トップクライマーであるにもかかわらず、登山界では変態扱いされている宮城公博氏(神保町の某公園にて)

命がけの冒険譚を記した話題のノンフィクション『外道クライマー』(集英社インターナショナル)を出版した登山界の異端児、宮城公博みやぎ・きみひろ)とは何者なのか?

落差日本一の滝・富山県立山の称名(しょうみょう)滝冬季初登攀、台湾の巨大渓谷チャーカンシー初遡行など国内外で数々の初登攀記録を持ち、公開中の映画『エヴェレスト 神々の山嶺』には山岳スタッフとして参加。

日本最強の「登山家」か? 死をも恐れぬ「冒険家」か? 宮城に既存の肩書きを当てはめることは難しい。もっとも、沢登りに情熱を注ぐ彼は「沢ヤ」を自称しているが…。

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―人類を拒絶するかのような大岩壁を前にして、宮城さんはたびたび「沢ヤの力を見せてやる」と言っていますが、「沢ヤ」はどういう人たちなんでしょう? 単に「沢登りをする人」という意味以上のスピリットを感じるのですが。

宮城 沢ヤは、沢登りに偏屈なこだわりを持ち、どっぷり浸かっている社会不適合者集団です。僕のように海外まで行って沢登りをする人は10人くらいですかね。沢登りって、標高のようなわかりやすい指標がないので世間には評価されにくい。まあ見栄えが悪いし、地味だし、登山界の中でもあまり相手にされていないジャンルです(笑)。

小綺麗なものはなんとなくイケスカナイので、極力汚い格好をする。そっちのほうが男らしくてカッコいい…そう考えるタイプがなんとなく沢ヤになる。言い換えれば、きらびやかな登山の世界で生きていけない人が堕ちてくるのが沢ヤの世界。アルパインクライマーはカッコよくてストイックじゃないといけない。沢ヤは逆で、本能や欲望に忠実に生きようという風潮がある。それが沢ヤです。

―「企業のロゴ入りの服を着て登るなんてダサイ」と書いてますよね。

宮城 そこには嫉妬もありますけど(笑)。でもやっぱり、中学生のヤンキーのノリじゃないですけど、綺麗なカッコして企業に媚(こび)売るのはイヤだという雰囲気はありますね。

―この本のハイライトはタイのジャングルを46日にわたり遡行(そこう)する旅ですが、まさに「ヤンキーの意地の張り合い」みたいな場面がある。「トウモロコシのような実」が落ちていて、相棒がニヤついている。宮城さんは「ここで食べないのは沢ヤが廃(すた)る」と齧(かじ)り、毒に七転八倒するという(笑)。

宮城 なんとなく、ここで逃げては男らしくない…舐(な)められたらアカンというのはありますね。

―この旅は最終的に人跡未踏の大河を遡行するというゴールがあるし、そもそも生死をかけた冒険ですから、普通はもっと慎重に動きますよね?

宮城 旅のゴールはありますが、たどり着くことだけが目的じゃなくて、「道中のハプニングを楽しむ」のも重要なんですよ。そもそも、タイはかなり行き当たりバッタリで始めてますから。

―最初はなるべく原始的なスタイルを志しているけど、途中で衛星電話にGPS機能が付いていることがわかれば妥協して使ったり、潔いまでの諦めのよさもある(笑)。

宮城 どんどん妥協します(笑)。人跡未踏だったり、誰もやったことのないスタイルだったり、探検的登山のこだわりはあるんですけど、まあそれじゃなくてもいいかなと。登山家の先人たちにはGPSを否定する傾向があり、なんとなく僕もそれに倣(なら)ってGPSを使わないほうがカッコいいんじゃないかと思ってたんですけど、使っても使わなくても登山自体の難易度はそれほど変わらないし、結局のところどっちでもいいんですよ。

「那智の滝で逮捕されなくても、いずれ警察のお世話にはなっていた」

タイ奥地、ジャングルの渓谷を20日以上さまよい続け、たどり着いた岩峰。目的の場所は地平線にそびえる岩山の奥にある(『外道クライマー』より)

―命がけの登攀だけでなく、藪(やぶ)や泥沼に苦しめられたり、大蛇と戦ったり…。昔、テレビ東京でやっていた「川口浩探検隊」の世界観をリアルに壮大にやっているように感じました

宮城 確かに、あれには影響を受けました。B級感が好きというか、沢登り自体がB級のジャンルなんですけど、その中でもさらにB級を攻めていこうとすると、タイの冒険のようになるんです。

―突然ですけど、ジャイアント馬場とアントニオ猪木、どっちが好きですか?

