来日して30年、有名になっても「まだ成功とは絶対言えない」と語るマルシアさん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第18回のゲストで女優・タレントの芳本美代子さんからご紹介いただいたのは、歌手・タレントのマルシアさん。

ブラジル移民の日系三世として育ち、歌手で成功する道を選んで日本にやって来てから30年。タレントとしても、今や知らない人はいないほどの活躍だが、そこに至る波瀾万丈な人生、そして今また期する思いとはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―勝手に友達の輪を引き継いでというコンセプトで繋いでいるフリートークなんですが。ライブ感覚で喋っていただいたことをほぼ生のまま収録する感じで…。

マルシア そうなんですか。まぁ基本的に私はナチュラルな人なので。ダメなトークはあんまりしないです。なんでも大丈夫ですよ。

―みっちょんからのご紹介なんですが、マルシアさんとはハートの部分で合うというか、会うと癒やされるとおっしゃってました(笑)。

マルシア えー、嬉しい嬉しい。同感ですね。なんか、常に会ってるってことは全然ないですけど。心の片隅にいるとか。こうやってね、紹介していただいたこともそうだし。

年齢を重ねてくると、なかなか波長の合う人が少なくなって…新しいのもできにくい。出会いは多いんですけども、その中で長いお付き合いっていうのが非常に難しくなってきたりして。

―みっちょんもナチュラルですよね。似てるけど、意外と自分のほうが逆にラテン系かも?というお話で。マルシアにはもっと日本的なウェットな部分がある気がするって。

マルシア へー、そうなんですね!(笑) まぁ、私のイメージはブラジルとかサンバとかになるけど、そういうことではなくね。私は日系三世ですけど、祖父の時代にブラジルに渡って、その世代で全てストップしてるんですよ。そのまんまカルチャーが移ってますから。

おじいちゃんおばあちゃんが行った時、その戦前の日本が割とまだ残っていて。ブラジルに帰ると、日本!って感じがするんですよね。

―今、お話ししてても、マルシアさんは私(わたくし)ですもんね(笑)。

マルシア あははは(笑)、まぁまぁまぁ。私は30年近く日本にいるから、割とこのスピーディな生活やらカルチャーに慣れてきたんですけど。ブラジルに帰ると本当にまだそのままで。親戚回りした?みたいなことを聞かれて、まだしてないっていうと、しなさい!みたいな。怒られるんだよね。ほんと厳しい。

―移民の方々が残している日本の良き名残(なごり)なんでしょうね。で、情感の部分でも、それこそウェットな喜怒哀楽というか。

マルシア そうね…でもそれって自分で言えるもんじゃないよ(笑)。

―実際、感情的だったり涙もろいとかは?

マルシア 最近は強くなってきましたよ。年齢いくと脆(もろ)くなるっていうけど、自分でコントロールできるようになった。でもよくお風呂で泣いてるけどね。今はひとりで泣く…って、泣いてんじゃん!(笑)

「ある有名な町の占い師さんのところに…」

―自分で言ってんじゃん!と(笑)。やっぱりイメージもありますけど、すごく情が深い感じで。そこが古き良き日本人的なウェットさなのかなと。

マルシア そういうのを自分の娘に伝えていきたい思いは強いかな。人を大切にするとか、あと礼儀作法とか。だから私もちゃんとしようと思って。ひとりだと絶対だらしないから。母であることで、なるべく背中を見せてあげたいし、それで娘も自分の子供に伝えられるようなお母さんになってくれればいいなと。

―親としての自覚でいろいろ変わったんですか。

マルシア 完璧はないんですけどね。ないけど、ちゃんとしたルールの中で生きてほしいなと思って。例えば、芸能界に入りたいと言ってる時期もあったけど、うちは待てと。普通のことも知ることが大事じゃないかって、ずっとそういう思春期と戦ってきましたし。

今、大学生になって、よかったって言ってくれてるので。あの戦っていた時期は間違ってなかったって。私も17歳までブラジルで、そういう意味では普通の家庭だったしね。

―ちゃんと地に足がついたというか、真っ当な生活や社会性を学んでという。

マルシア 何が真っ当かはわかんない。ここ(芸能界)がそうじゃないって言ったら違うし、別に否定はしてないんですけどね。いつでもこういう仕事はできるので、感情的になって、やりたい!とかになったらダメだと思うから…。最近やっと落ち着いてきたかな。

―その自分の思春期、当時のことを考えると日本に来たのが17歳、86年ですか。ちょうど30年目に突入ですよ。

マルシア ほんとだね! いやいやいや、なんかあっという間でしたね。私、来る前、ある有名な町の占い師さんのところに友達が「あそこ当たるから行きましょう」って。そのおばさんが当時60か70歳かな…。で、「あなた、近々、遠い国に行ってずっとそこに居るんだ」って言われたんですよ。

―そんな予言が?

