66歳にしてエネルギッシュ&パワフル! まさに奇跡的な松崎さんの驚きエピソードとは… 66歳にしてエネルギッシュ&パワフル! まさに奇跡的な松崎さんの驚きエピソードとは…

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、芸人のビートきよしさんからご紹介いただいた第17回ゲストは、歌手の松崎しげるさん。

すっかり“日焼けキャラ”も定着し、9月6日は日本記念日協会から“96=クロ”にかけ「松崎しげるの日」に認定されるほどだが、今回そのネタは封印することに…。

すると、幼少時からマイヒストリーを遡(さかのぼ)り、時折、生歌&エアー演奏まじりのエネルギッシュなトークとなった、その先はーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―ではその頃、ちょっとした取り残された感があったんですか。

松崎 そう、そのうち今度は宇崎竜童クン、当時は木村修司クンがさ、ダウンタウン(『ダウン・タウン・ブギウギ・バンド』)作って、また上をひゅ~って超えていったわけよ。「あれ? 俺のマネージャーまで行っちゃったよ、おい…」と思って。で、ちょっと路頭に迷ったんだけど。

俺、その頃、コマーシャルソングばっかりだったわけ。1曲歌うともう帰ってくるわけよ、3万円の封筒をもらって。その取っ払いも事務所に渡さなくちゃいけないんだけどさ。俺の給料、半額くらいだから。

で、あいつらが売れて、参ったな、どうしようって。けど、あるきっかけでね、俺もうTVも出るのやめようと思って。まぁその頃、TV出ないのも最高にカッコいいって、ひとつのファッションでもあったからさ。

―ありましたよね、吉田拓郎さんとか。その後の大人気番組『ザ・ベストテン』でも松山千春さんなんかがずっと出演辞退したりも…。

松崎 だけど、ソロ歌手になった以上、何かしがみついてでも頑張ってみようかなって思う気持ちも半分あったわけ。で、自分にはね、すっごい自信あったのよ。「な~にを~、今に見てろ、おまえらよぅ!」っていう気持ち。

―少年時代の野球もですが、何か自分に対する根拠のない自信というか、ポジティヴさは常に?

松崎 うん。で、事務所に内緒でクラブで毎日のように歌ってたから。それでも全然ダメなのよ。CMの仕事は入って、給料も4万6千円くらいになったんで、スタジオワークっていうのが僕の芸能界かなと。これでいいと思ったりね。

それがさ、俺の声が朝から晩まで(TVから)何十回も聞こえてくるのよ。それこそコカコーラのだったら、「うちのママは冴えてるママ! 冴えてるママのコカコーラ♪~」とか、一番最初のマルイが「小さなきっかけで、大っきな和気あいあい♪ あいあいあい♪」とかね。「おぉ、俺の歌だよ、お袋、コレ俺が歌ってるんだよ」「そうか~」って。

―また貴重な生歌を(笑)。しかも確かに子供の頃に聞いたことあります!

松崎 そうそう。だからそれがなかったらね、折れてたかもわかんない。で、コマーシャルソングの帝王としてさ、何百本も歌ったっていう。そのうちに、そこからレコード化ってのがあってね。グリコアーモンドチョコレートのやったら、それがアイドルがみんな出てたの。で、俺が常にバックで歌ってるんだけど、そのレコードが欲しいっていう風になったわけ。

コマーシャルソングって俺の好みに結構合ってたんだよね、ポップで。これだったらいいって、レコード出した途端に売れたのよ。松崎しげるがわからなくても、曲だけひとり歩きしていったの。で、次の曲ってなった時に『私の歌』っていうのと『愛のメモリー』がポンっと出たんだよ。

『私の歌』はその時のCMが三浦友和で、ファンが絶対欲しいってどんどん…。で、『愛のメモリー』に関しては、海外の音楽祭で俺が歌って、第2位獲った曲で。絶対、レコードにしたいなと思ったら、「こんな難しい曲、皆が歌えるような口ずさめるような曲じゃないとダメ」って言われたんだけどさ。

「芸能界の裏を知っちゃった27歳ですよ」

―ええっ、あの曲が難しいって言われたんですか?

