「オカルトは社会の“鏡”として生まれてきたものであり、その意味を考えることは人間を知ることにつながる」と語る前田氏 「オカルトは社会の“鏡”として生まれてきたものであり、その意味を考えることは人間を知ることにつながる」と語る前田氏

ためしに、「ケロッピー前田」という名前で画像検索をかけてみてほしい。すると、タトゥーやピアス、身体改造技術を応用して変形させた顔面の写真など、過激な画像が大量に出てくるだろう。

本書『今を生き抜くための70年代オカルト』の著者・前田亮一氏は、ケロッピー前田のペンネームで90年代から世界のアンダーグラウンドカルチャーの最前線を追いかけ、自らも身体改造を実践してきたアーティスト/ジャーナリストである。

そんな氏にとって、身体改造とオカルトは、いずれも現実社会と密接に関係するという。まずは、氏が身体改造というカルチャーシーンに関わったきっかけを聞いてみた。

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―そもそも、どうして身体改造に興味を持ったんですか?

前田 学生時代から出版業界に関わっていて、身体改造との出会いはもっと後になってからなんです。大学卒業後、出版社に就職し、“取材者”として現場に立ち会ううちに、自分も身体改造にのめり込んでいきました。その後、海外取材だけでなく、国内でも自らイベントを企画するようになり、『ナショナルジオグラフィック』などで日本のシーンが取り上げられるようになっていきました。

僕は白夜書房に5年勤めましたが、当時、風俗記事なんかを作る時は、先輩に「おまえ行け」と言われて体験取材をやることが多かったんですよね。そのノリで、ボディピアスの企画を立てた時も、自分がピアスをして体験記事を書くことになった(笑)。それが92年くらい。その後、身体改造のシーンが盛り上がってきたタイミングでフリーになり、どんどん海外に行って最先端の現場を取材するようになりました。

―なぜ90年代に身体改造が盛り上がったんでしょう?

前田 89年のベルリンの壁崩壊と米ソ冷戦の終結によって、90年代に世界は激変しました。そんな中で、コンピューターテクノロジーの進歩に対抗するように人間の身体が見直されました。そして90年代半ば、インターネットが登場すると、身体改造は新しいカルチャーとして世界同時進行で広がっていったんです。

例えば、スプリットタン(舌の先を蛇のように裂く行為。小説『蛇にピアス』で有名)なんかも97年に登場して、ネットを通じて知られていきました。

―そうした身体改造の文化と70年代オカルトに前田さんは共通性を見いだしていますね。

前田 現実社会に対するカウンターとして、共通性を感じています。身体改造とは、テクノロジーに対するカウンターとして、技術と人間の新たな関係を模索してきました。一方、70年代オカルトは、当時のマスメディアの影響力や冷戦下の人々の心理を反映したものです。いずれも、僕らの社会や僕ら自身を映す“鏡”であって、その存在意義を考えることは「人間とは何か?」という根本問題につながるもので、ネット時代の今を生きるために多くのヒントを与えてくれます。

だから、本書では「ある/ない」といったオカルト論争には立ち入らず、あくまでブームとしてのオカルトと社会の関係を俯瞰(ふかん)しています。

オカルト的な想像力を取り戻し、生きる活力に

―なるほど。オカルトと社会心理には密接なつながりがあるということですね。

前田 そうです。そして本書の重要なポイントとなるのは、“海外で使われてきたオカルト”と“日本で使われてきたオカルト”という言葉には大きな隔たりがあるということです。

オカルトには元々「隠されたもの」という意味があり、海外では古代の隠された英知がルネサンス期によみがえり、近代の到来に大きく関与したという歴史的な背景があります。

それに対して日本では、70年代に宇宙人やネッシー、心霊写真などがブームとなると同時に映画『エクソシスト』(74年日本公開)の宣伝にこのオカルトという言葉が使われ、「オカルト=超常現象」というイメージが定着しました。

―日本では、三島由紀夫や横尾忠則といった文化人が、いち早くUFOやピラミッド・パワーに夢中になりました。

前田 ええ、オカルトを信じたのは子供だけじゃない。むしろ、文化的最先端にいる人たちがいち早く海外の情報を仕入れ、日本に紹介してきた。例えば、石原慎太郎が「国際ネッシー探検隊」を率いて実際に捜索に行ったりしています。文化人たちがオカルトをエンターテインメントとして楽しんで、それを日本中が信じる風潮があったんです。

―では、なぜ当時の日本では人々がこれほどまでにオカルトを受け入れたのでしょう?

前田 元々、日本人はアニミズム信仰が強く、精神主義を重んじる国民性を持っていると思うんですが、それが戦後のGHQ統治でいったん封印されました。それが、70年代にカラーテレビの普及とともに広まったオカルトブームによって一気によみがえったと思います。

そもそも、この国はいまだに天皇制によって日本の中心が隠されているわけですから(笑)。日本は昔からずっとオカルト大国であったのではないでしょうか。そのような日本独特の精神主義は、大ヒットしたアニメ作品『AKIRA』(82~90年連載)や『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)にも大きく反映されています。

70年代以降、日本では今もオカルト人気がずっと続いていると思いますが、そろそろマスメディアが作った“オカルト”という枠に縛られず、ソーシャルメディアの時代にあって、もっと個人が自由にオカルトを楽しんでいいんじゃないかと思っています。

―今後、日本社会で力を持ち得るオカルトがあるとすれば、どういったものだと思いますか?

前田 オカルトといっていいのかどうかはわかりませんが、人工知能やバイオテクノロジーの分野にはオカルト的な領域が残っていくのではないでしょうか。それらはまさに進行中のテクノロジーとして、「人類より賢い人工知能が誕生したらどうなるか?」「バイオテクノロジーで人類の起源の秘密が明かされるのでは?」という、人間存在の根幹に関わる問いとつながってくるでしょう。

とにかく、21世紀は情報が錯綜して現実がつかみづらい。だからこそ、70年代オカルトに立ち返り、オカルト的な想像力を取り戻し、生きる活力につなげてほしいですね。

(取材・文/西中賢治 写真/藤木裕之)

●前田 亮一(MAEDA RYOICHI) 1965年生まれ。少年時代をオカルトブームとともに過ごす一方、荒木経惟に憧れるカメラ少年だったことから、『写真時代』の版元だった白夜書房に入社。在職中にボディピアスや身体改造のシーンを取材し、独立してからは自らイベントを立ち上げるなど精力的に活動する。日本の身体改造シーンの第一人者として世界的に知られている

■『今を生き抜くための70年代オカルト』(光文社新書 820円+税) 1973年、『日本沈没』と『ノストラダムスの大予言』が立て続けに発表され、日本中がオカルトブームに沸いた。ユリ・ゲラー、UFO、ネッシー、心霊写真…。それらの起源と経緯を丁寧にひもとくことで、オカルトと社会の関係を描き出したのが本書だ