マルシア はあっ?ってなるわけ、絶対インチキだと思ったよね。いやいやいやいや、絶対ありえない! 私は大学に入って建築をやりたかったし、全くわかんない!って…。おかしいって言ってたら、3ヵ月後にそうなったの。

―へえ~。その頃はまだ日本に行くとか夢にも思わなかったんですか?

マルシア 遠い夢ね。ありえないっていう。それが、だからすっごいおばちゃんだなって。

ーちなみにその後、またお会いしたことは?

マルシア 会いました。あのね、ちょうど離婚した頃ですね。たまたまブラジルに帰ることがあって、また行ったわけ。そしたら「あんた、ちょっとごめんね、起きたのかこれから起きるかわかんないけど、大変なことになる」って。いやいや、もう起きました!、今も大変よって。そういう時期に(笑)。

ー最初のを思い出して、また御託宣を受けに。だいぶ影響されましたね(笑)。

マルシア だって最初がめちゃ当たってるんですから! しょうがないじゃん(笑)。女のコだからやっぱり興味はありますよね。洗脳されているわけではないんだけど、むちゃくちゃ信じますよ。

「日本というのは本当に手の届かない存在」

―その占いで日本行きを示唆(しさ)されたのは、きっかけにもなるブラジルでのTBS歌謡選手権に出場した後ですか?

マルシア 歌謡選手権が4月に行なわれて、予想外の準優勝を獲ったんです。そこで初めて悔しさっていうのを感じて。初めて1回、日本に行ってみたいなって気持ちが生まれたんです。チャンスがあればね。で、その年末に占いのおばちゃんのところに行ったら、それ言われて。

―建築をやりたかったってことですが、子供の頃からずっと歌手になりたい、歌が大好きで憧れてたとかでもなく?

マルシア いやいやいや、私達、日系の人は紅白とかビデオで見ながら、そういうのを楽しんでただけで。プロになるとか考えたことないですね。もっと現実的にちゃんと大学に行って。日本の歌を歌おうって、あらゆるカラオケ大会に出てましたけど、趣味です趣味。

その歌謡選手権の大会も、うちの町から出る方が出れなくなって、数日前に言われてピンチヒッターで出たんですよ。だからスタンバイもなんにもない、ええーってなったんだけど、わかったわかったって。あくまでピンチヒッターな気分でした。

―自分からじゃなく、そんな偶然だったんですか…!

マルシア だから適当にやればいいって、別に優勝なんて考えてないし。そのくらいの感覚だったのが、準優勝でそれが悔しくて…そこからいろんな流れがそっちの方向にいっちゃった。人生ってわかんないよね、どこで博打(ばくち)打つかって。結果、チャンスはいっぱいあるんですよ。そこを取るか取らないかは自分次第なんですよね。

―いつか憧れの日本で歌手になる夢を実現させたい!とか、強い願望があったのかと。

マルシア その時代って、日本というのは本当に手の届かない存在…とにかく遠い国っていうイメージだったので。そういうのはもうありえない。果てしなく難しい夢だった…お金も必要だしね。

ただ、祖父母たちがブラジルに行った時代は、何年か居て、最初は絶対みんな日本に帰るつもりだったよね。だって、ブラジルで大成功すれば日本に帰れるみたいな宣伝で渡ったわけだし…パラダイス的な。それが実際行って苛酷な、本当に地獄のような毎日だったと思います。

だから、私がスカウトされて、でも日本行きませんって言ってたら、もう全然こういう人生歩んでないし。今の子供はいないだろうし。私の人生を全て変えたのがあの瞬間ですよ。面白いよね、人生って。波瀾万丈だけどね…!(笑)

―占い師のひと言もありつつ運命が…そこで行かないって選択もありだったんですか。逡巡(しゅんじゅん)とか迷いも?

マルシア ないないない。こういうチャンスはないから、二度と。自分でつかまなきゃダメ。でも、みんな反対だったけどね。母は応援してたけど、本当に父親なんて何ヵ月経っても口きいてくれないし。それで、「私の人生だよ。私が行くんだから、私が選ぶんだ」って生意気なことを言って。「だからパパさ、行かないで後悔するより、行って後悔したいです。だから行かせて」って。まぁそれで最後は納得。

「成功するまで帰ってくるな」って…

―お父さんの一番の反対理由はなんだったんでしょう。手放したくないとか?

マルシア そうですね、きっと。寂しいとか。そんなの17歳だよ…今になって私にも子供いて、うーんって思うもん。本当、よく親は手放してくれたなって。

おじいちゃんの反対もすごいわかるんですよね。知らない国で戦ってやってきて、どんなに大変なことかっていう。でも私が決めてからは反対もしなかった。ただ、空港で別れの時に耳元で「成功するまで帰ってくるな」って言われたんですよ。

―いい話でもあり、覚悟を突きつけられたひと言ですね。

マルシア その時、このジジイと思ったんだけど(笑)。でもね、私の一番挫折しそうな時、全部止めてくれたのは、祖父のあのひと言。もうこれはね、ありがたいよね。日本来てキツかったけど、壊れそう、折れそうな時は全部支えてくれた。いや、でもまだ帰れない帰れないみたいな…。

今でも、気持ち的にはまだ帰れてないんですよね。どっかで成功と言えないでしょうって…ちゃんと何かをしてから帰りたいって、まだそう思ってる。

―これだけ名前が知られて有名になっても成功とは言えない?