松崎 うん。で、大阪に仕事行ってる時に、俺いつもテープ持ってたからさ、あの頃はカセットテープ。電通のいつもお世話になってるグリコアーモンドチョコレートの部があって、ちょうど新しい友和のCMの曲をこれにするか、あれにするかってやってたんだよ。

で、聞いてもらったら、サビの「美しい人生よ、限りない喜びを~」で「コレ、いいじゃん! ねぇねぇコレにしよう!」って。「歴代3曲やってるから4曲目も松崎くんのこれでいいじゃない」って推してくれて。CMソングになるってレコード会社に話をしたら、もう手の平返したように「いや、いい曲だね~」とかって。

この野郎、冠(かんむり)付けばなんでもいいのかよ!と。芸能界の裏を知っちゃった27歳ですよ。いつか殺してやろうと思ったけどさ(笑)。

―ははは、いや~でもようやく『愛のメモリー』まで歴史が行き着きましたよ(笑)。

松崎 お~、やったやった!

―(笑)、ほんとこのまま自叙伝ができてしまう勢いでしたから(笑)。

松崎 そうそうそう! でも、俺のプロフィールがわかんねーとつまんねーじゃん! 一部だけやっぱりピックアップしてもさ。

―でもこうして伺うと、ご自分の前向きな気質が呼び込むのもあるでしょうが、やっぱりいい巡り合わせがくる何かをお持ちなんですね。

松崎 素敵な仲間は必ずいたよね。それで助けてくれたんじゃなくて、尻を引っぱたくぐらい感化されたしね。だからいいライバル意識を持って「あいつができて、なんで俺ができないの?」みたいな。

―ちなみに人を惹き付けるというか、“黄色い歓声”を呼び込むオーラみたいなのも自覚されたりは?

松崎 もしかしたらあったのかもしれないし。なんかいつもステージではさ、冗談混じりに言うのが「俺のルックス、俺のプロポーションで誰も人は放っとかないよな」みたいなことはあるよな!

―あはははは。さすがです!

松崎 そのぐらい前向きでいたかったしね。だから、一番売れなかったあの時代、下積み生活も一番楽しかったし、笑い話になるのよ。銀座で飲んでたのも、あの頃が一番多かったもん。もう毎月200万以上飲んでたからね、本当に。

―下積みでそれですか! 誰かに連れ歩かれてとかではなく?

松崎 連れ歩いた! で、ちょうど悪いことにうちの事務所が銀座のNo.1だった店の斜め前にあったの。「やっぱり一番の所じゃないとな」ってね。「行くんなら一応カルティエのスーツ着ていこう」って、スーツびしっと着込んでさ。金もないのに。

でも、いい女いるしさ。最高じゃん。電話番号聞いちゃ、たまにこうやってああやって、うまくいけばできるしさ!

「男が喜ぶことに関して1回は経験しよう」

―ははは、言っちゃいますか~。でも モテたいとか特にガツガツいかないでも、昔から普通に「俺、モテるよな」とか「俺、カッコいいじゃん」っていうのは?

松崎 ないよ! 全然ない!

―え~、そうなんですか(笑)。

松崎 あのね、なんて言うのかな、きっと勘違いなんだよ。モテてるっていうのはね、まず雰囲気。売れたら本当にそうだけどさ! それこそ、おはぎにウワーッってハエが寄ってくるように女のコ寄ってきたから。

―ははははは! その表現がなんとも…(笑)。

松崎 今、おはぎしか浮かばなかったの(笑)。

―いやいや、そっちよりハエ扱いっていうのが(苦笑)。

松崎 そうそう、うわーって。だって、あの頃は完全に田植え状態だったよね。もう本当にバンバン植えてたから(笑)。それでもやっぱり自分でわかってたしね、こういうことでは俺は絶対に身を滅ぼさないぞって。

先輩の背中いっぱい見てたからさ、女でとか、飲んで身を滅ぼすとかあるじゃない。で、俺も取り立て屋が来るぐらい、1千万近い借金があった時でも、全然屁(へ)とも思わなかったもんな。

