チャラ男キャラでバラエティなども出演する武田さんだが、素顔はサッカーを愛する実直で熱い男!

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第20回のゲストで元Jリーガー・現FC岐阜監督のラモス瑠偉さんからご紹介いただいたのは、元Jリーガー・日本代表の武田修宏さん。

現在はサッカー解説者にとどまらずタレントとしてバラエティ番組などでも活躍。オシャレなモテ男キャラとして知られるが、いまだ未婚の独身貴族でラモスさんからも「早く結婚しなきゃ」とツッコミが…。しかし、意外や?本人にはそれ以上に熱いサッカーへの思いがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―ラモスさんの幅広い交友関係の中から「カワイい弟分だからね」ということでご紹介いただきました。

武田 なんで俺にしたんだろう、あの人(笑)。じゃあ来年、俺が岐阜の監督かな?

―ははは、やっぱりサッカー界でいうと、ヴェルディの前身である読売クラブ時代からの先輩後輩ですもんね。

武田 はい。もうなんでも聞いてください。

―(笑)。すっかりタレントとしてのイメージも定着してますが、サッカー解説はもちろん、ブログなんか拝見すると、休日にも地方の試合までこまめに観に行かれたりしてますよね。

武田 まぁ現場は面白いですね、やっぱり。今は時代の流れでサッカーの番組も少なくなってるでしょ。いろんなスポーツが入り込んでるし。じゃあ、どうサッカーと関わるかってことで、TVの仕事やってる合間に自分の足で行くんですよ。現場主義なんで。それだけはもう昔から変わらない。

取材で行くと大変じゃん、なんか聞かなきゃいけないとか。だからそういうのが一番いいっていうか、やっぱり楽しいしね。自分の目で見て、見たことは言うけど見てないことは言わないし。

―同じサッカーだけの世界じゃなく、芸能界の仕事やいろんな経験をして、またそういうスタンスに立ち戻ったというのも?

武田 でも、引退した時からずっと自分のスタイルは現場に行く主義で。いろんな情報がある中で、やっぱり自分の目だったり、そこでチョイスするのが必要なんで。それは変わらないですね。…まぁ、例えば食レポなんかでも、実際にロケの場所に前の日に行ってみてチェックするとかしてますし。

―そこまでですか! 学生時代のデート前みたいな(笑)。ほんと念入りに…。

武田 洋服なんかも自分で全部、どういうの着るとか事前にね。まぁ癖ですよね、それは。やっぱ、もう18歳で読売クラブに入って契約して、セミプロみたいな感じでやってきて。厳しい中で、プロとして仕事に対して100%準備するっていうのは身に付いてますから。サッカーに対してもTVに対しても一緒ですよ。

―準備と予習っていうことは、ブログでもよく書かれてますよね。実はすごく几帳面なんだなっていう。

武田 そうですね。小ちゃい頃からお父さんがトラックの運転手で、お母さんが看護師で共働きでいなかったんで。自分のことは自分で考えて準備するっていう。そういう逆境っていうか、苦しいのが習慣になったっていうのはあったと思いますけど。それでやっぱりすごい貧しかったり、寂しかったのが強さになったのかなっていう。

20歳までは親とかも憎んでたし。オヤジが金遣い荒くて、借金で家も差し押さえになっちゃったり、どうしようもなかったんで。暴力とかも。20歳超えて、それが逆に自分の強さになったんだなって、感謝に変わってね。

だから、そういうのってわかんないですよ。海外の貧しい家庭で育って、それがやっぱり最後はハングリーな強さになっていくとか。小っちゃい頃、家に誰もいない、そういう環境で自分で飯を作ったりっていうのがね。

「高校時代も彼女はいたんで結構一途だった」

―なんか、正直、チャラ男的なイメージもある中で、こんなシリアスなお話からとは…。それで、元々は浜松生まれなのに、高校からサッカーのために静岡へ?

