現在はJ2のFC岐阜で監督を務め、3シーズン目に突入。厳しい戦いを強いられるも陽気な笑顔で迎えてくれた“闘将” 現在はJ2のFC岐阜で監督を務め、3シーズン目に突入。厳しい戦いを強いられるも陽気な笑顔で迎えてくれた“闘将”

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第19回のゲストで歌手・タレントのマルシアさんからご紹介いただいたのは、元Jリーガー・日本代表のラモス瑠偉さん。

現在はJ2のFC岐阜で監督を務め、3シーズン目に突入。開幕したばかりのナーバスな時期となったが、練習後のお時間をいただけるということで岐阜まで直行! 現役時代、“闘将”と呼ばれたカリスマは笑顔で迎えてくれたーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―マルシアさんからのご紹介ということで。30年前に彼女が猪俣公章先生のところで修行していた頃、初めてお会いしてるそうですね。

ラモス そうそう! スゴいカワイくてね、努力家で。

―やっぱり同じブラジルから来たコだからっていう話で?

ラモス はい、そうです。猪俣先生が月1回ぐらいで自分の家でパーティーしていたんです。芸能関係の人とかも呼んで。先生にたまたま会った時、「ラモちゃん何しているの? またパーティーするから来て」って。で、行ったらマルシアさんがいたんです。

―ひとりで来日して寂しがってるだろうからって気遣いもあったんでしょうね。

ラモス やっぱり、ピークだったんじゃないかな、ホームシックで。僕もその前に日本に来て、何もない時からいろいろ苦労したから。彼女を諦めさせないために、先生がたぶんね。

―ブラジル語のやり取りとかでリラックスさせられたらっていう。

ラモス そうそう! たぶんそうだと思います。でも行ったら、帰るとか、そういう雰囲気はなかった。あの世界もいろんなことが大変だったと思うし、特に猪俣先生、厳しい先生だったから。でも、彼女と話した時に明るくて。結構、前向きだった。すごい根性ある人だなと思って。

―でもマルシアさんもそれで救われたんでしょうね。ラモスさんへの感謝を一生忘れないですって、メッセージをいただいてまして。

「ラモス、いや、ハーモス様へ 正式にハーモスですよ! 30年前、猪俣先生のおうちで初めてお会いした時、ここにも同じブラジル出身がいること、とっても心強く思い、ずっと仲良くして頂き、ありがとうね! ハーモスはいつも熱き心でブラジルを代表してくれて、私の誇りです。なかなか、ゆっくりお会いすることないですが、同じ地にブラジル出身がいることが私のエネルギーにもなる! ハーモス、またね! ご活躍は見てるよ\(^o^)/ 連絡ちょうだーい! 私は30年分の話があるよー! 感謝。オブリガーダ センプレ エ エスペーロ チ エンコントラー エン ブレーヴィ」

ラモス 嬉しいね。本当に嬉しい。ゆっくり会って話したのはだいぶ前ですけどね。あのコはハートがあるから。ここで苦しんでいるブラジル人のことも考えてると思いますよ。やっぱり、彼女もいろんな辛いことあって、その壁を乗り越えたっていう努力とか。今はそれの結果じゃないかなって。

―それでもマルシアさんは「まだ成功したとは絶対言えないです」って。これからまた歌をヒットさせてブラジルの人たちに届けられるのを目標にしているそうです。

ラモス そう? いろいろあったけど、僕の中で彼女はすごく立派ですよ。楽じゃないんです。やっぱり我々外国人がここへ来て成功するっていうのは難しいですよ。特に歌とか、彼女の道はね、認められるまで大変だったけどね。僕の中で彼女は成功した人間かなって思います。

「成功したと思ったらそこで終わり」

―日本にやって来て、その世界を開拓してきたパイオニアでもありますよね。

ラモス そうですよ! その通り。サッカーの場合、今はブラジルでちょっとうまいヤツがいて運があれば、海外に出られるじゃないですか。そこで成功すれば認めてくれるじゃないですか。私たちの時、それはないんですよ。ヨーロッパとかもなくて、たまたまお話きたのが日本ですよ。今は簡単ですよ! ちょっとだけ才能があれば。

日本も、奥寺さん以降はカズ(三浦知良)、中田ヒデ(英寿)が出て。野球もね、野茂が大活躍したから、日本野球が注目されて、誰かいないかなって、イチローとか。結局、野茂がいたからじゃないですか。そこで結果出したから、最近は多くの選手がアメリカでプレイしていますよね。サッカーの場合もそうだったんです。でも音楽の場合、本当にね、才能だけじゃなくて。

