真田家に詳しい歴ドルの小日向えりさんにドラマをより楽しむため、真田家の逸話を教えてもらった

放映2回目には視聴率20%を記録し、上々の船出となっているNHK大河ドラマ『真田丸』。

視聴者の評判も概(おおむ)ね好意的で、現在は本能寺の変で織田信長が倒れ、「織田の家臣だった真田家は、今後『北条』『徳川』『上杉』のどこと組むのか」という、序盤の盛り上がり場面にさしかかっているところだ。

だが、歴史好きの人ならば、真田家の父・昌幸、兄・信之(信幸)、弟・幸村(信繁)がどんな人物で、どんな運命をたどったかはよく知っているはずでも、ほとんどの人は“真田幸村〟の名前は聞いたことがあっても、父や兄など名前も聞いたことがないだろう。

そこで真田家に詳しい歴ドルの小日向えりさんにドラマをより楽しむため、見ていなくても居酒屋トークなどで盛り上がるため、今からでも知っておきたい真田家の逸話を教えてもらった。

今回は、まず父の真田昌幸について紹介しよう。

「真田昌幸は天才的な策略家です。その知略によって逆境を乗り切っていきます。信長の死後は北条、徳川、上杉の三者間をうまく立ち回り、家康からもらった資金で自分の城(上田城、現在の長野県上田市)を造ってしまう。

そのため“ひきょうの者”と呼ばれます。ただし、現在の『卑怯』ではなく『比興』(『おもしろい)という意味)で、当時の戦国大名たちも昌幸には一目置いていました。

昌幸の有名な逸話といえば、2度の上田の合戦。『第1次上田の合戦』は信長の死後、北条、徳川、上杉と渡り歩いた後のことで、2千人弱の兵力しかなかった真田家の上田城に、その3倍以上の7千人の徳川軍が攻め込んできました。すると昌幸は少人数のおとり兵を城から出して敗戦を演じさせ、徳川の大軍を城内におびき寄せます。

そして場内の狭い場所まで連れ込んで、身動きが取れなくなったところを弓や鉄砲などで一気に攻撃。その結果、徳川軍は1500人ほどの死者を出し、逃げ帰りました。

関ヶ原の戦い直前の『第2次上田の合戦』は、3万8千0の徳川秀忠軍と2500の真田軍との戦いです。大軍を前にした昌幸は『降伏する』と言いながら、何日たっても降伏しない。そこでイラだった秀忠に対して、また少人数のおとり兵を出し、城下に誘い込み一気に攻撃します。この戦いによって、秀忠軍を7日ほど上田城に足止めさせ、関ヶ原の戦いに合流するのを遅らせたのです」

草刈正雄演じる真田昌幸は、どことなく飄々(ひょうひょう)として見えるが、実は徳川軍に2度も勝ち、「徳川家康が最も恐れた男」と呼ばれた人物だったのだ。

では、その息子たちである、信之、幸村はどんな逸話を残したのか? 発売中の『週刊プレイボーイ』9号では、この息子たちの逸話も「真田家の謎」とともに紹介。ドラマを観ている人も、観たことのない人も会話のネタにチェックしてみていただきたい!

(取材・文/村上隆保 撮影/佐賀章広)

■週刊プレイボーイ9号(2月15日発売)「戦国時代、一番無名なのは真田幸村だった!」より