武田 そうですね。当時、プロもなかったんで、最高の夢っていったら高校サッカーに出ることだったんです。全国高校サッカー選手権をTVで観て、清水東高校の長谷川健太(現ガンバ大阪監督)さんが優勝したチームを観て、絶対にここでやりたいってことで。

まあ…親には反対されましたけどね。浜松で生まれて育ったのに、なんでライバルの清水に行くんだって。周りとか地元の新聞にも非常識だとかいろいろ言われましたけど。そういうの押し切って、ひとりで無心で下宿しながらね、とにかく全国大会行きたいということで。

―小中学とずっと天才扱いで注目されて。すでにその段階でバッシング的なものを経験していたという。

武田 中学校2年生で、もうジュニアユースの日本代表に選ばれたりしてたんで、その辺からいろいろ言われたりしてましたけど。でも高校1年生で、すぐ全国大会得点王になって、大活躍してまた注目されたんで、もうそこからがまたね…下宿してるとこに電話かかってきて「おまえ、調子のんなよ」とか(苦笑)。まあしょうがないですよね。

―いや、僕が年齢は1コ上でバレーボールやってたんですが、リアルタイムで「うわ、すごい1年生がサッカーで出てきたんだな」って。やっぱり、強烈に印象残ってるほどですから。

武田 高校の時は本当に、それで雑誌の表紙だったり、日本テレビの「ズームイン朝」とかも出てたりとか。全国からファンレターとかすごかったですし。

―当時はそこまで知りませんでしたけど、「武田の試合にはグラウンドの周囲を女性ファンが囲むから風が吹かなくなる」なんて伝説もあったとか(笑)。ほんとかよ?と思ったんですけど。

武田 実際、当時は高校サッカーがNo.1の人気だったんで。そういうのもありましたけど…まぁ高校時代も彼女はいたんで、結構一途だったんですよ。だから一切なんだろう、まあそういうのはなかったですね(笑)。

―まだ一途だったと? チャラくもなく(笑)。

武田 いや、だから親がほとんどいなかったんで、まぁ言われてたことが3つあって。ひとつが常に笑顔で明るくいなさいっていうのと、もう1コは自分の行動は全て自分のせいだから、責任持って行動しなさいっていうこと…あとは、人に迷惑をかけないようにしなさいってね。

その3つを昔からもう言われて、自分の中で考えちゃってるわけじゃないですか。女性に限らず、男性にしてもいろんな方が寄って来ますもん。そこで、ちょっと怪しいなって、お金とか権力ある方がきても、一切興味なかったんで。…まぁその辺、興味あったら倍稼いでると思いますけど(笑)。そういう面では女性にもそうですけど、男性にも慎重でしたよね。

「芸能界なんて危ないことがいっぱいある」

―几帳面さに加えて、慎重に周りを見て裏まで読む、みたいな? ある意味、プレイスタイルに通じるような(笑)。

武田 そうですね。だからそういう意味では今回、清原(和博)選手がこういう事になって。本当に僕も西武時代よく一緒に遊んでて、巨人入ってちょっと変わって、PLの頃から見てたんですけど、彼も相当なプレッシャーだったり、孤独っていうのを味わっているんだなっていう風に。もちろん薬は絶対ダメなんだけど…なんとなくわかる。同じ世代にね、生きてきたから。

ああいうの見て、やっぱりいろんな人と付き合うし、相手を考えていかないと。環境によって良くも悪くもなるんで。ちょっと寂しいなと思うよね。まあ…自分が招いたことなんでしょうがないですけど。

―桑田(真澄)さんも不動産疑惑だとかバッシングされた時期があったり。10代からスターとして存在して、華やかで人も寄ってくるけど、逆に傷ついて疑心暗鬼になったり、孤独感はその立場じゃないと想像もつきませんが…。

武田 だから、そういうのはわかりますよ…。まぁいろんなね、歴史をたどると、みんなそれぞれ大変だなという。ほんと難しいですね。

そういう意味で俺は、みんなに言われるのが「武田さんは何もないですよね!」って。48年間真っ当に生きてるし。『フライデー』で夜のハットトリックって出たのがあるけど…別にね、独身ですから、ただ3人の女性と食事するのは問題ないでしょ? それくらいですね。ほんと褒(ほ)められますよ、そういうの一切ないから(笑)。

―イメージで言ったらね、バラエティなんかでもほんとチャラ男のキャラになってますが(笑)。

武田 もちろん、それはそうだけど。でも、やっぱり東京に出てきて、本当にいつも思うんですけど、誰と付き合うか、誰をチョイスするかによって人生が変わる。その中で慎重にいかなきゃいけないし、女性にしてもそう。すごい綺麗な女のコが言い寄ってきても、そこでいっちゃったら何かある訳だし。

―(笑)。やっぱり裏読みして怖さが伴っちゃいますか?