ですから、彼女が最初歌手になりたくて日本に来て、歌手としては成功したかどうか、本人にしかわからないけど。僕の中では立派ですよ。舞台もやって、TVの番組やって。日本で知らない人いないでしょ。スゴいことだと思いますよ。

―それで稼いで生活して、子供も育てて。まぁどこまでが成功かと言われれば、それぞれゴールも違って終わりじゃないですからね。

ラモス そうそう。成功したと思ったらそこで終わりだから。もっと上を目指してなきゃいけない。僕はね、日本で成功したと思います。ただ、ここで満足していません。もっと上あるから。やっぱり努力しないとダメですよね。僕の中に満足はない、死ぬまで満足とかね。彼女も同じじゃないかな。

―マルシアさんが来日してちょうど30年。1977年に来日したラモスさんも来年で40年にもなっちゃいますが…。

ラモス まぁいろんなことありましたね。でもあっという間ですね。ここまで日本にいられると思わなかったし    帰化すると思わなかったし。人生のいたずらだったんじゃないかなと思いますけどね。日本人で良かったと思います。

―で、まさか今、岐阜にいるとは…って。

ラモス それ思います。六本木の帝王がね、なんで岐阜におるんやねん!(笑)

―あははは! 正直、FC岐阜で監督って最初聞いた時にピンときませんでしたもん。

ラモス 自分もそう。岐阜に縁もないし、まさかここにくるとは思わなかった。まぁヴェルディがJ2に降格して、少し気になってスタジアムまで足運んで試合を観たことがあるんです。で、服部(年宏)選手がヴェルディから岐阜に移籍していて、たまたまうちの息子が服部さん引退するぞって。それで岐阜の試合をTVで観たことがあって。

正直、かわいそうだなって思った。周りのレベルの低さに驚いて。このチームに彼がいるのかって。2試合ぐらい観たんです。服部さんのために30分間は観たんですけど、ひどすぎて全部観てられなくて。…で、その後、たまたま知ってる社長さんが一緒に六本木で飲んでいて、「ラモちゃん明日会社に来てくれないか」って。その時、僕もちょっと別のことで相談していたことがあったんです。

その話じゃないかなと思って行ったら、「監督ならないか?」って。いやいや、奥さんがその前に亡くなって、自分には今、パワーない。チャンスがあればやりたいと思っているんだけどって言ったら、「岐阜の監督なんだけど」…「は? 絶対に嫌だ! 冗談じゃない。あそこはなくならなきゃいけないチームだと思ってるよ」って、正直に観た試合の話をしたんです。

「ヤバいよ、女の切り替えも早いからね!」

―なくならきゃいけないとまで…。しかしそれも不思議な縁ですね。

ラモス そう、岐阜の皆さんには申し訳ないけどそれぐらいだった。そしたら社長が「実は僕は岐阜出身で…」、「え? マジすか?」って。本人もポケットマネーを出していたけど、それだけでは解決できない。岐阜の子供たちを元気づけるため、夢を叶えるとか、実現できることがあれば手伝いたいって。

彼の目がすごく正直だったので、すぐ「わかりました、行きます!」って。「その代わり、3年間はやらせていただけないかな」って話して。プラス、盛り上げるために僕だけじゃなくて何人か選手連れていかないと、僕ひとりだけではなくなるよって言ったら、それも彼がお金を出すからって。で、川口(能活)選手、アレサンドロ(三都主)を連れていったんです。

―これまでの人生もですけど、求められて必要とされたらそれに応えるべきというか、意気に感じてっていう。

ラモス そんな気がしますね。自分の力を必要としてくれる人がいたら背中向けられない。「ふるさとのために貢献したい」って言った気持ちがジーンときて、目が真剣だったからね。デメリットばかりでも、ダメだったらダメでいいや、自分の能力なかったと思われてもそれでいい、向いてなかったって思えばいいじゃんって。ただ、一生懸命やること。ベスト尽くして。

最初いろんな友達が、行くなよ、あかんあかんって言ったけど、ここで逃げたくないなって。人間おいしいところばっかり行くのは面白くないと思いますよ。後でどんな痛い目に遭っても。