―なんでしょうね。その根本的な楽天思考というかポジティヴさは。

松崎 いや、それじゃないとね、生きていけなかったのよ。でさ、男が喜ぶ娯楽施設ってあるじゃない。飲み屋にしてもクラブにしても、あの頃でいうトルコ、今のソープランドもね。俺、経験こそ宝だと思ってるから。男が喜ぶことに関して自分は1回は経験しよう、ハマってみようって。

―ギャンブルとかではないんですね。

松崎 ギャンブルは全くしない人なの! 面白いでしょ? 飲み屋と違って、そういう同じ場所では1時間もいられないもん。だけど、そこ行ったことによって自分が得る経験はでかいと思うけどね。

何か物事をする時にさ、楽しもうって思って行くのと、大変だよなぁって行く仕事と違うだろ? あの人に会える!って、なんかワクワクした気持ちでやったほうがいいかもわかんないしさ。「明日スケジュール大変なんですけど、北海道で…」「北海道いいね! いい女いるかな」って、まずそこがパッて頭に浮かんだりさ。

―(笑)。いやでも、本当に落ち込んでるとかダウンしてる姿を想像しにくいです。

松崎 いやいやいや! まぁね、こんだけテンション上がる一方の人なんだけど、だから逆に落ち込みはすごいよ。めっちゃめちゃに泣きじゃくっちゃうとか、そうなるもん。俺、西田敏行と何回泣いたか、うん。アイツはもう泣き癖がすごいからさ。

酒飲んで、「おい、松、おまえな、これがこうでな、こうなんだよ~わかったか~おまえよ~(西田さんのモノマネをしながら)」「なんで泣いてんだよ! おまえが泣くと俺も泣くだろ、バカヤロー!」とか言いながら。

「まぁ理不尽な世界だなって思うよね」

―泣いてるのもテンション高そうですけど(笑)。

松崎 そう! だけど、まぁ悩み事とか、もしあっても立ち直りは早い! ドカーン!と心の中で自分を閉じ込めて爆発しちゃうの。で、「あ~ダメだ、もうやめやめやめ!」って。それこそ、明日は明日の風が吹くじゃないけどさ。

それもやっぱり人を見てたからかな。同じ業界の先輩の背中を見ながらさ、俺がこうだったら、絶対ここで落ち込んじゃダメだなとか。反省することも必要だし、それもひとつの宝物にしなくちゃいけない。俺の親父がいつも言ってた「経験こそ宝だ」っていうさ、俺の座右の銘なんだけど。

男の子はなんでも経験しろと。いい事も悪い事も。で、悪い事でもね、それが絶対に宝物になるし、いい事したら余計、宝物になるから。ただ、経験しないで物事言う最悪なダサい男の子にはなるなって。

―いい父上ですね。でも、この業界に長年いたら、悲喜こもごも尋常じゃない浮き沈みを見られてきたでしょう。

松崎 そりゃ、理不尽だもん。まぁ理不尽な世界だなって思うよね。おいおいおいって。でも、そういうことも逆にバネになってるのかな。よっしゃ見てろよ!っていう感覚なんだね。

―いちいち落ち込んでたら、潰されて負けそうになっちゃいますもんね。そんな中で、常に明るくパワフルなキャラで、いい年齢で子供を作られたり(笑)、松崎しげる像を世間に認知させてきた印象ですが。

松崎 う~ん、まぁね、自分のキャラ作りのためにやってるわけじゃないんだけどさ。ただ、真っ直ぐストレートに生きると、そういうものになってくるっていう。自分に嘘つくわけにはいかないんで。もし俺が嘘の発言をすると、知ってる人が「なんだよ、こんな嘘ばっかり」って思うじゃん。それが嫌なんだよ。

―(笑)。ただ、そういうストレートな生き方をみんなできないから生き辛いというか。それができること自体、羨ましいのもあるわけですが。

松崎 かもしれないね。自分の体からそういう鎧(よろい)が解き放たれると、こんなに楽しくて、楽な人生ないよ。まぁ、昔みたいに遊んだ遊んだっていう豪傑がいなくなったことも確かだよね。今の隠れて遊んでる連中が可哀想でしょうがないもん。

俺らみたく、青春謳歌(おうか)したみたいな。そんなのが少しでも出てきたらもっと楽しいんだろうなって思うんだけど。まぁ時代でそれはしょうがないのかね。

―なんか、最初に歴史から伺ったそもそもの気質もですが、ご両親から受けたものであるとか、常に松崎さんには愛が満ちあふれてるような感じですね。

松崎 あるね、それは。

―そんなオーラに包まれてるような。ちなみに、占いとかに興味持たれたりは?

