幸せ者です。もうこれ以上、望むことはありません。みんな、ありがとう」
万感の思いを込めたひと言ひと言が加藤の心に染みた。
それから12日後、東京・江東区にある新木場1stRINGで、初めて相まみえたファンキー加藤と天龍源一郎が、“男の生き方”について語り合った。
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加藤 53年間、本当にお疲れさまでした! 試合直後、「これからは時間ができるので、あれこれ思うこともあるだろうけど、今は意外と何もないです」と話をされていましたが、あれから12日たって、今はどうですか。
天龍 加藤さんとの対談に備えて、昨日の夜はぐっすり眠ったんだけど、引退した直後は夜中にパッと目が覚めて、あれっ、今日はどこで試合するんだったっけ?と思ってしまう自分がいて。あっ、オレ、やめたんだと。で、4日目くらいになって、やっともう練習をしなくてもいいんだと思えるようになって。そうなってから初めて、引退したんだという実感が湧いてきましたね。だからというのも変だけど、今はすごく気楽ですよ。
加藤 ファンとしては寂しいような、ホッとしたような。特に僕は天龍さんの“グーパンチ”が大好きで。親父のゲンコツみたいでカッコいいなぁとずっと思っていました。
天龍 何度かツイートもしてくれていたんですよね。ありがとうございます。
加藤 とんでもないです。何度も言いますが、僕はプロレスが大好きなんで。
「なんだこの野郎!」って心の中で…
天龍 ずっと昔からの、筋金入りのファンなんですよね?
加藤 小学生の頃からずっとです。中学の進路相談でも、先生に「プロレスラーかミュージシャンです」と答えたくらいで。昼はバンドの練習をして、夜は筋トレ。今は音楽をやらせてもらっていますが、いまだにプロレスへの憧れがやまず…あの時、果たせなかった夢を追い続けている感じです。
天龍 これはオレの考えですけど、ミュージシャンとプロレスって、舞台の上にぽっと立たされて、自分の感性で動かなきゃいけないところがあるじゃないですか。そういう意味では、似通ったところがあるんじゃないですか。
加藤 確かに。どっちも人前に立って、背負ってきた人生を、喜怒哀楽をさらけ出す仕事ですからね。
天龍 でも加藤さんの場合は音楽を選んで大正解ですよ。
加藤 そう…でしょうか?
天龍 うん。だって、プロレスを選んでいたら今頃、体がガタガタになっているはずだから(苦笑)。立っているのもシンドイくらい、膝(ひざ)も腰もやられていたと思う。
加藤 ははははは。でも、そうかもしれないですね。プロレスラーの皆さんは大なり小なり、ケガを抱えて試合をされていますもんね。
天龍 怖いのは見えない所のケガなんですよ。膝の関節が緩んできたりだとか、頚椎(けいつい)が神経に触れたりだとか。そういうのがどんどん蓄積されていくと、最後はもう動くのも億劫(おっくう)になってくる。でも、お客さんにはそれが見えないから―。
加藤 思いっきりやじられるんですよね。「ほら、そこだ」とか、「もっと早く動けよ!」とか。似たようなことがライブでもあります。「休むな!」とか「もっと声出せ」とか(苦笑)。
天龍 でも、こっちはそれどころじゃなくて。動くのもシンドイわけだからね。「なんだこの野郎!」って言い返してましたよ。心の中でですけどね(笑)。
■この続き、インタビュー全文は発売中の『週刊プレイボーイ』52号でお読みいただけます。
■天龍源一郎 1950年2月2日生まれ、福井県出身。2015年11月15日をもってプロレスラーを引退。現在バラエティ番組への出演など活躍の幅を広げている。公式サイト『天龍プロジェクト』
■ファンキー加藤 1978 年12月18日生まれ、東京都出身。2016年4月16日に「I LIVEYOU in名古屋」が開催。主演映画『サブイボマスク』は来夏公開予定。詳しくは公式サイトでチェック!
(取材・文/工藤 晋 撮影/熊谷 貫)