宮城 僕は猪木が好きですね。

―やっぱり。猪木は世界的に有名なチャンピオンよりも未知なる強豪との戦いを求めた。そして想定外のハプニングを歓迎するという意味で、宮城さんは非常に猪木的だなと。

宮城 その例え、わかりやすくていいですね(笑)。実際、僕は小学生の頃、猪木さんや『空手バカ一代』のホントかウソかわからない世界観に影響を受けました。強くなるためになぜそこまでするんだ? 子供ながらに全く合理的なトレーニングじゃないと思うけど、でも「いい!」みたいな。あの時代のノリが好きで、それを自分のフィールドである山の世界でやったらこうなったという感じです。

―それで、登山の世界に入ったきっかけは?

宮城 小学生の頃から野遊びや川遊びは好きでしたけど、大きなきっかけは中学校1年の時。友達と川にキャンプに出かけたら、台風が来てしまった。びしょ濡れになって、テントの中でガタガタ震えてひと晩を過ごした。苦しかったんですけど、楽しかったんですよ。

自分はこういう体験を楽しめるんだと思って、大人になってからもガイドブックに「こういうことをしたらいけません」と書いてあることをやるのが好きで。それがいつの間にか、クライミングの技術も上がっていくうちに、国内外の人跡未踏の地に挑むようになっていきました。

―2012年、熊野那智大社の御神体である那智の滝を登って軽犯罪法違反で逮捕。勤めていた会社を解雇されましたが、それ以降、登山のスケールが大きくなっている。逮捕で吹っ切れた面もあったんですか? 

宮城 社会人クライマーとしてのこだわりはあったんですよ。社会人生活と登山を両立させる意義みたいな。でも逮捕をきっかけに、別に社会人にこだわらなくてもいいんじゃないか、まあいいかと妥協して、その後はぷらぷら日雇い労働をして今に至ってるんですけど。確かに、逮捕は大きなきっかけにはなったけど、あのタイミングじゃなくてもいずれどこかで警察のお世話にはなっていたと思います。

―本の中でも、一歩間違えばという場面が何度もありますが、これまでで一番「ヤバイ、死ぬ」って思ったのは?

宮城 タイで川の激流に流された時ですね。過去にも吹雪に閉じ込められたり落石に当たったりとかちょいちょい危なかったことはあるんですけど、この時は「ああ、これは運がよければ生き残れるな」という感じでした。死なないように水の中であがくんですけど、半分は諦めているというか、「これはさすがに…ついに俺の番がきたな」と覚悟しました。

―最終的に生死を分けるものはなんでしょう。運? それとも生への執着?

宮城 水流を力学的に読めているわけでもないし、水に巻き込まれて浮かびあがって助かったというのは、運でしょうね。

「アイツが死んだら…面白いんじゃないかとか思っちゃうんですよ」

「沢ヤ」は常に男くさくあれ、舐められたらアカン。カメラにメンチ切る宮城氏

―命の危険にさらされる時って、「生死の境にいてヒリヒリしている俺」的なものはあるんですか?

宮城 あります、あります(笑)。生き延びるために今、必死だな俺…その状況を後から思い返して楽しかったりもするし。雪山で「吹雪(ふぶ)いてきたな、この調子だと雪崩がぼんぼん落ちてきて…あ、これはアカンかもしれん!!」という時の高揚感には中毒性すらあります。

―ピンチに陥っている最中にも高揚感があるんですか?

宮城 最中というより、行く前にまずそういう状況に置かれている自分を想像するんです。こういうところに登ったらこういう状況になって非常に危険だろうなと想像して、高揚する。しかし実際に現場に行くと、想像を上回る力を山は見せてくれる時がある。

培ってきた技術と身体能力を駆使して、生き残るために合理的に動くんですけど、全く想定外のことが起こると死の恐怖に怯えたり、それこそ神頼みになることもあります。そういうヒリヒリ感は楽しいですね。終わった後に「よく登れたな」「いい登山だったな」と思える。

―順調に成功しちゃったらつまらない?