松崎 全然ない! それはさ、自分の生き方、自分で決めるんだからって必ずそう思ってるから。信じないっていう言葉が一番合ってるかな。ただ、朝の番組でやってるじゃない、今日のラッキーカラーはブラウンとか。お~OKOK! ブラウンの服着てるよー!って。そういうものには敏感だよ。

それでオレンジって書いてあったら、オレンジを着ようなんてタイプじゃないけどね。悪けりゃ悪いなりに自分で考えればいいしさ。そんなものいちいち信じてたら自分が生きられないもん。そういうものでいいんじゃない? 

次回のお友達は、あの愛称で知られる女優の…

―それこそすごい守護霊がついてるとか、オーラがとか言われたことは?

松崎 ないね。たまに飲み屋にいる時にさ、「やっぱり芸能人はオーラがあるね」とか。「どこに出てるんだよ!」って(笑)。まぁそうやって言われる分には悪い気はしないけど。守護霊があーだこーだっていうのは、俺の耳ではシャットアウトしてるよね。

―では、元気の源とか、若くあるために何かされてることとかは。

松崎 よく聞かれるけど、まず俺はもう完全に暴飲暴食なんですよ。66になっても大体、普通に毎日5合、酒飲んで。進めば一升飲んじゃうじゃないですか。全然OK!

―超人のような…(苦笑)。では、ついに最後まで触れないでこれましたが、やっぱり日焼けが健康の秘訣なんでしょうかね。

松崎 かもしれない。で、俺、こんな色黒いじゃない。そうすると普通さ、紫外線とかで絶対にしみそばかすみたいに言われるでしょ。でも7年前に番組でX線使って調べたのよ。普通はみんな、(しみの個数が)40~60ぐらいとかあるんだって、見えてないけど。で、俺はここに1コしかないの。

それ聞いた別の番組でもう一回皮膚科に行って、またやってみてさ。そしたら、1.03だって。1コあって、ちょんって。一緒にいたADの女のコは60何個。それでも普通ですよって。

―奇跡的な存在ですね(汗)。松崎さんの細胞とかDNAから何か医学の常識を覆(くつがえ)す発見とかあるのでは…(笑)。

松崎 そうそう! すごいんですよ! 太陽の光がなかったらビタミン吸収だってできないもん。野菜だって、いい色には育たないんだから…。でもさ、変なものは打ってないよ(笑)

―ははは、アブない話題ですね(笑)。では最後にお友達を御紹介いただければ。

松崎 女のコがいいか? 芳本美代子かな。みっちょん、面白いよ。ちょうど世代じゃない?

―はい、近いですね。からっとして、性格も男ウケしそうなイメージですが。

松崎 会うと、いつも飲み行こうよって誘って、口説いてるんだけどさ!

―(笑)。久々に女性でありがたいです! では繋がせていただきますね。本日はありがとうございました。

第18回は2月28日(日)配信予定! ゲストは女優・タレントの芳本美代子さんです。

●松崎しげる 1949年11月19日生まれ、東京都出身。大学時代から日高富明、堀内護とバンド活動を始める。その後、1970年にソロとして活動を開始。1972年『グリコアーモンドチョコレート』CMソング『黄色い麦わら帽子』が大ヒット。1977年には『愛のメモリー』も大ヒットし、紅白歌合戦に初出場。2015年には日本記念日協会から9月6日をクロのゴロ合わせで「松崎しげるの日」として認定された他、「黒フェス~白黒歌合戦~」なる初の主催フェスを開催するなど現在も勢力的に活動。ソロデビュー45周年記念アルバム『私の歌~リスペクト~』が好評発売中

(撮影/塔下智士)