「とても急がれる、切実で最も重要なテーマだった」と語るギドク監督 「とても急がれる、切実で最も重要なテーマだった」と語るギドク監督

ベルリン、ヴェネツィア、カンヌの三大映画祭で受賞歴を誇り、欧米でも高い支持を得る韓国の異才、キム・ギドク監督。

2012年には『嘆きのピエタ』でヴェネツィアの金獅子賞を受賞し、さらに評価を高め、日本でも信奉するファンは少なくない。

その新作『殺されたミンジュ』が1月16日から公開。これまでの私的で寡黙な作風から一転、娯楽仕立てのドラマは動的でテーマも国家やテロリズムを取り込んだ意欲作だ。

ある女子高生が路上で惨殺された事件から時が経ち、その実行犯と思われる者たちがひとりひとり、謎のテロリスト集団から制裁を下される。やがて、たどられた糸は国家の暗部まで…。

誰が加害者で、誰が被害者なのか? 韓国社会のみならず、この世界に今生きる空恐ろしさとそれに抗する難しさをギドク監督に独占インタビュー!

―韓国での原題は『One on One』、1対1というタイトルですが、これは文字通りなんでしょうか?

キム 最初からそれで決めていました。人間はひとりひとりが尊い存在。今のこの世の中はお互いに尊重しあって生きられる社会なのか?という問いかけを込めたんです。

―前作もですが、今回も主演のキム・ヨンミンにひとり8役を演らせています。誰しも自分がその立場になり得るという暗示だったりしますか?

キム それもあります。一方では、みんな同一の権力なのではないかという風に捉えたんですね。誰かが誰かを抑圧するというのは形は違えどもそれぞれが権力になりうると。

テロリスト側には留学から帰国したけれど就職につけない自動車整備工などがいますが、彼らを抑圧するのは家族や職場の上司であったり様々いて8役を演じているわけです。それを演劇的に表現してみたらどうだろう?と。危険な試みでもありましたけど、結果的には良かったと思います。

―今まで監督は個人の孤独であるとか、闇を扱ってきた印象ですが。今回はより大きい国家であるとか権力にテーマを見出したのは、それだけ今の社会状況に感じるものがあるのでしょうか?

キム 仰る通り、今までは個人の欲望や逸脱であり、様々な人間の感情を描いているとすれば、今回は国家と個人というものを描いていて、シナリオを書く時からこれまでの作品のやり方とは違いがあるので悩んだりもしました。

でも今撮らなければいつ撮るんだという思いが先立って、私にとっては、とても急がれる、切実で最も重要なテーマだったのです。今この世の中で感じる最も大きな矛盾であり、一番心に感じるところでもあったからです。

手遅れになる前に気づいてほしい…

 『殺されたミンジュ』より 『殺されたミンジュ』より

―それゆえ、観ているこちらも冒頭から怖さを感じたんですが。常に我々は陰の存在に支配され、大きな権力によって知らず知らず翻弄されているというか。その恐ろしさをご自身も意識されてるのでしょうか?

キム 私自身もそういった感情を持ったことでこの映画が始まっているんですね。韓国という社会に生きている中で、不正や腐敗が多くあったとしても誰もそれに対して声をあげない。不利益を被ることを恐れているというのもありますし。妥協して生きている部分も大きいと思いますけど、そういう心構えが今、蔓延(まんえん)してると思うんです。

それに対し、このままでよいのだろうか?という思いが強くあって。その問いかけをこの映画を通じてしたかったのです。それでこのオープニングでは恐怖、すごく恐ろしい勢力によって女子高生が殺害されるシーンから始まっているんです。

―政治的なメッセージよりは本来、個々の感情を掘り下げるスタンスでこられたと思うんですけど。仰ったような危機感であり、韓国人全般の潜在的意識が閉塞感に苛(さいなま)れているがゆえ、このテーマに突っ込まざるを得なかった?

キム 韓国社会がそのような状況にあるというのは多くの人が感じているところだと思います。映画の中ではテロリストというキャラクターとして描かれていますが、その多くは力のない人々や辛い労働をしている人々、社会の中でこれといった立場のない人々です。

そのような状況に置かれることは往々にしてあるでしょうけど、私の場合は生活には困っていませんし、名を知られているにも関わらず、やはり不安、得体の知らない恐怖がとても大きくなっていると感じます。経済的な面で困っているかに関わらず、もっと手遅れになる前に気づいてほしいという希望を込めて撮っているんですが…。

―韓国に限らず、世界中が直面する問題ともいえますが。なかなか伝わらない、変革がなされないもどかしさが?