―実際、火中の栗を拾うというか、厳しい状況からのスタートで…。

ラモス 厳しい環境でしたね。それでも、1年目はすごい盛り上がりました。去年も盛り上がらなかったわけじゃないけど、結構負けが多かったから。それでもお客さんが見捨てないでいてくれた。今年もスタートが調子悪くて。でも宿命じゃないかなって。神様がいろいろ試してみてるんじゃないかな? 単純にそう考えてる。ここ逃げたらあかんで!って。やるしかないですよ。

―正直、結果がついてこない、今シーズンも1、2戦目で大敗してしまって、ご機嫌斜めだったりするんじゃないかと…。

ラモス それはないです。ピッチから離れるとコロっと変わるんで。家に帰ると、どこでミスしたのかとか考えちゃうけどね。チームの課題はどこにあって、どう改善すればいいのかとか。選手のことも考えてしまう。プロサッカー選手としてリスペクトし過ぎてしまい、彼らができないことを要求しているのかなとか。

まぁでも、今飲みに行かないのは気分が乗らないだけ。今年どうしても結果出したくて仕方ないから。あと、2、3試合勝てばめちゃくちゃ飲むよ。周りに何言われようが関係ない。ただ、仕事いただいて、人のパーティー呼ばれた時はね、違うラモスでいかないと相手に失礼でしょ。だから、切り替えがスゴいですよ! ヤバいよ、女の切り替えも早いからね! フラれたら次、あんたよりイイ女出会うからね!って。本当にイイ女に出会うで!(笑)

「神様いろいろ考えてくれているんだ」

―あははは! その切り替えがまたいい運を呼び込みますよね。

ラモス そんな気がします。楽な道はないからね…。昔、お母さんに言われたの、人が困った時に純粋な気持ちで助けるんだよ。そうすると、自分が困った時に助けてくれるからって。人のものに手出すな、人の不幸を願うのは絶対にダメ。楽な道選ぶなって。神様いろいろ考えてくれているんだもん。

ただ、逃げるなよって。チームのために本当に迷惑かけたくないけど、自分が引くっていう性格じゃないから。フロントが、ラモスが去年を引きずってるからダメだというんだったら、そこでクビにしてほしい。自分からは辞めないです。これでいけば成功するって自信はあるからね。

―本当にお母さんのそういう教えもあって、ネガティブなことでも神様に与えられた試練なんだと思えるんですね。

ラモス もちろん! 勝手に思っています。(現役の時)1年間出場停止になって香港からスカウトが来てね、3倍の給料出すからプレーしてくれないかって言われたんですよ。日本でまだ俺も知られてなくて、サポーターもほとんど身内で100人ぐらい、給料は手取りで16万2千円ぐらいだった。

その時、マスコミが来て、「ラモス、日本に何しに来たの? 金目当てでしょ」って。「金目当てで何が悪いの? お母さんのために仕事でもらっているから」って言ったら「香港が3倍出すのになんでいかないの?」。でも、「俺は悪いことしてないから行かない!」って。だって、ケンカするつもりもなかったけど、手、出してないのに1年間はないよ。なんで俺逃げなきゃいけないんだと思って。

でも、それで日本に残って、逆によかったわけ。3年後にステキな奥さん、初音ちゃんに出会って。あの時、読売クラブも守ってくれた。そういうのに恩返しをしたくてしょうがない。で、次の年に全部タイトル獲ったんですよ。

―ほんと塞翁(さいおう)が馬を実感しますけど。それでまた運命が大きく変わったわけですもんね。

ラモス それから、ある監督に「おまえの夢、なんだ?」聞かれて、「ブラジルに帰って自分の力、どこまでプロとして通用するんだろう」って思って。じゃあ来年帰るから一緒に行こうとか言われてさ。でも奥さん、ひとり娘だったし、連れて帰れないんですよ。その次の日、「昨日の話、ありがとうございました」って。「なんで? おまえ、絶対通用するよ、ブラジルで」言ってくれたけどね。

それで「読売クラブはおまえにとってなんだ?」って聞かれて。1年間出場停止あって、それから事故もあって死にかけて(バイクで左脚の脛を複雑骨折し選手生命の危機)、読売クラブが守ってくれたおかげで家族も助けられたこと、たくさんあって。「ファミリーです。ここは自分の家だと思っているんです」って言ったら、「じゃあ恩返ししなさい」っていうワケ。