マルシア 言えないです、絶対言えない。全然そうとは思ってない。

―もちろん、来た当初から、成功というか目標とするゴールは漠然としてたのかもしれませんが、自分ではどういうイメージを?

マルシア まぁ常にゴールというものは新しくなっていくので。最初はデビューすることですよね。それで、猪俣公章先生の家で2年間、内弟子に入って。そんなことも聞いてなかったんですけど、とにかくそこで頑張って親とか親戚とかにデビューできましたって言うのが目標でしたね。

それがちょっと時間がかかったというか、2年だけど! みんなにいつなのいつなのってずっと言われてて、もう少しもう少しってずっと言い張ってて。本当のこと何も言えなかったんです。

―その住み込み修業時代は本当に厳しかったようですね。

マルシア もちろん、それでデビューした「ふりむけばヨコハマ」も本当におかげさまでいいデビューの仕方させていただいたんですけど。まぁでも、常にゴールは変わっていくんですよ。達成できたゴールもあれば、ルートが変わっていくものもありますよね。

今はなんでまだ成功できていないかというと、やっぱり私は歌手としてのマルシアを…ちゃんとした形でコンサートにしろ、いろんな形なんですけど伝えたいなとか。死ぬまではもう1曲残したいかなとか。やっぱり音楽ですよね。自分がブラジルのみんなに恩返しできるところかなって思うんで。

「生意気にやってきたので…すみません(笑)」

―これがマルシアの歌、曲なんだというものを…。

マルシア そうですね。もちろん今、いろんなお仕事させていただいて感謝してますけど。舞台もそうですし、本当にエンターテインメントの中であらゆることをさせていただいて。でも、その歌手としての根っこにもう一回、芽を…水をあげて咲かせてあげたいなというのが大きいですね。

今の私のこの声と魂で何かしていきたいなってすごく思う。後は、また紅白出たいとかさ。単純な思いだけじゃなくて、ブラジルに届けたい。日系の方は100%観てるから、みんなにブラジル代表として届けたいなという気持ちはすごく根本的にありますね。

―なんか、早々にこの30年を総括していただいた感じです(笑)。

マルシア そう? やっぱり50代を目の前にして、これから第二の人生やってくると思うので。なんか、ひとりの女性としての歩み方もちゃんとしていきたいっていうのは今、すごく思うんですよね。

―いつの間にかマルシアという存在を知らない人がいないくらいになったわけですが。いつもTVなどで見る、バラエティなども含めてのマルシア像というのは自分でも予想しないものだったんですかね。

マルシア まぁ、ずっと生意気にやってきたので…すみません(笑)。ほんと20代、30代の前半とか…ツッパってやってきたので。そういう面では強いんだけど、ほんと人間って変わっていくものなので。改めて、新しい世代にじゃないけど、今の同じ世代の人にもいいマルシアを作っていきたい、発信していきたいなと思います。

―でも自分的にはその時その時でその自分が本当だったんですよね。

マルシア もちろんもちろん。全部そうです。

―今の先駆けというか、結構言いたいことをズバズバ言うキャラみたいなのを確立して。

マルシア そうですか? いや、私そこまでズバズバ言う人じゃないと思ってるんですけど(笑)。…まぁ飾りはないかな。こういう仕事してると、芸能人だからああだこうだって言うけど、もう全然普通なんで。普通の生き方してるし、本当に普通がいい。ね!

―まぁ、そこで本音を隠さないというか。自分をちゃんと晒(さら)しているから、そういう風に見えてたのもあるんじゃないですか。

マルシア かなぁ。…なんか、私は人を思いやって生きていきたいなと思いますね。素敵に生きたいよね、残りの人生。目指せ100歳!ですから。

●この続きは次週、3月20日(日)12時に配信予定!

(撮影/塔下智士)

●マルシア1969年2月14日生まれ。ブラジル・サンパウロ州、モジダスクルゼス市出身。1985年4月にTBS歌謡選手権ブラジル大会にて準優勝。翌年、TX外国人歌謡大賞でブラジル代表に選ばれ初来日を果たす。東京で行なわれた「ワールドチャンピオン大会」ではフレンドシップ賞に輝き、審査員を務めた作曲家の猪俣公章氏の目に止まりスカウトされ、89年1月に『ふりむけばヨコハマ』で歌手デビュー。15万枚を超えるヒットとなり、新人賞など賞を総ナメに。翌年には紅白歌合戦に初出場、初のディナーショーを開催するなど順調にキャリアを積む。記念すべき来日30周年となる今年、デビューシングルから最新シングルまでを含むベストアルバム『マルシア ベスト・コレクション2016』を3月30日にリリース!