キム 実際、韓国ではこの映画があまりヒットしていないので。私の希望は叶っていませんね。でも改めてそれが現実でもあると思うんです。いろんな矛盾を抱えながらも、そして韓国の民主主義が後退している状況にありながらも皆がそれを直視せず暮らしている…今の状況を表しているのではと。

―海外では多くの賞を総なめにし、評価されているのに製作資金が集まらないであるとか。自身がカメラを持って撮影もやられたり、低予算・最小限の撮影日数であるとか。そういった撮りづらさやヒットに繋がらないことへの忸怩(じくじ)たる思い、葛藤を抱えつつやられてるのでしょうか。

キム そういう見方はできると思います。私が最も辛かった時期は日本から出資を受けて映画を作ることができたんですね。例えば、『うつせみ』(04年)ですとか『絶対の愛』(06年)は5千万円という出資で完成させることができました。

当時、それだけの規模の映画も撮れない時期だったのですが、作れるような状況にしていただいたことで、また国際的な評価に繋がっていって。そういった蓄積があったお陰だと感謝していますが。今もやはり大規模出資というのは厳しい状況にあります。

予算が確保できずに諦めざるをえないことも

―経済情勢もですが、理解を得られない実状そのものが問題の深刻さをまた現している気がします。

キム そういった理由もあり、海外からこれまで得た収益や貯蓄を使いながら、最小限の費用で撮り続けているのです。『嘆きのピエタ』でもそうやってね。しかし、そんなやり方でも撮り続けられること自体はすごく恵まれているし、幸いなことだと。韓国で投資が得られないことを寂しく思うより、彼らは彼らで収益を出すことが目的ですから仕方のないことだと。

―自分が撮りたいものを誰に左右されることなく、すべて自分の権限で表現することが第一義だとすると、今のやり方が合ってるとも言える?

キム そう仰っていただいたことは私が先に答えるべきことでしたね。資本から自由でいられてこそ自分の考えていることをそのまま全て盛り込むことができるのですから。ただ、予算が確保できないことで諦めざるをえなかった作品もあったんで。時には資金を調達してという必要性もあると感じています。

監督は自らの思考の中で成長していき発展していくものですが、でも同じことを資本家の方達がやるのは別問題であって。彼らはマーケットの中でいかに成功できるかを追求するわけですからね。この折り合いをつけるのは難しいことです。

―そういう意味では今回、政治的なテーマも理由でしょうが、いつも寓話的な描き方をされるのともまた違い、舞台劇を観ているような感覚で、リアリズム重視より娯楽的な描き方になってる気もしますが…?

キム それはやはり資金の問題と政治的な部分と両方あったように思います。政治的にはこの元になった事件を実際そのまま描くとやはり問題となるので寓話的に、ある種、演劇的に表現する意図があって。もうひとつは、限られた予算の中で撮らなければならないということで少し拙(つたな)かったり、粗っぽく見えるところもあるかもしれません。

そういった限界を感じさせない見せ方はしているつもりですが、この映画が韓国で公開された時、あまりにもシーンが演劇的だし、もう少しリアリティに基づいたディテールが必要なのでは?という意見があったんです。ですが、そういう映画を撮るためには数十億ウォンって予算が必要になってきますし。

そうなった場合にどちらが結論的に正しいのか? 費用が増えれば、それだけ回収するために有名俳優をキャスティングしなければならない、物語もより普遍的なものに変えていかなければならない…。そのどちらかを選択する時に、演劇的な要素の見せ方があったり、寓話的であるほうが私は正しかったのだと考えています。

撮れば撮るほど謙虚でいなければいけない

―では最後に、監督は一時期、隠遁生活のようにお籠(こ)もりされた時期もありましたが。このような状況で今また嫌気がさして、全てを放り出して孤独な世界に飛び込みたいとか、違う方向に行きたい思いが押し寄せたりはないですか?

それは今は全くないですね。非常に大きな製作費がかかる大作なのですが、次の映画が中国で準備されていて。私を信頼して投資してくれる話ではありますけど、果たしてそのお金の価値に見合った映画を撮れるかという恐れ、不安はあります(苦笑)。

これまで貧しく耐えた環境の中で撮ってきましたけど、今後はもし資本が確保されるのであれば、もっとグローバルな素材でという思いがあるんです。自国にとどまらずにもっと欧米の大きなマーケットで成果を出せるような、同時に意味もある映画を撮りたいという。

―同じやり方では、もはやどうしようもないという反動ですかね。

キム とはいえ、韓国で評価されず、観客が少ないことにそれほど不満を感じているわけではないんですよ。商業化されたマーケットの中で、低予算で映画を作っている監督であれば誰でも経験することですし。それにも関わらず支持してくれるマニアがいることにとても感謝していますしね。

まあ後は、体力が以前のようではないので、今のこの体力でこなせていけるかという心配もありますが(苦笑)。

―いやいや、その腕っ節を見ればまるで問題なしかと(笑)。逆に作品で暴力を扱われていたり、もっと激情的な方なのでは?というイメージと異なり、本当に穏やかに語られるのが意外ですよね。

キム 映画を撮り始めた頃はそういった面もあったと思うんですけど(笑)。撮れば撮るほど謙虚でいなければいけない職業だと思っています。怒ったりすることはあまりないですね。韓国では“興奮したら負けだ”という言葉もあるんですよ。自分自身の戦いだと思って頑張るしかないんです。

―では、次回の中国資本の大作も楽しみにしています。ありがとうございました!

●『殺されたミンジュ』は1月16日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国順次公開

■キム・ギドク(KIM ki-duk) 1960年生まれ。96年に『鰐~ワニ~』で監督デビュー、『悪い男』(01年)、『サマリア』(04年)など独自の世界と衝撃的な描写で注目され、以後も作品が発表されるごとに常に国内外でセンセーショナルな波紋を呼ぶ異端のカリスマ

(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一、撮影/五十嵐和博)