いや、これ以上の恩返し…全部タイトル獲って、ラモス瑠偉、読売クラブって名前出ているのに?って思ったら、「そうじゃなくて、読売クラブに最後の恩返しで、帰化したら外人枠がひとり増えるから。武田(修宏)の他にパートナー連れてこられるよ」。それで、「やります!」って。

「ドーハ以来に俺にそんな期待されている」

―恩義に報うためとはいえ、まさにサムライ的というか。スゴい決断です。

ラモス 奥さんは最初反対だった。でも、読売クラブのためならって帰化したんです。代表入るためとかじゃないよ。やっぱりお母さん、恩返しっていうことも教えてくれたからね。だからここ(岐阜)に来た時もいろんな人に世話になったし、期待されているから。その人たちのためにやれること精一杯やるだけ。

僕はあんまりプレッシャーを感じたことがないんですよ。今が結果出せてないから自分が苦しんでいるだけ。それで辞めるのは簡単。でも絶対に辞めない。今シーズンも、まだ始まったばかり。

―山あり谷ありの試練があった中、そのブレない部分で、結果、良かったと後で思えることがまた力であり支えになりますよね。

ラモス これでいいんだって思っていますから。周りにどういう目で見られているか関係ない。知ったことじゃない。

―ちなみに、岐阜での普段の生活はどうですか?

ラモス あ、これは本当に日本はよく“住めば都”って言いますよね。最初は1年だけ名古屋に住まわせてくれて、2年目から市民の皆さんとか一緒に、せっかくだから岐阜に住んだほうがいいのかなって。正直な話、いや~住みやすい、住みやすい。本当に大好き。

京都も大阪も沖縄も行ってね、みんな良い所ばっかりだけど、いや~なんか知らないけど好きになっちゃったな、ここ。去年も結局ひどい成績だったけど、でも辞めないでくださいって、タクシーの運転手さんとかコンビニのおばちゃんとか。そういうのが嬉しくてたまらない。この人たちまでって、逆に辛かったよね。ドーハ以来に俺にそんな期待されていると思いますよ、ほんと。

―ドーハ以来って、だいぶスゴいですよ(笑)。それでいくらプレッシャーを感じないとはいえ…。

ラモス 期待は感じているんですよ。だから焦っているかな…噛みあわないのかな。

―岐阜で他にこれというプロスポーツもないし。何か誇りにできるものを求める気持ちがやっぱりあるんでしょうね。

ラモス 間違いない。そこまで期待されたことが嬉しくてたまらないからね、そこ結果出さないと、いくらラモスでもみんな面白くないですよ。だから、彼らを喜ばせたいなと思っているんだけど。結果残して、ずっとここに住みたいなって。ホンマに、俺の家、表参道・青山にあるのに、遊ぶのは六本木なのに、なんで岐阜やねん!って(笑)。

―(笑)。まさか岐阜で自分が暮らすことになるとはですが、気に入っちゃうのも縁ですね。

ラモス 自然も川もきれいだし、なんか雰囲気あるね。京都も最初、結構気に入ったんだけど、ちょっとね。悪い気はないと言いながら、みんな結構喋るんだよね。大阪はみんな軽すぎて(笑)。

沖縄は時間の流れがゆっくり過ぎて(笑)。自分せっかちだから、焼き肉屋さん行っても大体45分で終わってしまうんですね。食べたらささっと帰って、話をするんだったら、違うところでって、そういうタイプです。沖縄いたら、ゆ~っくりになっちゃう。あれ、無理ですよ、無理! 人にお願いする時、私、10やる間にひとつしかできない。いい加減にせいよって、もう!(笑)

●この続きは次週、4月3日(日)12時に配信予定!

●ラモス瑠偉 1957年2月9日生まれ、ブラジル出身。1977年に来日し、読売クラブ(現:東京ヴェルディ)入団。78年には得点王・アシスト王の二冠を獲得、絶頂期の81年にバイク事故を起こし、選手生命の危機に陥る。その時に看病をしてくれた女性と後に結婚、1男1女をもうける。89年に日本国籍を取得し帰化。90、91年には年間最優秀選手賞に輝き、Jリーグ誕生後も93年、94年とベストイレブンを受賞するなど草創期のスター選手として活躍。日本代表では“ドーハの悲劇”も経験する。98年に現役引退後、05年にビーチサッカー日本代表監督、06年~07年に東京ヴェルディ1969の監督を歴任、現在はFC岐阜の監督を2014年から務めている。

(撮影/塔下智士)