武田 そりゃ、特に芸能界なんて綺麗な人いっぱいいるし、でもなんかあったら危ないことがいっぱいあるじゃないですか。そういうのでしっかりサイドブレーキをひかないとさ。

―ははは、サイドブレーキ(笑)。

武田 ひいてね、ちゃんとルールとマナーを守って、人に迷惑をかけないとかってあるから。いくらチャラいとか言われてもそう思いますよ。これだけ女好きだの言われて、不倫もしてないですから。

―ゲス男にはなってないと(笑)。

武田 相手のルールもあるし。逆に、浅く広くですか。…まぁそんな感じで女性は全部見過ぎたんで、結婚できないよね、俺は(笑)。素敵な女性、綺麗な女優さんからモデルさんにも本当にモテましたけど、悪い所も全て見ちゃってるからね。

彼氏から電話があって、「ぶっ殺すぞ」って言われたことも何回もありますし。そりゃキミの彼女の問題でしょって話なんだけど…まあ、そんなもんだよね。

「引退した選手が生きるためにはバラエティも出なきゃ」

―そういうのを徐々に伺おうかと思っていたら、すでに核心をついたお話が(笑)。

武田 僕の好きな言葉で「人は環境によって変わる。良い人と知り合えばいい人になっていくし、ネガティブな人や環境だったり、誰と付き合うかによって自分の人生が決まる」ってあって。だから慎重っていうのもありますし。そういう諺(ことわざ)とか、昔の人が書いたすごい本を読んだりするのが好きなんですよ。見えないでしょ?(笑)

その中でいい言葉はノートに書き込んだりしてね。あと、好きな言葉が「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」っていう、細川ガラシャの言葉で。人は辞め時、一番すっぱりタイミングよく辞めるのが一番大事だよねって。日本の社会を見ると、みんな肩書きとか付けて残ってるけど、難しいよね。昔の人の言葉を見て、人生を考えたりしてます。見えないですよね、だから(笑)。

―いやいや(笑)、でも確かに、潔(いさぎよ)く退くとか、潔く生きるって一番難しいですもんね。

武田 だから僕の生き方、そういう風にしてますけどね。スパッと辞めたり、スパッと移籍したり、スパッと33歳で南米に行っちゃったり…思ったように生きてますから。

―それもやっぱり幼少期から振り返ると、ひとりで考えて決断してっていうのをずっと貫かれて…。

武田 そうですね。高校卒業する時も、ゴン(中山雅史、現アスルクラロ沼津)とか井原(正巳、現アビスパ福岡監督)選手は筑波大学だったり、僕も早稲田とか推薦きてたんですけど。でもやっぱ大学行くより、あえてリスクを冒して読売クラブって一番強い所で勝負したいって。

で、いきなりJリーグでプロができて、33歳で千葉(JEF市原)をクビになった時に、ちょうど南米のパラグアイから話があって、知り合いがやってるから行っちゃえって、ひとりで。もちろんプロですから、自分で全部判断して、引退するのも自分の意志で辞めましたし。レール引いてある人生を中学校から歩んでないので、自分は自分でいくしかないなって感じですよね。

―実際、清水東っていうのもサッカーで有名ですけど、県内有数の進学校で。大学生活を送ってからという選択をした後でも不思議ないはずが…。

武田 やっぱり目標は日本代表だったんで。どうせやるんだったら一番強い読売でやりたいなって思って。稼ぎたいとかじゃない、やっぱ日本代表になりたいだったんですよ。当時はプロなかったし。全くそういう環境になかったんで。

だから俺、思うんですよね、日本のサッカー、すごい今こんだけの歴史とか実績があるのに大事にしない。歴史を作ってきた人をもっと大事にすべきだと思うよ。

―そこで思うところがあるわけですね。ここまでサッカーが人気スポーツになったにも関わらず、今こそ見つめ直すべきという?

