2015年11月に亡くなった水木しげるさん。『ゲゲゲの鬼太郎』を始めとする数々の名作を遺した漫画界の偉人を惜しむ声は今もなお止まない。
『週刊プレイボーイ』本誌で対談コラム「大人になってもわからない」を連載中のみうらじゅん氏と“クドカン”こと宮藤官九郎氏が、水木さんの思い出について語り合った。
特にクドカンは、映画版の『ゲゲゲの女房』(10年)で本人役を演じた「水木役者」。生前の水木さんにも一度だけ会ったことがあるという。
「タイトルが『ゲゲゲの女房』っていうぐらいだから、女房が主役の物語なんで、撮影に入る前の段階でまず鈴木卓爾監督と一緒に奥さんの(武良)布枝さんにご挨拶に行ったんですよ。そこで、(水木さんが)貸本漫画を描いてた頃の話とか聞かせてもらって」
水木さんが売れていない頃、奥さんと二人三脚でやってきたというのは、映画やドラマでも描かれた有名な話だ。だからこそ布枝さんは宮藤氏に、
「なかなか日の目を見なかったけど、毎日毎日こんなに机にしがみついて漫画描いてるんだから、いつか絶対に認められるに違いないって信じてて、でも実は漫画の中身はあんまりわかってなかったっていう裏話もあったりして」
その後、しばらくして水木さんご本人が登場。その時に言われたことが、宮藤氏は「今でも忘れられない」とか…。
「開口一番でなんておっしゃったと思います!? 今でも忘れられないんですけど、『映画なんか儲からないだろう?』って、いきなり(笑)。しかも、その後に監督が映画の内容を説明していったんですけど、それに対しては『あぁ、そう』って微妙なニュアンスで流して、気づいたら『だけど、映画なんか儲からないだろう?』っていう話に戻ってるっていうパターンが何回も続いて(笑)。
意外とお金にシビアでいらっしゃるんですよね。で、最後の最後、監督も根負けして『映画は儲かりません。だから私も貧乏です』って言ったら、ようやく水木さん、『ワッハッハ』って笑ってくれたんですけど(笑)」
水木さんと矢沢永吉の共通点とは?
それだけお金にシビアだった理由について、宮藤氏は、「戦場でのひもじさとか、貸本漫画を描いてた時代にすごく貧乏だったっていう経験の裏返しですよね、間違いなく。その時の印象は、僕が役づくりをする上でもすごく生かせたなって思います」と振り返る。
もうひとつ、水木さんの有名なエピソードがある。それは「よく寝る人だった」というもの。
どれだけ忙しくても、毎日必ず8時間は睡眠をとっていたといわれ、手塚治虫(文化賞特別)賞の受賞スピーチでも「手塚さんや石ノ森(章太郎)さんは徹夜続きで早死にしちゃった。自分は半分寝ぼけたような一生だったけど、長生きしてます」というようなことを語っていた。
この逸話について、みうら氏がこう指摘する。
「あとはほら、水木さんってある時期から自分のことを『水木サン』って呼ぶようになったでしょ? 矢沢(永吉)さんが『俺はOKだけど、ヤザワだったらどう言うかなぁ』っておっしゃるみたいな感じで、自分の中に第三者の視点を入れるっていうか。
そうやって『水木サンは今日はもうお疲れだから、寝かせてあげたほうがいいんじゃないかなぁ』みたいな感じで仕事をコントロールすることで、あんまりストレスをためなくて済むようにしてたんじゃないかなぁと思って」
これにはクドカンも「自分の中にマネジャーがいるようなもんですからね。『水木サンが言うんだから仕方ないね』って、周りにも自分にも思わせたら勝ちっていうか(笑)」と納得。
しかし、この境地に達することができる人はそういない。みうら氏が「あの境地に達した人って、今のところ水木さんか矢沢さんぐらいしか知らないでしょ。そういう視点を身につけた人はきっと長生きできると思うんだよね」と語るように、やはり水木さんは“偉人”だったのだ。
発売中の『週刊プレイボーイ』3・4合併号では、もうひとり昨年の物故者の中から野坂昭如さんを追悼、みうら氏が懐かしむ“そんなバカな!”発言とは…。
(撮影/三浦憲治)