宮城 「いい山とは何か? ビビる山がいい山なんだ」という言葉があります。天候がよかったり好条件が整っていれば、自分の能力で成功するかしないか計算できちゃいますよね。それより限界ギリギリ、あるいは「やられちゃう」くらいのほうが体験としては絶対面白いはず。簡単に登れちゃったら物足りないというのはありますね。

―最も衝撃を受けた記述が、ミャンマーで400mの岩壁を登っている場面です。相棒の高柳さんが行方不明になり、結果的に無事でしたが、宮城さんはこう書いている。「仲間の死が旅のフィナーレになるとすれば、最悪の結末であることに違いないが、そんな波乱の結末を用意した高柳に感謝さえしていて、望まない事態を望んでいた自分をはっきり認識していた」と。

宮城 ホント、そうなんですよ。あのハプニングが、自分がやってきた登山を象徴しているかもしれない。焦って探しているんだけど、アイツが死んだら…面白いんじゃないかとか思っちゃうんですよ。登山者の義務として必死に探しますよ。でも、死体落ちてねーかなと探しているわけです。

―不謹慎と言ったらそれまでだけど、なんとなく理解できる気もする。この感情って何なんでしょうね? 「死に触れたい願望」とでもいうべきか…。

宮城 日常生活では、自分が生きているとか死んでいるとか意識しないけど、山の中ではこういうミスをしたら死ぬということがわかっている。あるいは、いくら合理的に行動していても突拍子のないことが起こる。その時に興奮している。ハプニングはあればあるほど楽しいんです。

だから、不確定要素の多い状況…川が突然増水するとか、落石とか、そもそもルートの情報がないのに大して調べもせずに行くとか、仲間もよくわからないヤツを連れていくとか…僕はそういう要素をばら撒くことによって、大きなハプニングが起きうる可能性を高めている。それを狙っているわけではないですけど、ハプニングが起きて窮地に立たされた時に楽しいと感じますね。僕の登山は、ある意味、山で起きるハプニング集みたいなものなんです(笑)。

山の世界では「正しくないことがまかり通っている」

―この『外道クライマー』を出版したのは、そんな沢ヤの世界をもっと世の中に知って欲しいという思いから?

宮城 自分の登山の価値を広めたいというのもあるけど、「正しくないことがまかり通っていること」に嫌悪感があるんです。山の世界では自己啓発的なものが受けていたり、技術的なことに関しても合理的じゃないのに「こうすべきだ」みたいなものが広まっている。なんか中途半端な人が偉そうに言ってんな、弱いくせによっていうところがあるんですよ。それに対して物申すという目的もあります。

登山のガイドブックにはいろいろ書かれているんですけど、どんどんルールが増えていって、山が窮屈になってきている。日本で象徴的なのは、登山道で事故が起きて人が死ぬと、その後、必ず柵や階段が過剰に整備される。確かに崖から落ちたら危ないけど、落ちる人が悪いんで。ルールばかりが増えていって、思考停止ぎみな人がどんどん追従する。結果的に、自由だった登山が堅苦しくなってきていると感じています。

―「安全確保」は正論に思えますが…。

宮城 「自由を求める人」と「平等を求める人」がいて、両者は相容れない。自由を求める人は柵を外したがる。整備された登山道やガイドブックに頼らず、自分の力で登山を楽しもうとする。一方、平等を求める人は、みんなが登れるように階段でもハシゴでも整備しましょうと主張する。

「自由を求める人」は、GPSは今の自分の場所がわかってしまうから使うのをやめようと考えますよね。でも、GPSは正しい道に導いてくれるからあったほうがいい、ともいえる。だから、どっちでもいいんですよ。自分で判断すればいいんです。でも、今は権威のある人がこう言ってるからと、追従するだけで何も考えてない人が多すぎて、おかしなことになっている。

―最後に「冒険」という言葉について。今や「初めてのお遣い」でもなんでもかんでも冒険になっていると批判してますね。

宮城 非常に乱用されている言葉ですよね、別にいいんですけど。自分にとって未経験のことをやる時に「冒険してます」って言うじゃないですか。それは本当にすごいことなのか?っていうのがあって。僕から見たら、休暇と30万円くらいのお金があれば誰でもできるんじゃないの?っていう登山が、さもすごいことをしているかのように伝わって、それが影響力を持っている。で、これを客観的に評価できる人もいない。これは正しいことじゃないですよ。

―宮城さんのように本当のことをズバズバ言う人は貴重ですが、嫌われません?(笑)

宮城 嫌われ者ですよ。山の世界ではものすごい嫌われますね。こんな僕を取り上げていただいて、ありがとうございます(笑)。

(取材・文・撮影/ゴメス隊長)

●宮城公博(みやぎ・きみひろ)1983年生まれ、愛知県出身。凸版印刷、福祉施設職員を経て、現在はライター、登山ガイド、NPO富士山測候所職員。立山称名滝冬季初登攀や台湾チャーカンシー初遡行など、国内外に数々の初登攀記録を持つ。最新の活動状況はブログ「セクシー登山部」でチェック!

●『外道クライマー』集英社インターナショナル/定価1600円+税