武田 やっぱスポーツって、海外、ドイツにしたってブラジルにしたって、歴史を大事にしてますよね。でも日本はまだまだそれに対するリスペクトってないと思うし。どんだけ活躍した人でも、代表に入っても、ずっとそれを背負いながら生きていかなきゃいけないワケですよ。生活の保証もないですし、お金もない。そういう意味ではスポーツ文化って、正直ないと思うよね。

だから、僕も今、TV出てるけど、なんかサッカーでの実績がゼロになっちゃってる感じじゃないですか。チャラいとかね(笑)。でも引退した選手がとにかく生きるためにはバラエティも出なきゃいけないし…やっぱ生活のために。まぁそういうことも普通だとないですよね。その辺は自分はまだサッカーの実績とか経歴あって、武田だからいろんな言いたいこと言ってるってなっちゃいますけど。

「俺くらいでしょ、ハリルジャパンはダメだって言ってるの」

―そういう意味ではサッカーでさえもというか、五輪のメダリストやアスリートでもこの国での扱いは同様ですよね。

武田 もっと言うと、サッカーとかスポーツの解説に海外だと代表経験者しか語れないのに、日本はタレントさんとか誰でも語れるからね。サッカー知らない人たちが喋ったり、TVでわあわあガヤガヤやってるのを見ると、文化の違いなのかなって思っちゃうよね。海外だとリスペクトがあるし、あんまりふざけたりおちゃらけとかないですよ。

―総じてバラエティ感を押し出して、タレント化を求められますよね…。

武田 やっぱり、実際そういうところも含めて変わっていかないとって思うんですよ。僕もね、チャラいとかこんな感じですけど、意見を言うっていうのはパワーがないといけないことで。言ったら、皆になんか言われんじゃないかっていう。

けど、思ったこと言いますから。だって俺くらいでしょ、ハリルジャパンはダメだって言ってるの。誰も言わないんですよ。J2の監督が600万、800万でやっててね、良いサッカーしても評価されなくて、2億もらってる監督がこれでいいと俺は思わないって。

ブラジルとかなら、何やってんだってすぐ良いか悪いかはっきりして、それで選手も成長するのに。でも、日本はそれでいいわけですよ。負けても怒らないし、そりゃみんな日本来たがるよって。お金くれて、後は帰っちゃうだけだもん。それでナメられちゃいけないと俺は思ってて、いつも厳しく言ってますけど。でもみんなは言わないんだよね。

―確かにJリーグになってプロ化し20年以上経っても、まだまだメディア、ファン含め、意識が根付いてない気はしますね。

武田 そこのプロっていう物の考え方では、18歳で読売クラブと契約書にサインして、1試合勝って10万とか、その時代からやってるプロ的な厳しさだったりっていうのはあるんで。

―ラモスさんも、最初は給料16万2千円だったって言ってました。

武田 ラモスさんもそういうとこでずっと生きてるからね。そういう意味では、あの時のヴェルディとか読売クラブは華やかだけど、北澤(豪)にしてもカズ(三浦知良)にしても、都並(敏史)さん、松木(安太郎)さんもやっぱり自分をアピールする、それでいて厳しさもあるし真面目さもあるしっていう。本当にそのプロフェッショナルっていうのが、あのプロができる前のセミプロ時代にあったし。そういう人達で俺はもっと変えていかなきゃいけないと思ってるんですけど。

●この続きは次週、4月17日(日)12時に配信予定!

●武田修宏1967年5月10日生まれ、静岡県浜松市出身。小学校1年生からサッカーを始め、中3でジュニアユース日本代表に。清水東高校では1年時より全国高校サッカー選手権で準優勝の原動力となり注目を集める。卒業後、読売クラブ(現:東京ヴェルディ1969)入団。新人王、MVP、4度のベストイレブンに輝き、19歳で日本代表に選出。ヴェルディの中心選手として黄金期を支える。2001年に現役引退後はサッカー解説者やタレントとして活躍。チャリティーサッカー2014チャリティーマッチでは監督・コーチを務める。

(撮影/塔下智士)